モダンスイマーズ「雨とベンツと国道と私」感想
あの世界で描かれていたのは、傷つくことには敏感だが、傷つけることにはあまり自覚のない人達だった。特にパワハラの根底に多く存在する、”〇〇のためを想って”という身勝手な理由づけがされた加害性が炙り出されていた。そして被害者・加害者側のどちらか片方に寄り切ることはなく、その立場は表裏一体のものではないかということを、ほぼ全員を通して描き切っていた。そのせいでというか、坂根に復讐を遂げるカタルシスもなければ、五味に感情移入することもできず、全体的な生ぬるさを感じたのだった。そしてそれは、作家の”優しい眼差しのように見せかけたグロテスクさ”さえも感じてしまった。なぜなら最終的に、被害者・加害者をまるっと包み込んで、愛おしんでいたように思えたから。あのような人間模様を構築しておきながら、あんな風に愛おしめるようなラストシーンへ仕立てたことに、驚いた。
主人公である五味の立場がまたややこしく、あらすじを読んだ時には五味がパワハラ被害の張本人として物事が進むのかと思っていたが、本人が主張する問題点は初恋の相手・宮本にまつわる出来事だったことが明かされる。坂根から怒鳴られた経験があるという当事者性があるにも関わらず、あくまで自分は(暴力を受けたなどの)当事者ではないと言う。そして初恋の相手が間接的に傷つけられたことに、憤りを感じていたのだ。しかし五味本人は、当時宮本に俳優を辞めてほしくない一心で、宮本を傷つけたことに最後まで無自覚である。そればかりか、ラストシーンでは坂根の告白とリンクするように、五味は他者のことを顧みず”自分を解放する”のだ。坂根とは違い、その愛らしいキャラクター性を盾にして、思わず笑ってしまうほどの熱量で叫ぶのである。そのせいで、一番大事にしていた五味と宮本の問題が、急速に矮小化してしまった。初めから宮本などいなかったかのように。もし五味が、あの時の宮本の言葉を汲み取って、最後石田に対して理性的な言葉を投げかけた後に、「走れ!」と叫ぶシーンに繋がっていたのであれば、印象は全く違ったと思う。
進行役は五味だったが、いつの間にか坂根や敦子にも内側を語る権利が渡され、結果的には五味だけの物語ではなく群像劇と化していた。ただその中で、彼らと同じ”舞台”から降りた和宏と宮本は、その内側を語る術を持たなかった。舞台上に存在していても、語る権利はなかった。本当は五味もそうなるはずだったが、現場に戻り、他者と関わり、創作し続け、傷つき、傷つける道を選んだからこそ、自身の傷を語る権利を得るに至った。
和宏も宮本も、きっと傷つくことを辞めたのだ。和宏は生前に、(おそらく)やりたいことをメモに残していた。それを敦子に直接伝えることで、敦子を傷つけ、自身が傷つくことをずっと恐れていたのではないだろうか。宮本はあの事件以降、現場の関係者の手が及ばない、連絡もつかない、遠い場所に行ったのではないだろうか。もう二度と自身を傷つけさせない、傷つかないところへ。
で、たぶんこの作品は、そういう話なんじゃないかと思った。自身が傷つけられる場所にいる必要はないし、他者を傷つけずにすむ術があるならそちらを選ぶべきだ。それでも、人と人が関わり続ける限り、そこに”傷”は存在してしまう。コロナだって存在する。その傷を避けるためには、人間という存在から距離を置くしかない。でもそうすると、創作することも、生きることも、難しくなる。だから人はどうしようもなく、人と関わり続けなければならない。そういう話なのだと思った。ただ、だからとはいえ、和宏や宮本のような、あの中で比較的誠実に人間と向き合っていたような存在の内なる声を、もっと聞きたかったと思ってしまう。そこはリアルに終わるのではなく、演劇としての力が何かしら欲しかった。
にこやかな現場で創作が出来るかという話は、相手に自分の意見を伝える手段が「怒鳴ること」しか持ち合わせていない、自身への怠慢に対する言い訳である。また、周りへ助けを求め、協力を要請する事への重要性を理解していない。というのが論点だと個人的には思っている。
坂根が憎み切れないのは、そのことについて最低限自覚的なことだった。身体が震えるほどの怒りを抑え、どう現場を進めていけばいいのか考えを巡らせた結果、その術を自身が持たないことに絶望を覚える坂根の姿。打ち上げの場で「どうすればいいんだ」と、もはや立場など関係なく、抱える苦しみや悩みをあけすけに打ち明ける坂根の姿。
人が”一人”で変わることは難しい。だからこそ、他者と関わる勇気を持つこと。そのことに自覚的になった時、人は変われるのではないかという希望を得ることができた。
そしてこの根深い問題に対して、スルーして創作を続けるのではなく、何かしらの形で打ち出したこの劇団の姿勢を評価したいと思う。現実に起きている事件に対して直接言及せずとも、この題材に向き合ったことがまず誠実な創作だと思った。だってきっとああいう作品は、ああいう過程は、どんなハラスメント講座よりも現場の内側へ届くだろう。この作品を通して、自身の加害性に自覚的にならない人などいないことを願う。
あと、いろんなシーンで笑いが起こったことに対して思うことはあったけど、純粋に自分が一番面白かったのは、 『本人に直接言ってるのかと思いきや、五味のクソデカ心の声だった部分』w 終盤は五味の必殺技みたいになってたけどw ああいう演劇的な、言葉の横断の自由さが好きだった。
おしまい。