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ボルヘスを読みながら(小詩集)



note小詩集、『ボルヘスを読みながら』です。ボルヘスを読みながら作りました。






蝶、のかたちをした骨がある。あってもいい。その、左上のところ。この部位がふるえたのはうまれてはじめてのことだった、しかも生きているひとのことばで。!。

だれだったか。肉体が土と等価になったひとをみおくるときに、魂のみおくりを平行して執り行った。えいえんにいきることを押しつけられたわたしたちは、夜のうちにひとつの椀から、定められた和語だけを起用して、ひとつずつ、ことばを啜った。

享日。ボルヘスを読みながら、つまらない、と。ただねむりのなかで、わたしは犬だった。犬ではないのかもしれない盲目のひとだった。夢がまぶたを下ろしたあとで、生きたり死んだり。夢では、ないのかもしれない。






ふとんをトンネルにして遊んでいた、兄と。もぐりこんで笑い、渇いていく脚に触れた。私はいそいそと戻り、兄であった。兄であったと繰り返した。

いのちとからだが未分化だったころ。お夕飯が、祖母と母の手でつつがなく作られていたころ。鏡が恐ろしかった。寝室には故障したブラウン管がおいてあり、そのやや湾曲した画面のなかに、だれよりも見知った、知らない男が覗きこんだことがあった。



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わたしは潜在的に犬だった。それがほんとうだと気づいたときの、疎ましいほどのよろこび。そう、わたしはずっと前に、書いたことがある。ある種のイヌには知性と、神っぽさが備わると。そう書いたことがある、と記憶している。

わたしではなかったのかもしれない、もしくはそう書いたのは、わたしではない、水にひとしい顔のいくつかだったのかもしれない。顔が流れる川には、遡上がゆるされている、唯一の特技、犬かき!!

潜在的な犬は溺死しない。そう気づいたときの、よろこび。


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小詩集「ボルヘスを読みながら」



1.ボルヘスを読みながら
2.鏡
3.犬かき!!

                                              2024/09/29/nostalghia
                                      nostalghia2020@gmail.com






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