#103. チェスのもとになったシャトランジ *tek- [chess/shāh/क्षत्रिय]
chess や check の語源は ペルシャ語 shāh(王)の借入である。この称号について語源の旅をしてみたい。
シャー(shāh شاه)の称号の由来は、古代のアケメネス朝ペルシャにまで遡り、イランだけでなくイランのイスラーム文化の影響を受けたテュルクやモンゴル系(インドのムガル帝国やトルコのオスマン帝国など)の王侯でも称号や人名などにも広く使われた。シャーだけで使う場合もあるが、シャーハンシャー(Šāhanšāh 諸王の王)やパードシャー(پادشاه pādshāh 皇帝)という様々なバリエーションになっても現れる。
ちなみに、パードシャーはインドではバードシャー (बादशाह / بَادْشَاہ bādśāh) と、pではなくbで言う。理由は恐らく、pād (پاد / पाद) がヒンディー語では「おなら」を意味するから...。
なお、同じように皇帝や王を指し、漢語で「汗」と書く خان (xân ハーン) や قَان (qān カーン) は古テュルク語からペルシャ語に入ったものだ。
シャー(shāh شاه)というペルシャ語は、古代ペルシャ語で「支配」を意味する *xšayah を元とする「支配する者・王」という意味の χšāyaθiya- に由来する。 *xšayah は他に王の名前「クセルクセス (Xšayāršā 諸王の支配者)」や、太守という意味の称号「クシャサパーヴァ(xšaçapāvā 王土の守護者)」の一部となっている。この古代ペルシャ語の クシャサパーヴァ(xšaçapāvā) と同じ意味のメディア語が「クシャトラパーワン(*xšaθrapāwan-)」で、これがギリシャ語 σατράπης (satrápēs)、ラテン語 satrapēs を介し、英語の サトラップ satrapの語源になっている。
古代ペルシャ語の *xšayah は インド・イラン祖語の *kšáyati 「支配する」という言葉に遡るのだが、同語根のサンスクリットの動詞は क्षयति (kṣáyati) で、支配者のことは क्षत्रिय (kṣatriya) という。そう、クシャトリヤだ。
サンスクリットには似たような音で क्षेत्र (kṣetra 領域) という言葉があり、前述の「王土 (xšaça-)」と関係があるかと思ったが、これはまた違う語根のようだった。しかし驚いたのは、क्षेत्र (kṣetra) という音が漢語に伝わると刹多羅(せつたら)や差多羅(さたら)となり、そこから由緒ある古いお寺のことを「名刹」や「古刹」というようになったと言うことだ。「てら」の語源には様々な説があるが、क्षेत्र (kṣetra) → 刹多羅 (せつたら) → てら(寺) とみる考えもあるようだ。
क्षत्रिय (kṣatriya クシャトリヤ) や シャー(shāh شاه)につながる *kšáyati は 印欧語根 *tek- (“力を得る,制御を得る”) につながる。対して、क्षेत्र (kṣetra 領域) は印欧祖語は*tḱéytrom (”居住地”) さらに究極に遡ると *tḱéyti (=*teḱ- (“子を持つ”) + *-éyti [動詞語尾]) と、形は似ているものの、意味が違う語根のようだ。この辺りはヘレニック語派にしか対応がないようで、ゲルマニックやイタリックから類推するニュアンスがくみ取りにくく感じる。
サンスクリットで क्ष (kṣa) から始まる語がよくあり、インド・イラン語派の特徴的な音のように思うが、印欧祖語との関連の規則性がよくわからない。再建されている語根が様々で、別々の音から1つの音に集約してきているような感じだ。もしかすると、中央アジアの基層言語の影響かとも思う。これは今後の課題として考えていきたい。
Skt - PIA - PII - PIE
क्षत्रिय (kṣatriya) - *kṣatríyas - *kšatríyas - *tek-
क्षमा (kṣamā́) - *ḍẓʰáHs - *ȷ́ʰžʰáHs - *dʰǵʰḿ̥h₂s
क्षीर (kṣīrá) - - *kšiHrám - *swēyd-
क्षेत्र (kṣetra) - *ṭṣáytram - *ćšáytram - *tḱéytrom
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話は遠回りしたが、chess や check は shah, satrap, Xerxes や kshatriya と同語源ということになる。
話を chess に戻すと、ボードゲームのチェスの起源は、紀元前300年ごろのインドと言われる。ヨーロッパにはアラビアから伝わった。チェスのことをアラビアではシャトランジ شَطْرَنْج (šaṭranj) というが、これはペルシャ語 شترنگ (šatrang) 、さらに遡ってサンスクリットの चतुरङ्ग (caturaṅga) 「チャトゥランガ」に遡る。चतुरङ्ग (caturaṅga) の意味は चतुर् (catur, “four”) + अङ्ग (aṅga, “ member”) で、もとは4軍でするゲームだったかもしれない。その名残なのか、インドでは4人でする पचीसी (pacīsī パチーシー)というボードゲームがある。そしてムガル帝国の王都の跡、アグラに近いファテープル・シークリーの王宮の遺跡に行くと、そのパチーシーを王侯が人を駒にして並べて遊んだ、パチーシーの中庭を今でも見ることができる。
シャトランジの駒は、王(シャー)はそのままキングだが、他の駒の種類や動きがチェスと若干異なる。
王(=キング)・大臣(斜め4方向に1マス)・象(斜め4方向に2マス)・馬(=ナイト)・戦車(=ルーク)・歩兵(=ポーン)
インドではほかにもボードゲームが古くから一般に遊ばれている。インドの暑季(4月~5月)は灼熱で日中に出歩くことができないほどなので、屋内にこもって子どもたちが時間を過ごすのにかかせない。5月は学校も休みになるほど熱いのだが、日本ではゴールデンウイーク時期にあたり、初めてインドに行く人が日中に観光をできるだけしようと外を出歩いて体を壊してしまう可能性が高い。野外に出るのが必須の史跡めぐりが絡む観光はこの時期は行かない方が良い。
インドで人気のボードゲームは以下の通り。お土産に買うなら、路上で売り付けられるつまらない置物よりは、こういう物の方がいいかもしれない。個人的には次回はクリケットのバットを買って来たいが...。