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#144. 楽園や天空に関係する語彙 *h₂éḱmō [heaven/आसमान]
前回「paradise」について触れた。今回は、英語史ではなくヒンディー語の表現に全振りしてみる。ヒンディー語で paradise の訳語として出てくるものはいくつかあるが、その各語の語源のメモ。
फ़िरदौस (firdaus)
これはペルシャ語 فردوس (firdaws) からの借用語だが、ペルシャ語にはアラビア語 فردوس (firdaws) から入っている。アラビア語には、 いずれかのイラン系の言語からの借用なのか、あるいはギリシャ語 παράδεισος (parádeisos) からの借用なのか議論があるようだが、いずれにしても、イラン祖語 *paridayjah につながり、前回の英語の pardise と同語源だ。
जन्नत (jannat)
これはアラビア語 جَنَّةْ (jannat) からの借用語だ。地獄の जहन्नम/جَهَنَّم (jahannam) と韻を踏んでいて、よくセットで出る語だ。アラビア語 جَنَّةْ (jannat) は 中期ペルシャ語か古典シリア語の ܓܰܢܬܳܐ (gannəṯā) から来ていると見られる。この語は جَنّ (jann) “covering, protecting” とつながりがあるようだ。そして جَنّ (jann) の語根 ج ن ن (j n n) は「庇う, 保護する」という意味がある。これと近似性を比較されるのは、ヘブライ語で「庭園」を意味する גַּן (gan) という語だ。語根 ג־נ־ן (g-n-n) は「庇う」ことに関わり、גָּנַן (gānán) は「庇う, 保護する」ことだ。そして何を隠そう、この גַּן (gan) こそが、エデンの「園」を指す原語である。ちなみに Eden は「楽しみ」を指すので、「楽園」というのは「エデンの園」の直訳と言える。
上記2語は、英語の paradise と同じように、元来、字義的には地上の物理的な庭園を指す語なのだが、宗教的文脈で語られるときに、地上には存在しない理想的な場所ということで「天国」と結び付けて考えられることがある。そういう「楽園 = 天国」というニュアンスで、楽園の訳語として使われるのは:
स्वर्ग (swarg)
これはずばり「天国・天界」を意味するサンスクリットだ。インド・イラン祖語で *suHargás、印欧祖語で *sh₂ul̥-gʷḿ̥-s と再建されていて、その成り立ちは *sóh₂wl̥ + *gʷem- つまり「sun-going (“going to the sun”)」という原義になる。
बाग़ (bāġ)
サンスクリット系の単語には、「エデンの園」のように原始の地上の楽園を表す語はないので、エデンの「園」を訳すときにはずばり「庭園」を意味する बाग़ (bāġ) や बाग़ीचा (bāġīcā) が使われる。बाग़ (bāġ)はペルシャ語だが印欧語根 *bʰeh₂g- (“to divide, distribute, allot”) につながる単語だ。
गगन (gagan)
これらの相関から、気になっていた単語がある。ヒンディー語の गगन (gagan) だ。 意味は “sky”。 גַּן (gan) あるいは स्वर्ग (swarg) の語根 *gʷem- と何か関係があるのだろうか。残念ながら、いずれも関係がないようだ。サンスクリット गगन (gagana) から来ているが、その先のことはよくわかっていない。
「天界」というニュアンスからは離れるが「天空」を意味する語では他に、 आकाश (ākāś) や आसमान (āsmān) がある。
आकाश (ākāś)
これはサンスクリット起源。分解すると आ (ā́, “towards”) + काश (kāśa, “shining”)で、語根 काश् (kāś) は 印欧祖語 *kʷeḱ- (“to see, look”) に遡る。ギリシャ語には関連した語があるようだが、この語根につながるゲルマン語やイタリック語はなかった。銀河のことを आकाशगंगा (ākāś-gaṅgā 天のガンジス河[恒河])というが、この語が天体や宇宙と結びついた文脈でよく出るのは、 輝く星のイメージが含まれるからだろう。
आसमान (āsmān)
これはペルシャ語 آسمان (āsmān) から。再建された印欧祖語は *h₂éḱmō だが、*h₂éḱmō は他の語派では “stone” を意味する。英語の hammer や サンスクリットの अश्मन् (aśman) “precious stone” と同語源。なぜ「石」が「天」につながるのか不思議だが、石で造った円蓋 (vault) を天蓋に見立てたのだろうか。星を宝石に見立てたのか。面白いことに、*h₂éḱmō を ゲルマン祖語の *himinaz、さらにはそこから英語の heaven につなげて考える説もあるようだ。
heaven の語源は、他には語根 *kem-「覆う」に*ak-「鋭い」を付けた *akman-/akmen-「石、鋭い石」が語源だとする見方もある。鋭い石というのは先に行くにつれ尖る、つまり全方位アーチ状の天蓋 (vault) ということだ。こちらも「天の石造りの天蓋」というニュアンスを語源と考えているようだ。KDEEには『古代人の天文学によれば天は7または9の層を成し, 各層ごとに天体が固着していた』という面白い補足情報もある。KDEEは heaven の語根を確定していないので、語根表には出ていない。
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*kemen, *kamen-, *akmen-, *kamer- と諸説ある
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heavenとつながるかは不明
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と言う意味で覆うことにも関連がありそう
heavenとつながるかは不明
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hammerとの関連からheavenとつながるとみている
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ニュアンスの違い
फ़िरदौस (firdaus) や जन्नत (jannat) はキリスト教やイスラム教の「楽園」のイメージを強く持っている。स्वर्ग (swarg) は「天や天国」で heaven と同じように一般的にどんな文脈でも使える。गगन (gagan) は詩や名前に使われる。日常で「空」という時にはあまり使わない。आकाश (ākāś) は「天や空」で一般に使い、名前にも使う。輝く天体や宇宙と結びついた文脈でよく出る。आसमान (āsmān) は「天や空」で一般によく使い、青い空のイメージが似合う。