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#112.【メモ】ギリシャ・ローマから見た "異民族" の名前の語源
古代にどんな民族がヨーロッパ近辺で躍進していたかの文字資料は、今のところローマ・ギリシャ文明を中心に見た文献から垣間見るしかない。多くの遊牧民は文字を持たなかったからだ。有名な記述は、ヘロドトス (紀元前484年頃~紀元前425年頃) の『歴史』といったギリシア語の文献や、ユリウス・カエサル (紀元前100年~紀元前44年) の『ガリア戦記』や タキトゥス (55年頃~120年頃) の『ゲルマニア』などを含むラテン語で書かれた歴史書だ。
これらの歴史書は後代のヨーロッパの歴史観や異なる人種に対する見方に大きく影響した。特に、加速した1800年代末から1900年代中頃に発展した比較言語学の分野で、ドイツが印欧祖語の故郷であることを証明するため、あるいは、ゲルマン民族が征服者としての素質があることを示すため、度々これらの書物からのゲルマン人の風貌や風俗に関する記述が引用されていたようだ。いつの日か直接読んでみたい。
部族名には似た語がいくつかあり、意味が微妙に異なるものもあるので、まずは用語を自分なりに整理し、語源から各集団がどんなイメージを持たれていたのかを考察したいと思った。名称を整理してみると、各民族の名前は、身体的特徴や行動の特徴、異質な習慣や持っている武器などから取られているのが分かるが、アルプスやライン川またドナウ川が、ギリシャ・ローマ人にとって重要なラインだったことが見えてくる。(冒頭の地図で青色で記した線は西から順に、ライン川、ドナウ川、ドニエプル川)それを超えて入ってくる部族を恐れていたのだろう。
◼ケルト人(英語:Celts/ラテン語:Celta, Celtae) ◻「ケルト族」という部族名があったわけではない。古代ローマでは単に「未知の人」と言うニュアンスで、特定の民族を示す言葉として用いられてはいなかった。もとはギリシア語 Κελτός (Keltós), Κελτοί (Keltoí) から。ケルト祖語の *kel-to (“to strike; to fight”) に由来すると思われる。
◼ケルト系(英語:Celtic)◻非イタリック、非ゲルマンの先住民族の総称として近代になって学術用語として作られた用語。ローマ帝国の時代、ケルト民族というまとまりは意識されていなかった。
◼ガリア(英語:Gaul/ラテン語:Gallia)◻初めは、ガリア人の居住するイタリア半島北部を指していた。後にピレネー山脈・地中海・アルプス山脈・ライン川・大西洋に囲まれた地域を指す。 フランク語で *Walha(land) (“Land of foreigners”)。ゲルマン祖語の *walhaz (“an outlander, foreigner”) から来ていて、ライン川のゲルマン民族から見て、ケルト人やローマ人と言う異民族がいる地と言う意味から来ているようだ。*walhazの語源はケルト系部族の、ウォルカエ族 Volcae から来ているようだが、その部族名の語源については多数説がある。例えば、ケルト祖語の *wolkos (“hawk”)とする説 、*ulkʷos (“wolf”) とする説、ゲルマン祖語 *folkam(英語 folk、ドイツ語 Volk)と同じで「民衆」を意味する説などある。 ゲルマン祖語の *walhaz はゲルマン民族から見たケルト人、のちにそれらが同化されたローマ人を指す語になったが、「外国の」と言う意味が入る様々な人名・地名の語源になっている。ウェールズ Wales, 征服王ギヨームGuillaume Le Conquérant, ヴァロワ家 Valois, ヴラフ人(ルーマニア人) Vlachなどなど。
◼ゴール人/語(英語:Gauls/Gaulish)=ガリア人/語
◼ガリア人/語(英語:Gallic/ラテン語:Gallicus)◻古代ローマ時代のヨーロッパの地域ガリアで話されたケルト語派の一言語。
◼ゲール人(英語:Gaels)ゲール語(英語:Gaelic)◻ブリテン諸島(アイルランド、スコットランドなど)におけるケルト人の一派。古ウェールズ語 Guoidel (“wild man, warrior”) から。ケルト祖語の *weidus (“wild”) さらに印欧祖語の *h₁weydʰh₁- (“wood, wilderness”) と関係があるが、ガリア Gaul とは関係はない。
