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白い、あなたは寝ていい(詩)+個人詩誌(日記)

不安で眠れない、不安で眠れない夜は、いいことがたくさんあると、いい…いいな。すごく、いいな。なにがいいことなのか、わからないけれど…白いもので充ちていると、いい。すごく、いい。
 
シーツや、ろうそくや、壁紙や、シロアリや、冥王星とか、チンアナゴのクッションとか、子供の抱き枕とか…そういう…白いもので充ちていたら、いい。きっと、まぶしくて寝れないだろうけれど…いい。きっと、いい、ということにして、いい。
 
黒いものは…わからない。わからないな、それは…燃え尽きたマッチとか、だろうか、わからないけれど…わたしにはわからない。黒いものについては、よく考えてみないと…わからない。わからないな、それは…。
 
白いものがたくさんあると、いい…そういうものに寄り添われてみると、わかる…わかる、とてもわかるから、いいということが、きっと、わかる…いいものでたくさん充ち溢れていると、いい、ということが…。



詩集ができたので、Twitter上でお声をかけて頂いた方々に郵送した。


祝・写真撮るの下手部  なぜか縦になってしまう部門 関東大会出場 1年2組 nostalghiaさん

いつもは文学フリマなどのイベントに向けて詩集を編むので、こういったなんでもない時期に編むのは初めてだった。やろう、と思ったのは昨年の末だった。

「来年(今年)は自分の場所を作りたい」と思った。

詩を書いて、投稿し始めた頃から「詩人には居場所は提供されないのだろうなあ」とぼんやりと考えてきた。たとえば、現代詩手帖賞をとったりなんだりして、詩集を出版社から出してもらえる。さらには「詩人」としてインタビューを受けたり、ときには個展を開いたりする。それから2冊目を出す準備を始めたり、雑誌でエッセイを書いたり…小説畑のほうに声を掛けられて顔を出す。気付けば文壇の寵児…そういう詩人は稀なのではないかと思う。

詩人は小説家なんかと比べてあまり出版社に依存していないような気がする。たとえば小説家は文学系の新人賞(群像とか文藝とか)をとると、しばらくはその出版社で飼ってもらうことになる。次第に力をつけてきたころに、ほかの出版社から声がかかって「ちょっと経験積んできたら?」ともとの出版社の編集者に背中を押される。そんなふうに出版社の手厚いサポートが執筆活動の根底にある、みたいな話を編集者のひとから聞いたことがある。

詩人はじぶんの場所をじぶんで作らないといけない。

とすると、まず考えられるのが詩誌だ。個人でも同人でも詩誌を立ちあげてしまえば「●●主催のnostalghiaですフフフ」とにやにやできる。肩書が与えらえると、ひとは安心したり、満足したりする。

あとはなにかしらの同人詩誌に入ったりすることもできる。それはそれで「●●所属のnostalghiaです。ははは」とにまにまできる。巨人の肩にのる奴がいちばん遠くを見渡せるのだ――けど、いつ巨人が「降りろ」といったり「立つの疲れたからもう寝る」というかわからないので注意が必要だ。

投稿欄の常連になるというのは、それはそれでありだと思う。ただし、毎回掲載されるわけでもない。安定した場にはなりえない。あと、毎月一喜一憂しながら詩を作るのは1年以上続けられない(私は力尽きた。もちろん修行の場にはなる。すさまじいほど詩と向き合うことになるけれど、大切な時間だと思う)

となるとやっぱり、安定したペースで詩集なり詩誌なりを作っていくのがいちばんいい、ということになる。

なので、今年の目標は以下のふたつにします。

①個人詩誌をたちあげる。(●●主催と名乗りたい! かっこいい!)
②文学フリマに出る。

個人詩誌をたちあげて、ほしい方に送り付けまくる、そんなことを続けられれば、自然とそれが自分をとりかこむひとつの意味になってくれるだろう。

そう思う。
そうであれ。
とにもかくにも、始めなくては、と思います。まだなんにも決まっていないけれど、たぶん、なんにもきまっていない今がいちばん楽しい。あと、こんな私でも詩の寄稿のご依頼などもあれば、書かせて頂きたいです。
宜しくお願いします。

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