僕が考える塾の役割
塾は楽しい。前述のように僕は小学校2年のときから塾に通っていたが、そこでは他の学校の友達ができて、成績順位も明確で、先生も面白い。学校は、成績順位をつけてはいるものの結果は明らかにされない(してはいけない)ので、ぼやけた結果、ひいては不明確な目的のもとに成り立っていた。更には昔は「塾は悪」とされていて、学校の先生から目の敵にされた。これについての考察は学校教育にも関連するので今後の課題とする。
さて、今回は僕が考える塾の役割について、子守を兼ねた習い事としての塾などではなく、受験という目的がある塾について述べる。近況も鑑みて中学受験を目的として設定する。求められる役割は単純に1つ、「ゴール設定が明確」ということに尽きる。最終ゴールが「志望校合格」として、そこから逆算して、今年度末のゴール(到達度)、今月末のゴール、今回の授業のゴール、少なくともこの4つが明確に提示される必要がある。また、その到達度チェックがシビアでなければならない。逆にそれらが完備されていれば授業自体は極論として普段は省略してもよい。普段のペースメーカとしての役割を果たしていれば、実際の授業は直前の傾向対策などで十分かと考える。
何事においてもいえることではあるが、「ゴール設定」は存在して当たり前のようで実は曖昧になりやすい。「あれもこれも」と欲張ったり「もっと大事なことがある」などとその場の口実により曇りが生じる。塾の授業1回にしてもそのゴールが明確に提示されていないと意味がない。雑談や説教などが含まれても良いが、それで終始してはいけない。塾に行く目的が「志望校合格」であり1回の授業がそこから逆算した内容の日数割の1コマでないといけない。逆に塾に「勉強の習慣」や「人間の成長」などの他の要素を求めてはいけない。多くを求めるから何が主題であるかが曖昧になり、結局は時間の浪費とされる「学校」という概念を塾に持ち込んではいけない。
実際に子供が塾に通って1年が経った。子供が行きたいといったから行かせた塾ではあったが、実際には僕が求める役割を十分に果たしていると思ったので行かせた塾でもあった。テキスト、オンライン授業、毎回のテスト、月に1回のテスト、全てを実際に確認したが、驚くほど良くできている。毎回のゴール設定が明確で到達度チェックがシビアである。到達度チェックは既習の内容で全て達成できる構成になっている。僕が子供の頃に外部生として受けたある塾の模擬試験では、上の学年の内容を先取りした出題がされて、実は内部生だけ先に教わっており、結果、「内部生の方が点数が高いので本塾は有用です」などとアピールをされた記憶があるが、ここの塾は実に正攻法である。蛇足ながら、講師の先生には申し訳ないが、今のところオンライン授業はペースメーカとしての役割が中心で、低学年の内容でもあるためか「受けないと勿体ない」という程のインパクトはなかった。子供の実際の到達度はともかく(本当は一番大事なのだけれど)、僕が塾に求めるものは本当に揃っていた。
自分が塾に通っていた頃や大学生になって塾の講師をしていた頃などから、社会人になって子供を持つようになって、また塾への考え方が変わってきている。結局は「シンプルにゴールを目指す」という何事にも通じる方法論に基づいているのだろうか。さらに考察をすすめたい。