◼ゲルマニア(英語・ラテン語:Germania)◻ライン川の東、ドナウ川の北の地域。
◼ゲルマン人(英語:Germans/ラテン語 Germānus)◻ゲルマニアにいた民族。ゲルマン人自身はこの呼称を用いなかったようだ。語源については諸説あり。①アイルランド語 gair のように、ケルト語起源で「隣人(印欧語根 *ǵʰer- “short”)」を意味する語から。最初ゴール人が東方近隣の民族、特にゴールの北東部に住んだケルト人を指し、後にゲルマン人全体に転用した。②ケルト語起源で「騒々しい者 (印欧語根 *ǵeh₂r- “to shout”, ケルト祖語*garman, ラテン語 garriō)」を意味する語から。③古高地ドイツ語の「貪欲な者 ger+man」から。④古高地ドイツ語の「gēr “spear”」から。⑤あるいは何らかの部族名だったかもしれない。ただいずれの説も十分に立証されていない。
ちなみに、オランダ語・人のことを Dutch と言うが、ラテン語に対して「民衆の話す卑俗な言葉」さらにはゲルマン語系の「自国語」を表す語として、ラテン語で vulgaris の訳語として用いられた語彙から来ている(余談だが、 vulgarisのvulgus (“common people” はサンスクリットの वर्ग (varga) と同じ印欧語根 *welH- から来ていると思われる)。中英語で Duch。ゲルマン系の言語全体を指して、Low Dutch, High Dutch のように用いられたが、オランダが国家として独立した際に「オランダ」の意味に限定して英語では用いるようになった。「人々」を意味する、印欧祖語 *tewtéh₂ から派生した語で、ゲルマン祖語 *þeudō、その形容詞形 *þiudiskaz から派生した、中期低地ドイツ語 dütsch, düdesch に基づく。
◼ゴート族(英語:Goths/ラテン語:Gothus)
◼ゴート語(英語:Gothic/ラテン語:Gothicus)◻東ゲルマン系の一派。ラテン語で「ゴート人」を指す語 Gothi はゴート語の *gutô から。語源は諸説様々。“good”と同根か、ゲルマン祖語の *geutaną (印欧語根 *ǵʰewd- “to pour”) か。下記のジュート人を参照。ドニプロ川近辺(東ゴートは川の東側、西ゴートは中流)に居住していたと思われる。東ゴート族はローマ帝国に侵入し東ゴート王国を建国するが、東ローマ帝国によって滅びる。
◼ランゴバルド人(英語:Lombards/ラテン語:Langobardus)◻ゲルマン系のランゴバルド族でイタリアに侵入し、ロンゴバルド王国を建て後のイタリア王国につながる。ゲルマン祖語 *langabardaz (*langaz “long” + *bardaz “beard”) から。イタリアの地名ロンバルディアの語源。
◼ヴァンダル人(英語:Vandals/ラテン語:Vandalus)◻ゲルマン系の部族。ゲルマニアからローマ領内やイベリア半島を通り北アフリカにまで到達し、カルタゴを首都とするヴァンダル王国を建国した。破壊略奪行為という意味の vandalism の語源。ゲルマン祖語 *wandilaz から。印欧語根 *wendʰ- “to turn, wind, braid” ← goの過去形 went とつながる。スペインの地名アンダルシアの語源。
◼フランク族(英語:Franks)
◼フランク語(英語:Frankish/ラテン語:Francus)◻ゲルマン系のフランク族。フランク語で *Franko は ゲルマン祖語の *frankô (“javelin, spear”) から。
◼アングル人(英語:Angles/ラテン語:Anglus)◻ユトランド半島南部のアンゲルン半島からブリテン島に渡って来た西ゲルマン系の人々。ゲルマン祖語 *angulaz (“hook, prickle”) から。印欧語根 *h₂enk- (“to bend; crook”)。
