散文詩と行分け詩について(思いついたこと①)
文フリがおわって、もうこの先のことなんて、何も思いつかない。で、購入した詩集の感想を、すべて述べ終えたら、いつ、詩が書けなくなってもいいやと、思うので、(なんか読点、多いのは、新しいキーボードになれてないからだと、思います)詩について思うことをだらだら書いていこうシリーズをはじめます。
だれのため? なんのため?
未来のわたしが見返したときに「こいつは青くせーッ! イキりたがりのにおいがプンプンするぜェーッ!」って笑うためです。
散文詩と行分け詩。
という呼び分けが一般的ではないことはよくわかっている。たぶん後者はふつう自由詩と呼ばれる。でも私は散文詩も自由詩のひとつじゃん? と思うのだけど……。
私の中でふたつを使い分けるのは、感覚によるとしか言いようがない。
「よーし今日は散文詩作っちゃうぞー!」
「昨日は散文詩だったから今日は行分けにしちゃおーっと!」
みたいに、ランチ決めるみたいな感覚でもなく。
書き始めるときの、大まかに言って気分に寄るのだと思う。
詩はどこまでいっても「うた」だと私は思う。
しずかに歌うときは、行分けの詩。
がぁがぁ叫びたいときは、散文詩。
私のなかで区分があるとすればそれだけだと思う。
あ、あと、そう、あれ、ですね。
ちょっと恥ずかしいのですけど、賞とか投稿欄に投稿するときは、行分けの詩を出します。
なんか、散文詩だと採用されなさそうな気がして……。
仕事
⬆お風呂に入りながらこれを書いていたら、宿題をしている子供が「しごとってどう書くの?」と尋ねてきた。「むずかいしよ〜?」と返すと「でも『漢字がんばるぞ週間』だから……」と困った顔が愛らしい。ふだんふざけているのに、こういうところで気まじめな性格は、誰に似たのだろう。わたしは微笑ましく「ち○ちん」と書いてあげた。(こら!といわれた)