読書会とボルヘスと鳩
ボルヘスの「伝奇集」を読んでいる。
読書会の課題図書で、選んだのは私ではなく友人。
ボルヘスの語りには、よく夢が現れる。そして夢は単なる睡眠の副産物ではない。超越した次元に潜り込む行為であり、そこで人は無限を経験できる。
胡蝶の夢などと持ち出すまでもなく、私たちはいつだって現実が夢に飲まれないように、夢が現実と交わらないように、どこか緊張しながら生きている気がする。
「これは夢の話なんだけど」
と話す人の、
「これは旅先での話なんだけど」
と語る時の、おなじ興奮。
私は詩を作るとき、夢で語られたことばをそのままメモして使うことがある。私の母親がそうであるように、私もまたスピリチュアルに片足を突っ込んでいる。でも、これはとても大事なことだと思う。
人の想像力には限界がある。だから、聞き間違いや見間違い、はたまた夢のなかの言語など、自分の想像力の範疇を越えたものが現れると、蝶を捕まえるように飛びついてしまう。
あるとき、私は壁に貼り付けられた鳥のシールを見ていた。それはあまりにもぼんやりとした輪郭で、鳥類であること以外にはなにも伝える気のないデザインだった。それなのに、私にはそれがどうしても鳩にみえた。きっとそれは、孤独なひとにしか見ることの出来ない鳩なのだろうと思った。そうして、「鳩の発見」という詩が、流れるように作られた。