不満だらけの毎日から、『あ〜幸せ』な毎日へ変化した訳
本当にここ最近、
近年稀に見る『あ〜幸せ』の状態なのである
もともとの私は年中、
文句言ってるような人間だったので
内心、不思議でたまらない
もともとめちゃくちゃネガティブだし
不安症だし
人間関係苦手だし、、。
だけど
全てを引っくるめて
今、幸せだと思える
そうすると
辛かった過去も
鮮やかな部分がたくさん
あったことを思い出す
「なんで?」
と
ふと思う
私はその理由や正体を
ちゃんと言語化して
残しておきたい衝動に駆られている(笑)
だって、
そのうちまた忘れてしまうかもしれないから
その時、またここに戻って来れるように
そんな記録用と
自分の探究心を満たすために(笑)
じっくり考えてみる
振り返ると
最近、ずーっとhappyちゃんの
アローネスを聴いている
まずそれが一番でかいのは
間違いない
happyちゃんの言葉を聞いてるだけで
心が温かくなり
自分はこのままでも良いかと
思えてくる
8年以上happyちゃんファンな私は
happyちゃんの言葉をノートに
書き溜めては
振り返っている
最近happyちゃんは
『存在に自信を持てば全部大丈夫』
とよく言う
私も本当にそうだなぁと思う
happyちゃん曰く
私たちは、
そもそも
『存在状態(自分の信念)』があり、
それが
↓
『思考』に影響して
その後の
↓
『行動』の引き金になり
↓
『現実』を形成している
という。
だから、
最初の存在状態(信念)
つまり
『自分が自分のことを
どう思っているか?』
が
『見える現実』を左右している
例えば
自分のことに自信がない人は、
自分が至らない点や
自分が嫌われている点にばかり
目がいってしまい
いつまでも
嫌な現実から離れられない
反対に
自分の存在にオールオッケーが
出せている人は
他人に嫌われていようが
自分の存在に傷を付けることもないし
自分はそのまま
で素晴らしいという信念のまま
それ通りの現実が作り出されていく
本当にその通り、、、。
私の場合だと
昔は
「頑張らない自分は価値がない」
「私は必要とされなければここにいてはいけない」
「私は愛されていない」
そんな『存在状態の信念』を
持っていたものだから
そりゃ
苦しいよね〜という現実ばかり見ていた
「私なんかいない方がいいよね、、」と
勝手に落ち込んだり
「私がいては迷惑になるのでは?」と
居ても立っても居られなかったり、、。
それは今思えば被害妄想なことも
たっくさんあるけど、、
でも当時は
それを信じ切っていたから
本当に勝手に苦しく生きていた
(まさに1人コント)
それから
8年以上、happyちゃんや
カウンセリングやコーチングや
色々学びながら
『私にとっての
本当の幸せとは何か?』を
考えてきた
それは、、
○過去の傷に気付いて
癒してあげること
○人と同じように動けない自分を
許してあげること
○自分のペースで苦ではない環境(仕事)を
自分に与えてあげること
○自分の周囲を心地よいものに整えること
(相手を勝手に悪者にしないために
嫌なことはちゃんと伝えること)
○1人時間を自分のためにとってあげること
○カフェタイムで
自分の気持ちにちゃんと
向き合う時間をとること
○身体を労ってあげること
○リラックスする時間をとってあげること
○身なりを整えて
キュンとする服を着せてあげること
○家を心地の良い空間に整えてあげること
どれも
『自分にとっての幸せは何なのか?』を
考えて
地味だけど本当に
『純粋に自分が望むこと』だった
それは
『自分を心から大切にすること』に
繋がっている
自分にとっての幸せをかんがえて
それを叶えてあげる
それって
『本当に自分への愛』
それを8年かけて少しずつ
許可しながら
心地よい日常を心がけてきた
(もちろんそんな日ばかりではなかったけど)
そんなこんなもあって
私は今とても満たされていると感じている
すると、
本当に不思議なもので
自分の存在状態へも
過去のような
「私は価値がない、、」
から
『私ってこのままでいいんだ』
『私は大切にされる存在だよね』
ってゆうhappyちゃんの言葉が
ストンと入ってくる
私の存在状態と一致してるからだと思う
それは
外側から
happyちゃんの
言葉を何度も何度も刷り込んできたことと
内側からの
体感(心地よい時間やリラックス)
がリンクしたともいえる
片方だけでも
一致しなくて
上手く入ってこないと思うけど
外側から言葉を何度も
刷り込むことと
内側からリラックスして
心満たされること
この両目が揃って初めて
『あぁ、私はこのままで良かったんだ』
『ダメな部分も
至らない部分もたくさんある
でも
全部ひっくるめて
そんな私でもいいよね』
って心から思えてる
私がずーっと欲しかったものは
この『安心感』だった
それは、
誰かに必要とされたり
誰かに評価されたり
褒められたりしなければ
手に入らないと思っていたけど
それは違った
私自身が
自分に対して
大丈夫
そのままでいいよ
何の問題もないよ
常にどんな状態でも
あなたの味方だよ
あなたを愛してるよ
あなたが、世界で一番大切だよ
って言ってあげていたら
欠けていた心の部分が
埋まっていき
どんどん満たされて
温かくて心地良さで満タンな
気持ちになっていく、、、、。
こんな世界線知らなかったよ、
自分を大切に思いながら
生きていく、、
そんな世界があったなんて、、、。
人生の最後
「あぁ〜私に生まれてきて良かった!」と
思いながら死にたい
その為に
今できることは
「あぁ〜幸せ!」と思える気持ちを
たくさん自分にプレゼントしてあげることだ
こんな単純なことが
なんでこんな複雑化していたんだろう。。
足りなかったピースは
絶対的に
『自分への愛』
だったと今なら思う
それは
何かが出来たから、とか
何かになれたから、という
結果や
他人からの評価で手に入るものではなく
何も出来なくても
何かになれなくても
それでも
そんな自分でも良いよねって
許してあげる、
究極的な
自己肯定だ
私たちは
もっともっと
自分を大切にしていい
愛していい
愛して良かったんだ、、、!
そんな風に思わせてくれた
happyちゃんには
心の底から感謝、、、!
これからの人生、
この世界線で生きれるなんて、、
間に合って良かった、、笑
と言いつつ、
現実に呑まれたら
絶対また忘れるから(笑)
ここに記しておくよ
忘れたら読み返そう
読んでくれてありがとう♡
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