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コロナと家族と心のバランス

MQ LABOのハラダです。
毎回、熱い思いやポジティブなことを綴ろうと思っているのですが、今回は若干ネガティブです。
と言うのも、私自身の精神的なバランスが崩れているのもあり、中々こうありたいという未来像を文字におこせなくなっています。ポジティブな行動はできるのだけど、綴ることができない、そんなTHE不安定の中にいます。
でも、この感情の変化は備忘録として今残しておくべきだと思ったので、書くことにしました。
長い文章、そして取り止めのないことを綴っているので、いち母親の戯言という目線でお読みいただければ幸いです。

【突然の休校、そして延長】

コロナウィルス感染症対策での休校が3月初旬。
戸惑いはあったし、幼稚園以来の長期的な春休みに正直どうしようと思った。
初めの段階で横浜市は3/20までとのことだったので、私の中では2週間くらいなら乗り切れるし、何より子供の感染リスクが下がるのであれば致し方ないと思っていた。融通がきく職業なので、最悪子連れで打ち合わせを先方にお願いできるかどうかなど打診を始めた。
しかし2週間後、事態はよくなるどころか悪くなるばかり。
私自身もこのまま春休みに入ることを覚悟した。

3月の終わり。有名人の訃報が入ったり感染者が拡大したり、私の住む大船でも感染者がと言うニュースで、やっと自分ゴト化、見えないウィルスとの長期戦に備え、どう家族を守るかに気持ちがシフトした。
そして気持ちのシフトと同時に、主人の会社も完全在宅にシフトしたため、家族の生活が大きく変化した。
この際、学力は二の次だ。やっと身につき始めた子供の学習習慣を維持させること、そして一人っ子の娘の相手を出来る限りすることを最重要目標においた。
そして私自身もこの状況下でできることを仕掛けていく、自分の出来る範囲で。

しかし今思えばこの完璧を目指す目標設定が、自分を苦しめる原因になっていた。

【崩れていく親娘のバランス】

初めはよかった。
通常であれば、毎日18時ごろまで学童で、母親と触れ合えるのは寝るまでの数時間。
休校の第一フェーズは彼女にとっても「幸せな時間」だったように思う。
初めての通信教育での学習補完、メールでの学習確認。
一緒に勉強をして、一緒に実験やなぞなぞ、料理をして、晴れた日には外でピクニックをして。お手製のペアマスクをして外に出ていた。
不謹慎な書き方だが、コロナ休校という非日常を親娘で楽しんでいたように思う。
しかし、それは長くは続かない。

非日常という刺激は、あっという間に「日常」に変化してしまった。
ルーティーンワークの中で、彼女の言動が少しづつ変わっていき、私の言動も少しづつ変わっていく。
8歳と9歳の狭間、これは成長の一つとして捉えるべきなんだろう、受け止めたりたまに放っておいたり、上手くバランスを取りながら寄り添っていけばいいと思っていた。

しかし巷はコロナ。
この影響で彼女の収集、発散、収束の場所が無くなってしまっていた。
学校で学ぶ授業、休み時間の他愛もない会話、外遊び、たまにある女子のいざこざ。第三者との関わりあいの中で学んでいく部分が、今彼女の目の前にはない。
でもって一人っ子。じじばばは両方とも遠方。親戚も近くにいない。
発散も受け止めも家族、とりわけ私になる。
世の中は3密だが、母娘は3密レベルをとうに超えた状態になっていた。
最早stay homeを楽しもうなんて状況ではなかった。

エフォートの8割をプライペートに、2割を仕事に。残った分は捻り出して活動していた。野球界で言うなら唯一無二のスラッガー。

自分で自分の首を絞めた結果、余裕がなくなる機会がどんどん増えていった。

【本音が言えなくなる状況】

私だけがしんどいんじゃない。
私だけが苦しいわけじゃない。
子供だって、いきなり始まった休校という変化に対応しようと必死である。
孤独と戦うからこその依存。受け止めるしかない。

そしてコロナの最前線で戦う人たち、そのご家族はもっともっと大変。
教育現場で活動をさせてもらったあの学校の先生方は大丈夫かな?
子供の友達は大丈夫かな?
実家や出勤しなければならない仕事の友達は大丈夫かな?
そう思うと、私は発信することをためらうようになってきた。
発信することへの批判が怖いんじゃない。そんなのは受けてたつくらいの勢いで、いつも発信している。
ただ今回に限っては、発信すること自体が罪悪感に思えてきたのだ。
そう思うと、発信すること一字一句に心をのせないような感じになってしまった。

今私に必要なもの。
それは本音を言う場所。心を開いた友人や家族と心の内を話す場所。
それに気づかないくらい、目の前にあるタスクをこなすことで精一杯になっていた。

【安心安全の場所=家ではない】

家庭が安らぎの場所ではない状況になっていった4月中旬。
家族の関係も少しづつ歪みが生じるようになってきた(今は若干回復傾向)。
振り返ると、皆いっぱいいっぱいだったんだと感じる。
在宅とは言え、通常業務と同じことをしなければならない夫。
ゆっくり仕事をしているが、この1年で自分の居場所が大きく変化した結果、脳みそはフル回転で必死についていこうとしている私。
孤独に耐えつつも、赤ちゃんがえりか!?と言うくらいのママ依存復活した娘。
皆が皆、自分を支えるので精一杯だったように思える。
口からでる言葉が攻撃的だったり、家庭の会話や笑いからため息へ少しづつ変わっていくのがわかった。
安心安全のリビングが、毎日何かと戦う場所、オンオフの切替のできない不安定な場所へ変わってしまったのだ。
良かれと思ってやったこと、しかし空回りだった。
だんだんと私の心のバランスがおかしくなってきた。

