夏だね。
わたしにとって、夏はちょっと、というかかなり寂しい季節だ。
私も親も家族だけど相手のことを理解することは絶対に不可能だと気づき、家族は結局他者であると理解し、わたしは親が人間として好きじゃないとわかってしまい、挙句家出を本気で考えていた季節だから。
これは中学生の頃の話で、そのくらいの歳の子供ならよくあることだと思われがちだけど、でもそれって当事者じゃないならいくらでも言えるんだよな。
わたしにはそのとき夢もあったし、友だちも彼氏もいて、だけど満たされないどころか苦しかった。家族に否定されることが、家に居場所がないことがつらかった。
そのうち生きるのもしんどくなっちゃって、死のう死のうとずっと思っていた。
あんまり人には言ってないけど未遂まで行った。
死ななくてよかったなと今は思う。
人は良くも悪くも一人だし、絶対に他者とは完全には理解し合えないのに、人の善性に期待してしまって、結果期待とは違って裏切られたような気持ちになる。
家族なら余計に、信じたくなってしまう。
そんなの当たり前だ。
だって周りのみんなは家族には無条件に認められてほどよく自己肯定感を育てられながら生活しているのに。テレビでは罪を犯した自分の子供の味方でいる親も見るのに。
でもよく考えたら家族も結局自分じゃないし、自分じゃない人に自分のことは理解できない。共感できてもそれは完全に理解したってことにはならない。
高校生になったくらいのとき、どうして血が繋がってるだけの他人に、こんなに期待してたんだろうと思った。
本人たちは愛してるつもりなんだろうけど、
形がおかしい。わたしには合わない。
わたしが自殺しようとするまでわたしを傷つけておいて、何が愛なんだ。
世の中の人間がそれも愛と呼ぶのなら、わたしは他人からの愛なんていらない。
わたしだけがわたしを愛して生きていくよ。
家族だから理解できるとか、死にたいと思うほど傷つけられても愛せるとか、それは必ずしも成立する神話じゃない。
というかそんなに苦しい思いをさせられても自分を傷つけた相手を愛せる人間は本当にすごい。
神聖視してしまう。
家族について、今はもう諦めている。
うつ病になって病院に行くにあたって一応和解はしたけど、わたしを傷つけた人間をそれでも許して愛せるほどわたしは慈悲深くない。
わたしは聖人でも教祖でもない、ただの人間だ。
自分を愛して自分のために生きていきたい人間なんだ。
世界には自分と自分以外しかいないし、自分にとって自分は一人しかいない。
自分を理解できる可能性のある人間は自分しかいない(自分でも自分がわからなくなってしまう時もあるかもしれないけど)。
わたしは世界を知るために生きているのでまだ死にたくないし、最近は自分のことも好きだ。自分が必要だし、自分の知りたいことを知るためにこれからも生きたい。
周りに期待しなくてもいいように、自分をちゃんと信じたい。
大人になるってそういうことなのかなあって大人になってから考えてるけど、大人でもわからないことはわかりません。
中学生のわたしはよく覚えておくように。
テストに出ます。
また独り言にしては長くなってしまった。
7月になったので思い出しました。
夏はこれでもう21回目です。