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#101. 犬の語源 101匹ワンちゃん *ḱwṓ [hound/canine/cynic/श्वन्]

前回、100 (hundred) の語源について触れた中で、同音異義語の hund (犬) があったため、はっきり分けるために「数の」ということを示す語尾 -red の部分が hund (100) についたのだろうかと考えた。101に因んで  hund (犬) の方も語源を遡ってみよう。

14世紀までは犬を指す一般的な語は hund で、dogブルドッグのことだった。dog は古英語で  dogga, docga という形があり、frocga (“frog”) や picga (“pig”) と同じように、指小辞 -(c)ga をつけた形とみられるので、 *dog- あるいは *doc- という何らかの言葉を元にしていると思われ、役に立つ家畜ということで dugan (古英語で “to be good, worthy, useful”の意味) ではないかと言われているものの、究極的語源は分かっていない。

KDEE “dog”の項

16世紀に dog が犬を表す一般的な語になるにつれ、hund/hound は「猟犬」という狭い意味を指すようになった。ちなみにドイツ語の Dachshund の Dachs はアナグマという意味だ。grey という語はアナグマの毛色に関係していたりと、ヨーロッパではアナグマ badger はよく出くわす語彙のような気がする。Racey Helpsの絵にもBadgerさんがよく出てくる。

hound 猟犬
← hound (Middle English)
← hund (Old English)
← *hund (Proto-West Germanic)
← *hundaz (Proto-Germanic)
← *ḱwṓ (PIE)

KDEE “hound”の項

印欧祖語で再建されている名詞形は *ḱwn̥tós, *ḱwṓあるいは kwon-である。kwo に関しては、鳴き声のオノマトペという説や、家畜を意味する *peḱ- から派生したという説などあるようだ。印欧祖語の /k/ がグリムの法則によって /h/ に変わった。ということは /k/ で始まる同語源がラテン語にある。それが canis で、その形容詞形 canīnus から派生した英語が canine だ。canine は、医学や科学の文脈で使用され、犬に関する専門的な話題でよく使われるようだ。canine を名詞として使うと「犬歯」を指す。

もう一つ意外な、*ḱwṓ から派生した言葉を挙げる。それはギリシャ語の κῠ́ων (kúōn, “dog”)だ。その派生の「犬のような」を意味する κῠνῐκός (kunikós) はギリシャ哲学のキュニコス派(犬儒派)の語源だ。犬に関係するギリシャ語接頭辞cyno-につながり、そこから 英語の cynical が派生している。

キュニコス派は、富・権力・名声といった欲求を放棄して一切の所有物を持たない自然に与えられたものだけで簡素な生活を送ることに人生の目的があると説いた。開祖アンティステネスが Κυνόσαργες (Kunósarges「白い犬の場所」の意) という建物で教えを説いたためついた名前だが、当時から、所有物を捨てて路上生活するこの派の人たちへの侮蔑として「犬」という言葉が投げかけられていたらしい。特にディオゲネスはその論法から噛みつく「犬」と表現されることも数多くあったようだ。

KDEE “cynic”の項

インドでは「犬」という言葉は非常に侮蔑的な意味を持つので安易に口にしない方が言い。路上犬も多く見かけるが、狂犬病を持っているのでできるだけ近づかないように気を付けるべきだ。犬を飼っている人もいなくはないが、ペットの話をするなら日本でワンちゃんというように、doggie と表現を和らげるようにしよう。ではインドでは「犬」は何と言うか。

kwo がケントゥムで /k/ のままなら、サテムで /tʃ/ や /ʃ/ のものがあるはずだ。そうサンスクリットで श्वन् (śván シュワン) と言う単語がある。それに関連してカシミール語で hūn という語があるが、現代ヒンディー語では श्वन् (śván) とは言わない。ヒンディー語では कुत्ता (kuttā) という。कुत्ता (kuttā) の究極的語源はサンスクリットにも見当たらず、ドラヴィダ語でも、オーストロアジア語でもない、バクトリア・マルギアナ複合(BMAC)の 基層言語だったのではないかと言われている。

そう言えば、サンスクリットでライオンを意味する सिंह (siṃha) も印欧祖語で *sinǵʰós と再建されているが、中央アジアのいずれかの基層言語からの借用ではないかと言われている。やっと

バクトリア・マルギアナ複合(Bactria–Margiana Archaeological Complex)というのは、バクトリア近辺の古代文明だが、イラン高原やインド亜大陸に進出する前のアーリヤ人が侵入してきたことにより滅亡したのではないかと考えられている。バスク語のように孤立した言語として、ガンダーラ地方の近く(カシミール)にブルシャスキー語があるが、このバクトリア・マルギアナ複合に起源があるのではとも言われる。

ネパール語やベンガル語を始め他のインド言語では kukur と言うことが多い。そのもとになっているサンスクリットは कुक्कुर (kukkura) だ。他にも कुर्कुर (kurkura) という語がサンスクリットにはあるが、これらは、オノマトペ起源ではないかと言われている。

*ḱwṓ も  कुर्कुर (kurkura) もオノマトペ起源かもしれないのは興味深い。なぜなら、犬が吠えるオノマトペは他にもたくさんあるが、「ク~ン」と鳴くのは飼い主に甘えたり、さびしさや悲しさ、不安、服従といった気持ちを表すときに発する声だからだ。それだけ太古の昔から人間の生活に関わり寄り添って来た家畜なのだなと思った。

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