金は愛なり。
・最近、親や実家への恨みつらみを書き散らしている。親の言葉で傷つくたびに、窓ガラスを叩き割るように、瓶を地面に叩きつけるように、その破片で頬が切れても、書かずにはいられない。
・中学生か高校生の時に虐待についての本を読んでいて、そこで自分の親の"躾"が虐待の一つとも考えられることを知った。
・暴言やお金を条件に出して言うことを聞かせる一種の脅迫など、うちではよくあることだった。
「口答えするな」「怒らせるな」「困らせるな」「どうして怒ってるかわからないの?」「言うこと聞かないならお金出さないから」「誰のおかげで生活できてると思ってるの?」等々、常に家のどこかからか怒鳴り声が聞こえてくるのが普通だと思っていた。
違うらしいけど。
僕は常に親の顔色を窺って生活していた。水の中で使える空気がもう残っていない時のような苦しさがずっとあった気がする。
・ベランダや外に閉め出されることもよくあった。
一度弟とベランダに出されて、しばらく中に入れてもらえなかったことがある。あの時二人で見た冬の星空は異様に綺麗だった。「綺麗だね」「そうだね」と話した時の弟はまだ声変わりもしていなかったが、今では彼ももう二十歳だ。弟のことは今でも大好きで、仲もいいと思う。誕生日プレゼントも送り合っている。元気でいて欲しい。
・僕は無事に実家が嫌いになってしまった。しばらく滞在していると体調が悪くなる。今年からは社会人なので、あまり近づきたくない。年末年始に行かなくても許されたい。
・でも両親は、勉強のためのお金は惜しまず出してくれた。海外研修にも、13歳〜20歳までの間で4回も行かせてもらっている。3歳で始めた英語の塾は、高校を卒業するまで続けさせてくれた。僕は勉強が好きだった。勉強のための投資は、僕が唯一親の愛を感じられるものだった。お金は愛だ。
僕はたくさん勉強した。……と思う。知識はたくさん吸収できているはずだ。だから僕は知ることができた。自分のいる環境が健全でないことに。
・果たして僕が受けたものは愛なんだろうか。僕はずっと不思議に思っている。例えば僕が彼らの言葉で死んでしまっても、それは愛だったと言えば許されるんだろうか。
・僕は今、両親の愛はお金でしか感じられない。
ありがとう、今僕は、あなた方との関係がとても悲しいです。あなた方の居ないところで幸せになっています。僕の幸せの中にあなた方は居ません。ごめんなさい。
・僕はもうすぐ大学を卒業する。つまり彼らからの投資も終わる。僕はそれが無くなっても、彼らからの愛を感じることができるだろうか?
・ずっとずっと、お金じゃない(両親からの)愛が欲しいくてたまらない。