見出し画像

嫌われるのが怖くてたまらないを手放すには?

ずっと「嫌われる=この世の終わり」
くらいのこと、と思ってた


今思えば
例え
嫌われたとしても
とても悲しいけど
「自分の価値には直結しない」と
少しずつ思えるようになってはきたけど、、。

(詳しくは、人目が気にならなくなってきた訳)https://note.com/mppt22/n/n482ee3c97144


でも

☆どうして、
あんなにも嫌われる事を恐れていたのか?


何故なら
自分が誰よりも自分を嫌っていたから


『自分はいらない存在
自分は人の迷惑になる存在
自分がいない方がみんな幸せ』


そんな自己否定が幼少期から
潜在意識の中にこびりついていたから


でも普段は無意識だから
あまり自覚はない


人と関わる度に
嫌われるのが怖かったのは
嫌われた時に
自動的に
この部分の傷と繋がってしまうから


そうすると
めちゃくちゃめちゃくちゃ痛いから!!


普段はフタをしてる
このマイナスな感情に
「嫌われた?」という事象が起きると
パイプがくっついて痛い!!!

画像1
画像2

絶望の淵に追い詰められて
何も手につかないくらい
心がえぐられる

2.3.日はトゲが刺さったままで抜けない

心ここにあらずで

ずーっと苦しい

辛くてキツくて仕方なかった

本当にここではないどこか

もう消えてなくなりたくなったり、、、。





例えばこうゆう自己否定がない人にとっては
「嫌われた」という事象は
悲しいけど、
それほど痛くないかもしれない


でも私の場合
根底に
めちゃくちゃ自己否定があったから
それを刺激されて痛さが倍増する


『やっぱり嫌われた
やっぱり私はいない方がいい
やっぱり私がいない方がみんな幸せ』


この刺激が
何より怖くて痛くて苦しくて辛かった

だから、
嫌われるのが怖かった


マママス以降

『私はいない方がいい
私は人に迷惑をかける存在
私がいない方がみんな幸せ』


それを沢山吐き出して
みんなに寄り添ってもらって
自分でも寄り添ってきたから
少しずつ癒されてきた


その感情を感じるのは
怖い事だけど
ちゃんと感じてあげる事、
それに寄り添ってもらう事、
自分でも寄り添ってあげる事で
昇華されていくと分かった

何度もあの頃の自分に寄り添ってあげる

悲しかったね、寂しかったな


そうすると、
相手の反応は相手のもの
という言葉が腑に落ちてくる


それまで
相手に嫌われたら

やっぱり私はいない方がいい

自分には価値がない
この世の終わり、絶望w

と繋がっていたけど


私だって傷つく時は
自分の勝手なフィルターを通して
相手の言葉を受け止める時なのだから
それはもう、どうあがいても
コントロールしようのない
どうしようもない事だった


まずは
①根底にある自己否定の感情を
吐き出して
寄り添って癒す事

その次に
②相手の反応は相手のもの、
自分の価値とは関係ない、
と自覚すること

画像3


そうする事で
ゆっくりゆっくり
嫌われる怖さが和らいでいたような気がする


もちろん嫌われた瞬間は
悲しいし、寂しいし
痛いけど、
悲しい気持ちすら
ちゃんと寄り添ってあげれば
癒えていく事が分かったから
寄り添ってあげようと思う


今でも嫌われるのは
やっぱり怖いけどね

そんな気持ちすら

受け止めようと思う


嫌われてもいい
その気持ちがあるだけで
自然体でいられる


不自然なまま
嫌われる事に怯えて
人間と触れ合う事すら
恐怖だった時代に比べたら
ずいぶん自分らしく生きれるようになってきた


今まで
人を避けていたのは
嫌われるのが怖かったから
あのキツい痛みを感じたくなかったから


痛過ぎて
あの痛みを感じるくらいなら
人を避けていた方が
言い訳が出来て楽だった


ただ
そうゆう考え方でいると
100人中100人に
好かれないといけなくなって

全員を避け続けなければいけない
(今考えたら絶対無理なのにw
本気でそう思ってた事が
今となったら笑える、、、)


例え99人が好きや普通と言ってくれてても
1人が嫌いって言われたら
すぐさまパイプに直結

『あー私はいらない、生きる価値ない』って


そんな生き方苦しいし
今思えば無謀だよね


人間だもの、
合う合わないがあっていい


どんなに人気者の人だって
アンチの人もいる

でもそれは感じとる側の価値観の問題で
その人本人の価値ではない



※最後に※

私のようなあなたへ

(きっとすぐ忘れるからここに残しておきたい)


もし嫌われたかも??と思ったら、、

その痛みは
幼少期の痛みに繋がってるかも?


痛くて苦しくて感じたくもないよね

『私はいる価値のない
みんなに嫌われる
私がいない方がみんな幸せ』

そうずっーと思ってた小さな頃の気持ち

認めたくない、触れたくない部分、
あるんじゃないかな?

辛かったね
苦しかっね
寂しかったね
必要とされたかったよね

必要とされない
その現実を突き付けられるのが
痛くて苦しくてたまらないよね

「私がいない方が上手くいく

私なんていない方がみんな幸せ

なんで私なんて生まれてきちゃったんだろう」

そんな気持ちにぶつかる事が

痛くてたまらないよね


もう大丈夫
あの頃の気持ち、
今抱きしめるからね

あなたがいらない、、
それって本当?

あなたがいない方がみんな幸せ
それって本当?

誰もそこまで言ってないよね

あなたがそう信じてるから
そう見えるだけ
(前提があるから
その結果をより高度な視点で探してしまう)

〈例えば〉私の場合、
私だけ誘われなかった
=嫌われた

私が帰った後の方が
皆んなが盛り上がってるような気がした
=嫌われてる

私と話してるより楽しそう=嫌われてる

になってる。

それは私が「嫌われてる」(前提)を信じているから


たまたま、かもしれないよね


仮に嫌われてたとしても
人間だもの、
合う合わないあってもいいよ


全員に好かれようなんて
もともと無理なことなんだから

それより

悲しい気持ちをちゃんと感じよう


あー悲しい、、あー辛い、、
ちゃんと誤魔化さないで
感じてあげよう


そしたらそのうち浮上出来るから
今はゆっくりその感覚を
見つめてあげよう


辛かったよね
悲しかったよね、、

幼少期の気持ちも、まるごと

ちゃんと寄り添ってあげよう


そして、、、

そんなあなたを好いてくれる人も沢山いるよ

忘れないでね。

そしてそして、

あなたは本当はどうしたかった??

人の反応に振り回されるのでは無く

あなたの本当の気持ちを確かめてみてあげて

大切なのは

選ばれる事ではなく

自分はどうしたいか


そんな風に言いたいなぁ〜

忘れた頃にまた思い出そう〜

読んでくれてありがとう!



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?