受験にオシャレは必要ない

インスタに「勉強垢」なるものが存在すると聞いたのでいざ見てみたら…、
───本質とは全くかけ離れたものだった。

勉強を利用して承認欲求を満たそうと、無印良品で買い揃えたイカニモおしゃれな事務用品を白いデスクに並べ、ノートに用語を書き写し、傾向ペンで枠を囲み、教科書にはキーワードにマーカーが引かれている。そんな画像の下に並ぶ文字ときたら、
「勉強頑張ろう」だの「受験を乗り切ろう」だのとハッシュタグが最大数記載されている。

「勉強頑張ろう」ではなくて「インスタを頑張ろう」のはずだし、「受験を乗り切ろう」ではなく、「承認欲求を満たそう」に変えたらいかがかな、と思ってしまう。

とどのつまりは、インスタのみならずあらゆる媒体において「勉強法」だの「受験勉強」と並べ立てられる情報とは、本質的思考に基づくものではなく、勉強から逃げ回り、「勉強している気分」という虚構のやりがいを必死に感じたい者が群がる餌だ。または、それを求めている名ばかりの学習者に、それを売り付け、商売を繁栄させるための、いわばゲージ内に吊るした肉なのだ。

私はこれまで数多くの「勉強法」という名の書籍を読んできた。実用書、ビジネス書、脳科学や心理学に基づくものから有名企業の経営者、東大出身者の著作まで目を通してきた私の現在の結論を述べたい。

「勉強法」という名のつく本を読む前に、
自分の頭で考えて、試行錯誤した方が何倍も良い。

試行錯誤を重ねて、ある程度結果を出せるようになった上で、外部から方法論を取り入れるのは大いに結構だが、受験生ごときが自分の頭で考えず、何かたしかな勉強法を見つけ出そうと躍起になるのは時間と金の無駄であった。これは私自身の反省でもある。

ところがどっこい、上のようなエビデンスベースな方法論はまだマシだが、こんなとんでもない言い伝えを真に受けて、何の疑いもなく平気で時間をドブに捨てようとする人がいる。たとえばこんな主張だ。

「数学は基礎から!まず青チャートを完璧に」
「英単語は何度も書いて覚える」
「知識を整理してノートにまとめる」
「スマホを勉強中にイジラナイ」

もっとあるが、とりあえず今はこれだけ。

まず、数学は基礎からという主張だが、これは完全に間違いだ。極めて非効率。数学(他の理系科目についても同様)は、
「過去問を解きまくれ!」というのが一番効率が良い。「基礎」なんてのはあらゆるプロセスの中で一番重要なのだ。そんな一番重要な箇所を最初から極めようとしたら1年あっても足りない。まずは応用から知ってしまい、それに必要な知識を順次インプットしていった方が遥かに効率が良いだろう。そのうちパターン認識も植え付けられ、次第に知識を使った思考プロセスも備わる。過去問を解くこと、数多く場数を踏むこと、これに尽きる。
青チャートなんか要らない!
行きたい大学の過去問と教科書だけでOK。

英単語を繰り返し書いて覚えるのが意味ないのはここで一々説明しない。もう常識的なことだ。それなのに信じて疑わず腱鞘炎になりたいのか、単語をルーズリールにリピートしている。全く呆れる。信じられない。

続いて、知識を整理する、だが、いまだにノートやルーズリールに丁寧に書き写して、カラフルにデコレーションして、書き下ろしの参考書でも作る気か?と思わず聞いてしまうようなノートを書いている子、特に女の子。
それが好きで仕方がないなら結構だが、目的を見誤ってはならない。勉強の目的は、テストで結果を出すことだ。ならば、知識の整理ではなく知識のアウトプットが一番にやることであり、テスト以前にすべての学習はそうである。知識の整理と聞いて、不思議に思わないのだろうか。そういう人は参考書の意味が分かってない。僕たちが参考書に払っているお金というのは、それこそ知識の整理なのだ。知識の整理は既になされている。そのためのなけなしのお小遣いからいかばかりか引き抜いた貴重な数千円を払って、自分がわざわざ知識の整理をせずに済むために購入した参考書なのに、なぜそれでもノートに書き写してんの!? 理解ができない。

そして、最後にスマホ問題だ。
勉強中にスマホを机上に置かない
って、何の意味があるのだろう。
分からない単語が出てきたらググれるし、発音だって分かる。面白いと思った解法があれば、すぐさまアウトプットも兼ねてツイートだ!
勉強にも大いに役立つ便利なスマホ、なぜ不自由な状況を作るのだろう。

受験勉強に関する非本質的で不思議なあれこれ。またブラッシュアップして様々な観点から記事をつくります。もう少し短く簡潔にまとめたいね。

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