自己開示したら仲間ができた
今月は誕生日月ということもあり、かつてないくらい遊びました。(そして肥えたw)
様々な人と会い、話す中で思い出したこと。
私が欲しかったのは「仲間」でした。
SNSで、「仲間で〜してきた、〜へ行ってきた」という投稿が羨ましくて、見るたびにいつもモヤモヤ。
私も仲間を作ろう!と何かのコミュニティに入ろうと試みますが、
「好かれるだろうか?」と考え過ぎて自分が出せずに苦しくなって、
「ここは本当の私でいられる場所じゃない」とい言い出して
結果「仲間はいらなくて、自分と合う人と少人数でじっくり話すのが好き」と離れ、
また振り出しへ戻りSNSを見ては羨ましくなる…。
という負のループを繰り返していて、
仲間ってなんだろう?どうやったらできるんだろう?と思っていました。
この負のループがどこからきたのかというと、
「本当の自分のことを分かってくれる人は少ない」という、
そもそも私が思い込んでいる前提が現実化していました。
もちろん、気が合ってお互いを理解し合える友人はいて、とても大事です。
ですが、そもそも女子の群れが苦手だった学生時代から、「仲間」と定義するような複数人のコミュニティでは自分を出せず、
空気を読んで求められる役を演じていました。
ですが、PNTの「仲間」は違いました。
一人一人が自立していて「自分は自分、あなたはあなた」で、
自分を出せば出すほど、本音がバレるほど、喜んでくれて祝福されるのです。
初めはいつものように、相手を見ながら少しずつ自分を出していましたが、
出せば出すほど仲良くなり、様々なシナジーが起きることに快感を覚え始めました。
「どんなひどい自分でも、この人たちの前なら出しても大丈夫」と思えたことで、
初めて本当の意味で「仲間」という感覚が芽生えました。
自分を出したらどう見られるのか不安、と自己開示が恐かったのですが、
この仲間に開示できるようになったことで
周りからどう見られるか気にならなくなってきたのは
とても大きな変化でした。
「どんな私だろうと、絶対に愛される」
という前提があると、自己開示ができるようになり、使う言葉が変わってきます。
そして、周りから受け入れられるようになります。
これは、乳がんをカミングアウトするときも同じです。
「乳がんを経験した自分は愛されないんじゃないか」という前提だと
乳がん=ネガティブな印象を与えがちですが
「乳がんを経験しても、むしろ経験したからこそ私は絶対愛される」
と思っていたら、言葉のエネルギーも変わり、相手の接し方も全然違います。
私は両方経験していて、相手の受け止め方の違いを目の前で見てきたのでよく分かります。
話は戻りますが、どんな自分もしっかり受け止めてくれる「仲間」ができたのが今年一番の収穫でした。
全員今年出会った人とは思えない距離感で、本当に気持ちのいい関係。
感謝しかありません。
仲間の応援を力に、皆さんをより明るい方へ導けるよう2024年は更に精進します。