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元アスペ(今も?)思いのままに書いたら手紙を書くことはよかったって話

わたしは小さい頃から一つのことに集中するのが得意だった

特に好きなものに対しては周りを見ずに熱中していた。

小学生の頃は折り紙が大好きで授業中も気にせずやっていたり

スポーツも…そうだったのかな?途中で朝練行くの嫌だったけど大会でそれなり成績出してたからそうだったかも

そしてコミュ障なのかアスペなのか、人のことなど鑑みず、言いたいことはズケズケいうタイプで空気が読めないというやつである

20代の途中までは気にせずそんな感じでいた。

なんで自分がはぶられるのか

嫌われるのか

相手が悪いと思っていた


もちろん空気読まずに言いたい放題だったからであろう


そんな中こんな本に出会った

小さなことから自分が変わる―あなたの人生がうまくいく10の大切なルール https://www.amazon.co.jp/dp/4837955770/ref=cm_sw_r_cp_api_i_YV1Z2GVYWWKZ16F2P2X1

これを読んでいた時期は全てが自分が元凶だと思い込み、目から鱗(そういう本ではない

そして仕事などでそれからは何でもかんでも自分のせいにした


もう極端すぎである


そして、自分を変えよう

と一大決心をしようとした。

どんなに腑に落ちなくても

どんなに理不尽でもすぐに自分の本心を言わないようにしよう…と

するとどうだろうか…

アイデンティティを失う?

自分という存在がなくなるようなきがして

とてもそのようにはできないのだと思った

涙も溢れた

空気の読めない性格を「面白いね」とほめてもらったと思っていたからだろうか

今ではそれが誉め言葉だったのかは定かではないけど…


当時歯医者、職場に迷惑をかけていた

出勤時間や予約時間に遅刻やギリギリが当たり前の日常だった

なので手紙を書いて反省した気持ちを綴って渡した

するとどうだろうか

とても相手に響いた

それまでキツく怒られるように対応されていたのがものすごく和らいだ

手紙は素晴らしかった

何故そこまでできたのかはわからない

今だれかに手紙を書くなんてやらないだろう



ただこれだけは言える

手紙は文章を書く練習になるし

話すのが下手な人はすごく勉強になる。

読み返しておかしくないか、チェックしながらやっていくとおかしな点がたくさんでてくる。

私は話すのが下手だし、言葉選びも上手くはない

今回は浮かんだ言葉をそのまま書いてみたけど後々読み返したらひどいのかもしれない

けど話すことの練習になるのなら、と考えると気にはならないものだ

手紙を出すのは億劫なら出さない手紙を書くのも良いことだと思う。

私はメンタルがよわいほうだったが、紙に書き出して吐き出すことによってマシになった気はする

本当はツイッターは自分に向いていないと書こうとしたんだけど話が逸れて手紙がいいなって流れに…やっぱアスペだわ私

ツイッターは今まで思ったことをポンポン、相手に対してもクソリプをたくさん送っていた

趣味に関してでは幸いいい人達と巡り会えていた

最近はこのクソリプマウンティングぽくね?とか相手は共感なんて求めてないよな?チラ裏かけばよくね?となりツイッターをうまく利用できていないのである。

そう、何も考えず、相手のことも何も考えずにぽんぽんやってしまう

まさにアスペ

それを受け入れてくれる心の広い人達が相手だとしても、「わたしが合わせてやってる」なんて他人宛愚痴ツイートを見てしまうと「ああやっぱ気を使わせているから絡むのやめよう」などと思ってしまう

まあツイッターなんて掃き溜めだし本来思いの丈を綴り、嫌な奴は相手しないのが正しい使い方とは思うけど…


うん、まあ話すのが上手くなれるといいなと願いを込めて練習がてらnoteをはじめてみたのでした書くのも好きって気づいたしね

まる





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