◼サクソン人(英語:Saxons/ラテン語:Saxo)◻ゲルマン祖語 *sahsą (“rock, knife”) から。印欧語根 *sek- (“to cut”)。
◼ジュート人(英語:Jutes/ラテン語:Iuti)◻ゲルマン祖語 *eutaz は *etaną (“to eat”) か *gautaz (“Geat, イェーアト族”) と関連があるかもしれない。*gautaz (“Geat”) は *gudą (“god”), *gudjô (“priest”), and *gutô (“Goth”), サンスクリットの होतृ (hótṛ, “priest, sacrifice”) といった語との関連が考えられる。「ゴート」が「注ぐ」から来ているとすると、同じように儀式に関わる語だったのだろうか。
◼スラヴ人(英語:Slavs/ラテン語:Sclavus/ギリシャ語 Σκλάβος)◻東スラヴ(現代のウクライナ・ベラルーシ・ロシア)西スラヴ(チェコ・ポーランド・スロバキア)南スラヴ(セルビア人・モンテネグロ・クロアチア・マケドニア・ブルガリア)の総称。スラヴ祖語の *Slovǫta から。*Slov- は 印欧語根 *ḱlewH- (“to clean”) と関連があるのではと考えれられている。 *Slovǫta はドニエプル川の古い呼称。
◼ダキア(英語:Dacia/ラテン語:Dacia/ギリシャ語:Δάκοι)◻現在のルーマニアの辺り、ドナウ川より北の地域。ローマによって平定されたダキア王国はトラキア系民族だったようだ。ゲタエ人 (Getae) と ダキア人 (Daci) は西か東か居住地によって呼ばれ方が違うようで言い換えが可能で、どちらの名前としても出てくる。ダキアという地名の元になった Dakoi や Daoi はイラン語派・ダアイ(Dahae)族と関係があるかもしれないことが示唆されている。というのは、イラン系遊牧民族のスキタイ人がこの辺りまで力を振るっていたからだ。
◼トラキア人(英語:Thracian/ギリシャ語:Θρῇξ) ◻バルカン半島周辺に住んでいた印欧語族。トラキア語の資料が非常に限られ、詳細が不明。トラキア語やダキア語をバルカン語派とする見方もある。θράσσω (thrássō, “to trouble, stir” 印欧語根 *dʰr̥h₂-gʰ-yé-) から。現在ではトラキアは、バルカン半島南東部(現在のイスタンブールからブルガリア辺り)のことを指す。ダキア人もトラキア人もギリシャ・ローマ化し、吸収されてしまった。ルーマニア人やブルガリア人につながっているのだろう。
◼スキタイ人(英語:Scythians/ギリシャ語:Σκύθης)◻イラン系の騎馬民族で黒海北部で活動していた。ギリシアからはスキタイ、ペルシアからはサカと呼ばれたようだ。初期のスラヴ人に同化吸収されたり、カフカース地方の山岳地帯のオセチア人に受け継がれていると考えられている。ヘロドトスは、スキタイが自らを「スコロイト」と呼んだと記述している。スキタイ祖語 *Skuδa は印欧語根 *(s)kewd- (“to propel, shoot”) と関係している。「突き刺す」を意味するサンスクリットの चोदति (codati) やヒンディー語の (codnā) と関連がある。そこから英語のスラング choda, choad, chode が来ている。
部族名は普通複数形で文章の中には出て来るので英語では複数形にしたが、ラテン語・ギリシャ語はあえて単数形で表記した。特にラテン語の単数形-us の複数形 -ī を省略。 (民族名に関わるラテン語やギリシャ語の語尾を今後整理して覚えていきたい)
学術的なグループ・系統を指す場合に -ic となるが、部族名として捉えている場合には -s となる違いがある。「Celt ケルト / Celts ケルトの人たち / Celtic ケルト系の」。Celts というと、ローマ人が北方にいる別の部族民を目の前に見て「あの人たち」という絵が浮かぶが、Celtic というと、現代の学者が、当時お互いに顔を合わせたことも、繋がりを意識したことのないグループの人たちを、学術的に類別して呼んでいるイメージがある。同様に、Goth / Goths / Gothicなどもそうだ。英文を精読する際、ちょっとした違いだが大きな違いがあることに気を付けたいと思った。