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「近畿地方のある場所について」:怖いもの見たさについて考える

急に熱帯夜が始まったある日。
余りの暑さに外に出る気が起こらず、涼しい部屋で本でも読もうかと思い立つ。
気になる本をアマゾンでポチポチ購入しつつ、積読となっていた本たち。
そういえば去年流行ったホラーの本、まだ読んでいなかった。
久しぶりにゾクゾク感で涼もうか。

背筋さん著「近畿地方のある場所について」

この本は、一人のライターが近畿地方にある●●●●●という場所と関連した心霊現象を集めていくうちに、とある恐ろしい過去にたどり着くというストーリーだ。
エピソードか現実にあったものかどうかはともかく、色々なネット情報が集められていくうちに、真実が少しずつ明らかになっていく。
普段何気なく使っているSNSやネットで「彼ら」にうっかり興味を持ってしまうと、その後ストーカーのように「彼ら」が追ってくる。
SNS上で、現実の世界で。
「彼ら」に心をトラップされてしまえば最期、自殺という形で命を取られてしまう。
「彼ら」の情報が色々な形で次々に入ってくる展開に怖いもの見たさを止められず、数時間ほどであっという間に読了した。

私は霊が見えない鈍感者で、幽霊の存在を信じない現実主義。
それでも、この本を読み進めるうちに「自分も彼らに狙われるのでは」という恐怖を感じた。
描かれた猟奇的な現象に自分も巻き込まれるかもしれないという、リアルな不安。
そして最後の袋とじになったページに記されていた子供の写真にゾワゾワし、夜に一人で読み終えたことを後悔した。
このような恐怖の感覚を抱くのは、いつぶりだろうか。

思えば、私がまだ小学生、中学生だったころ、怖いものが大好きだった。
姉妹や友人とホラー映画をよく観てキャーキャー騒いだことを思い出す。
一番怖いと思う映画は、1975年にイタリアで公開された「サスペリア2」。
当時「日本一怖いお化け屋敷」と呼ばれていた比叡山遊園地にもよく行ったなあ。
ジェットコースターも大好きで、あちこちの遊園地で乗った。
それがいつしか怖いものへ興味が失せ、ホラーからすっかり遠ざかっていた。
それにしてもなぜあの時、あんなに怖いものが見たかったんだろう?

現在は美術館となった、元比叡山遊園地の展望台(Wikipediaより)

この私の疑問は下記の記事で解決した。

私が幼少期に体験した「怖いもの見たさ」が、脳科学や行動科学で分析されその理由が判明している。
科学の進歩はすごいなあ。
ホラー映画やジェットコースターなど安全性が約束されている「恐怖感」がスリルや快楽を生み出す理由も、脳科学で既に証明されている。

記事によると、青年期は「死」というものを真剣に理解しようと模索し、自分が何を恐れるのか、自分はどれだけ勇敢になれるのかと自問する時期。
この時期に恐怖に立ち向かうことは、多くの文化において大人になる過程の一部とみなされる。
「怖いもの見たさ」は、心が成長していく過程だったんだね。
ある程度成熟した今、わざわざジェットコースターに乗らなくても自分が何を恐れるべきかは自分の経験が教えてくれる。

普段綺麗な月も、見方によっちゃ恐ろしく見える

今回読んだ「近畿地方のある場所について」。
理系頭の私は、この手の話は「科学的証拠がない」と冷めた目で見てきた。
しかしインターネットという世界は、安全なのか私自身が把握しきれていない領域。
どこに怖い存在が潜んでいるかわからない。
そして自分が普段触るスマホから「彼ら」に繋がってしまうかもしれないという設定が身近すぎ、自分を脅かしうる存在としてとらえ、不覚にも恐怖を感じてしまった。
私がこれまでに経験のしたことのない「恐怖」の一つの形。
平和ボケした私自身を痛感したと同時に、今後新たな「恐怖」から身を守るために常にアンテナを張らないといけないなと思った。
しばらくは「見つけてくださってありがとうございます」という言葉にギョッとしそうだ。

興味のある方は直接お読みください。

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