#108.【語源クイズ】地名・都市編
研究社『英語語源辞典』(KDEE)の巻末に「英国の地名要素」の付録があるが、ざっと数えてAからZまで17ページ、約586項目(リダイレクトも含め)も載っている。都市名も意味が分かればどんな土地なのかが見えてきて面白い。いつか地図を片手にこの付録を通読しても面白いかもしれない。では今回のお題は地名から。
問.次の都市名のうちどれが語源的に仲間外れでしょうか。
① ペシャワール
② スリジャヤワルダナプラコッテ
③ シンガポール
④ クアラルンプール
あれ、今回はインド関係なし?と思った方、申し訳ない。今回もやはりインド関連です。今回は都市名の語尾に注目。
インドの地名に使われる語尾も、由来を知ると見えてくる歴史がある。各地方の言語によって様々なものがあるので全てを列挙すると非常に長くなるので、主要なものだけに絞って挙げると、
-abad「町・都市」ペルシャ語の「人口の多い・栄えている」という意味の「آباد ābād」から。イスラマバード、イラハバード、ハイデラバード、アウランガーバード、アフマダーバードなど。
-garh「砦・要塞」ヒンディー語の「गढ़ gaṛh」から。チャッティースガル、チャンディーガルなど。
-gram, gaon「村」サンスクリットの「ग्राम grāma」から、ベンガル語では গ্রাম grām、ヒンディー語では गाँव gā̃v となる。チッタゴン(=チョットグラム)、グルガオンなど。
-nagar「町・都市」サンスクリットで「都会・町」という意味の「नगर nagara」から。ガンディーナガル、シュリナガルなど。
-pur「町・都市」サンスクリットで「都市・砦」という意味の「पुर pura」から。ジャイプル、ジョードプル、ナーグプルなど。
-abad はペルシャ系の王朝が支配していたことが良く分かる地名だ。比較的近年に建設されたか、古代からの都市名を変えて命名されている。
-garh, -pur, -gram(gaon) は印欧祖語にもつながる語彙で、非常に古い時代の地名としても出ている。
-nagar はサンスクリットで「人の集まる都会」を指す典型的な語で古い語彙だ。ギリシャ語の ἀγορά (agorá) と結びつける考えもあるようだが、印欧祖語には遡らず、ドラヴィダ語からの借用である可能性が高いようだ。他にもサンスクリットだがドラヴィダ語から来ているものは、-hati, hataは「市・市場」の「हाट, हट्ट hāṭa, haṭṭa」から (グワハティなど)、-kot, -kota は「砦」の「कोट, कोट्ट koṭa, koṭṭa」から (ラージコートなど)...がある。
南部の海岸沿いの地名はドラヴィダ系の語彙になってくる。-pattanam, pattinam は「港」で、イギリス統治時代 Madras と呼ばれていた Chennai はもともとチェンナパッタナム(Chennapattanam)だった。ほかに、-palli, -halli (ティルチラーパッリなど) は「集落・村」、-oor, -uru は「村」を指す(バンガロールなど)。
最初の選択肢の4つの地名で3つに共通する語がある。それは「都市」を意味する「पुर pura」がつくことだ。なお、この पुर pura は印欧語根の *(t)pĺ̥H / *pelə- につながるとされ、古代ギリシャ語の πόλις (pólis) と同語源だ。KDEEにはそれも載っている。
では、それぞれの地名の語源を紐解いてみよう。
① ペシャワール
現地の事情に詳しい人ならペシャワールではなくペシャーワルであると知っているかもしれない。インド亜大陸は蓋をした瓶のように、北からヒマラヤ山脈、東にヒンドゥークシュ山脈が迫るが、カイバル峠がぽっかり開いた穴のようにあり、太古よりここを通って様々な民族が侵入した。この峠を越えて平地に降り立った場所に作られた町がペシャーワルである。世界史でクシャーナ朝の都「プルシャプラ」を覚えている人もいるかもしれない。おそらくペシャーワルはこのプルシャプラ (पुरुषपुर Purushapura) が訛ったものだ。Pursha→Pesha、pura→war。プルシャとはサンスクリットで「人」という意味だが、この町が建てられた時の王の名前だったという見方がある。そして「पुर pura」は前述の「都市」という意味だ。
② スリジャヤワルダナプラコッテ
どこで意味が切れるかと言うと、Sri (resplendent) Jaya (victory) wardene (promoting) pura (city) Kotte (Kotte Kingdom) で、「栄光ある 勝利を推し進める コーッテ王国の都市」という意味になる。もちろん「पुर pura」は「都市」という意味だし、श्री (śrī) も जय (jaya) も वर्धन (várdhana) もサンスクリットである。日本語で発音する時に区切りが気になることがある。スリジャヤやプラコッテという区切りは位置が違う。
③ シンガポール
Singapore は英語式の綴りだが、地元のマレー語は Singapuraで、サンスクリットの सिंहपुर (siṃhá-pura)から来ている。「सिंह siṃha」は「獅子」そして「पुर pura」は「都市」という意味だ。pura が英語風の pore になり、日本語で書くと「ポール」とずいぶん変わってしまった。purの発音で言うと、前述の Jodhpur はジョードプルだが、英語風発音で「ジョッパー」となり、その地名から来た乗馬用ズボンスタイルのことを「ジョッパーズ」と呼ぶようになった。
マレーシアやインドネシアはイスラム教伝来以前に、インド文化を通してサンスクリット由来の外来語が多く入っている。「ジャワ島」もサンスクリットの「यव-द्वीप (yava-dvīpa 大麦の島)」ではないかと言われている。
④ クアラルンプール
サンスクリット語彙の多いマレー語だが、Kuala Lumpur は純粋なマレー語だ。クアラルン=プールではなく、クアラ=ルンプール。「kuala 合流」+「lumpur 泥」で主流のクラン川に支流のゴンバック川が合流する地点にある。主流のクラン川が上流の錫の鉱山に関係して泥川だったからという解釈が一般的だ。しかし、合流地点の名前は主流側ではなく、支流側の名前がつくはずなので、合流点の名前としては Kuala Gombak となるはずだ、という解釈もあり、なぜ「泥川の合流」が由来になったかは完全にはっきりとしないらしい。
ということで正解は④。これだけがサンスクリット起源でないので仲間外れ。
余談
ペシャーワルの語源を検索してみると、ペルシャ語で「高地の砦 (High Fort)」という意味だとか、プルシャプラはサンスクリット語で「国境の町」を意味するという資料が出てくる。たしかに 「पुर pura」は「砦」のニュアンスはある。しかしPeshaの音に近く「高い」に関係するペルシャ語は「 پرتگاه (partgāh) 崖・急斜面」くらいしか見当たらない。また、確かにアフガニスタンとパキスタンの国境の町ではあるが、語源的に「国境」とは関係がない。参照元が記載されていないのでその過程を完全否定できないが、そういう意味にはならないはずなのに...と気になった。