日記になるはずだった、実家が帰る場所じゃなくなってる話
・今めちゃくちゃスウェーデンに行きたい。ゴットランド島というところがとても綺麗らしい。
・年末年始に実家に居る間、ずっとヨルシカを聴いていた。『エルマ』とか『だから僕は音楽を辞めた』のアルバムを聴いていると、動揺して波立っていた心が凪いでいく。
浅い呼吸も動悸も胃のあたりの気持ち悪さも、ちょっとだけ軽くなる。
音楽って不思議だ。
・帰省、しんどかった。
よく「実家のような安心感」という表現を耳にするしよく使うけれど、僕は実家の安心感なんて知らない。だから「実家のような安心感」を本当に理解することはできないんだなと最近気づいた。
実家は戦場みたいなもので、実家に居ることは僕にとっては戦いだ。
だから本当は「帰省」という言葉もあまり使いたくない。実家は帰る場所ではないから。僕が帰るべき場所はもう今住んでいる東京であり、実家は「行く」場所だ。
・こう思ってしまうことに対して、時々ものすごく悲しくなる。
実家は苦しい場所だった。怒鳴られて、詰られて、否定される場所。泣いていると怒られるから、トイレかベッドの中で声を押し殺して泣いていた。
心療内科に通い始める時に両親とはそれなりに和解したが、実家に行くと未だに拒否反応が出る。電車に乗っている時点で実家が近づくと胃が痛くなってくるし、しばらく滞在するとご飯が食べられなくなる。食欲も湧かないし、食べてもすぐに気持ち悪くなってしまう。
その事実自体が今は苦しい。
実家なのに気を許せない、居場所が無いと思ってしまう、家族なのに疎外感を感じる。
どうして他のみんなは持っている家族に対する安心感を僕は持てないんだろうと、22歳にもなってずっと考えてしまう。
他人が羨ましい。
僕が持ってないものを持っている人たちがみんな妬ましい。
・多分、僕が弟妹のことを好きでいられるのは、ちゃんと他人だと割り切れているからなんだと思う。要は友だちと同じ括りに入っているということ。話も合うし、趣味も似てて、一緒にいて楽しい人たち。家族だという感覚がそこまで無いから、無条件で好かれたいとか、わかって欲しいとも思わない。あと彼らに人格を否定されたことも無いし。
それなのに、両親のことはいつまで経っても割り切れない。あんなにも傷つけられてきたのに、まだ僕をわかって欲しいと思ってしまう。そんなの無理だとわかっていても、無条件に愛されたかったし、弟や妹たちと同じように褒めて欲しかった。
「誰のおかげで生活できてると思ってんだ」って、自分が望んで産んだ人間に対して言っちゃダメなんじゃないか…?僕、生きたくて生きてるなんて言ったことないよ。僕は生まれてきたくなかったし、ずっとずっとずっとずっと死にたかった。親が僕を育てたくて育ててるんじゃないなら、もう死んでいいかなとその時強く思った。
だって僕も僕が必要じゃないのに、親すら僕を必要だと思ってないなら生きてなくてもいいだろ。
実家はそういう場所だった。
・東京は、そういう僕を特に何の文句も言わずに受け入れてくれた。僕に興味が無いだけだと思うけど。街を歩くほとんどの人は知らない人だし、お互いに興味なんて全然無い。興味が無いから否定もされないし、相手に求めるものも特に無い。そういう人がたくさんいる。
僕にとってはそれが紛れもなく「安心感」を抱く対象だった。
・実家から東京に戻る時、多摩川を超えたあたりから徐々に見えてくるビル群を見ると安心するようになった。
これから僕は解放される。家の中で否定もされないし、怒鳴られないし、声を殺して泣かなくてもいい。かつてそうだった場所から無事に戻って来れた。
ほっとする。
それから、「僕はこの安心感を実家で味わうことは無いんだろうな」と思ってまた少し悲しくなる。
でももう、それでいいような気もしている。
僕には僕の愛したい人たちがいるから、彼ら彼女らがいる街に僕は居ればいい。
東京が好き。
僕はここで生きていたいよ。
・でもやっぱスウェーデンは行きたい。旅行でいいから。お金を貯めよう。
・日記のはずが、ただの実家に対する愚痴になってしまった。いつもなぜか関係ない話に飛んでいたりする。
これが飛躍の年ってこと?
違いますね。すみません。終わります。