【私の心で起きた小規模崩壊】

まずとにかく眠くなった。
何をしたわけでもないのに、眠くて仕方ない。
で朝起きれない。不定期にくるめまい。
それまでは2人同時に話しても、処理できていた頭が処理できない。
目のピントが合わない。
と思えば、過集中する時もある。
でもって、いきなりでる蕁麻疹。
思うに、休校になってから、「ハラダクミコ」というパーソナルタイムが全くなかった。
母親、妻、仕事のハラダ、それ以外のハラダクミコの時間が物理的、精神的にもなかった。
私は1人でいる時間が好きだし、それがないとオフにならない性格。それも悪い方向に働いたように思う。
できないことが当たり前な状況下にもかかわらず、通常の生活、つまり完璧を求めようとしていたのだ。

とはいえ、仕事をしている時が唯一のプライベートタイムではあったので、その時間はとても楽しく充実していた。
(多分私から仕事と言うワクワクを取ると、廃人になると思う)
ただ、楽しい時間が終わってからの心の落差は半端なかったし、その間子供が1人で遊んでいるのを見るのはやはり罪悪感しかなかった。

現在はここに綴れるくらいまで復活はしているのだけれど、気分の底につきそうなことがないわけではない。
ただそうなる前に自分でストップをかけて、心から話せる人と他愛もない会話を楽しんでいる。

【必要なのは、ゆるい繋がり】

今、何が一番大切なのか?
いまだに答えは出ていない。空回りしまくりの毎日。

けれども、何か変えないとまずい。
そう思って始めたのが「zoom de きっずラボ」だった。
私と子供にはオンラインでもいいから、他人という緩衝材が必要だった。
毎日一緒に開催してくださる、共催の先生にはとても感謝している。

学校が動きたくても動けない状況の今、私たち保護者や教育に携わる人間ができること。
それは学びを続けることではなく、社会的な繋がりを断たないこと。
子供や保護者の心理的安全性を確保する場。
今の私にできるのは、その場を開くこと。
どこかにいって何かをすることは物理的に不可能だし、私が他人の悩みを聞けるほど元気な状況ではない。
だからこそ、「ゆるく繋がる場所」が必要なのだ。
親も子も両者を向くのではなく、別に目線を向ける場所を作る。
義務ではなく、入りたいときに入る。
みんなが発言できるように調整する。
そんな場所が今の私たち、どこかに同じ悩みを抱える親子に必要なのではないかと感じる。

【zoom de きっずラボをやってみて】

正直言うと、しんどい時もある。
その時間に仕事ができたら嬉しいなと思うこともある。
けれども、やってよかったことの方が多い。
私も娘もその時間に合わせて何かをするという毎日の目標、そして共通のワードができたこと。
引っ込み思案の娘が、場所を超えてできた顔見知りの子供達に目線を向け、会話をはじめたこと。
これは母娘にとっても大きな一歩だし、やってよかったと素直に思った。

続けるうちに、参加している他の子供たちにも変化が現れ始めた。
名で呼び合い、会話が成立し始めたのだ。
未就学から小学校中学年までの多年齢、かつ他県、1時間の関わりの中での交流、そんなバックグランドが異なりすぎる彼らが自走し始めたのだ。
私は、一瞬泣きそうになった。

なんだ、こんなに簡単なことだったんじゃないか。
やるかやらないか、ただそれだけのことだった。

休校期間中、この活動はできる限り続けていきたいと考えている。
でも主催者側も、参加側も疲れない程度に。

【コロナのある日常から考えること】

いつ収束するかわからないアフターコロナで盛り上がっているが、終息までにはまだまだ時間がかかる。
そして見えない敵との戦いに、緊張感をもって戦い続けることに、私だけでなく世界中の人々が疲弊している時期でもある。

コロナとうまく付き合う方法はないのか?
その未来に向けて考えていく、それなら未来予想が描けるかもしれない。

今すぐ、外に出て活動するなんてことは一切考えていないし、今は押さえ込むことを私を含めた個人個人が考えるべきである。
でも社会との繋がりを全て断つのではなく、監視されているようなギスギスした関係性を変えていかなければならないんじゃないか。
そのために何ができるかを考えたい。
同じような悩みをもつ母娘のバランスが崩れないように、そっと寄り添いたい。

ありがたいことに、私の周りにはおしゃべりが上手でぶっとんだ考えの方がたくさんいて、その方達とたくさんのアイディアを出し合っている。
当たり前の生活を少しでも取り戻せるように、同じ方向性の仲間たちと考え、行動していきたい。

みんなの心のバランスが崩れないように。



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