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芸術と経済(2) ーウィリアム・モリス(1)ー

 芸術と経済について、だいぶ前に書いたきり止まっていたので、間が空いてしまったけれど続きを書いてみようと思う。

 今でこそ、仕事としてデザインを、また創作活動で詩や美術表現をやっているが、学部生時代は一般大学で政治経済学を専攻していた。志があって入った訳ではなく、只のなりゆきだったことは芸術と経済(1)で書いた。

 大学入学当初、「経世済民」の理念(世を治め民を苦しみから済(すく)う、という概念)には大きく感じるものがあったが、経済学の授業の多くがあまりにも市場経済に寄っていると感じて、ほとんど興味が持てずに授業にはすぐに出なくなった。(実際には、様々な経済の種類や在り方についての授業がたくさんあったのだが。視野の狭い入学当初の自分にはそれらが見えなかった。当時、僕は資本主義に対してほとんど生理的嫌悪、憎しみに近い感情を持っていた。)

 代わりに授業はほとんどそっちのけでサークル活動や、課外活動での「デザインごっこ」に熱中していた。振り返れば、当時のそれは「デザインごっこ」とは言え、当時の自分なりに真剣に取り組んでいたため、徐々にデザインの思想や歴史にものめり込んでいった。

 そして、やがて経済とデザインが密接な結びつきを持っていることが分かり、学部3回生の頃には経済に対する関心もそれなりに強くなっていた。そして、所属していたゼミがイギリス経済史でもあったため、最終的に卒業論文として「ウィリアム・モリスのデザイン思想と方法論、その今日的意義」というテーマで論文を書いたのだった。

 卒業論文では、モリスが生きた産業革命と、現代の情報革命を重ねるように、ラディカルな変革期にある時代状況においてのデザインの真の在り方というものを考察した。資本主義とそれを駆動させている現代デザイン状況への提言として、モリスにひとつの答えを見たのだ。

 ウィリアム・モリスは近代デザインの父と評される、イギリスの産業革命期を生きた、デザイナーであり、詩人である。彼の肩書きを列挙するととてつもない人だったということがわかる。

「詩人、作家、画家、デザイナー、実業家、翻訳家、手稿本彩色家、カリグラファー、染織工芸研究家、美術館アドヴァイザー、園芸家、古建造物保護活動家、社会主義活動家、自然環境保護推進者、古書蒐集家、出版・発行人」

< 引用元:『図説 ウィリアム・モリス ヴィクトリア朝を越えた巨人』, ダーリング・ブルース ダーリング・常田益代, 河出書房新社, 2008 p4 より >

 以上がモリスの肩書きとなる。モリスは単なるデザイナーではなかった。詩人でもあり、活動家でもあった。純粋芸術(Fine Art)、応用美術(Design)に限らない総合的な芸術運動を行った、超人、巨人であった。

 芸術と経済というテーマを語る上で、デザイン、そして近代デザインの父、ウィリアム・モリスは避けては通れないと思うので、しばらくは自身の卒業論文を参照しながら、モリスについて語っていきたいと思う。ウィリアム・モリスについて語るとなると、文章がかなり膨大となってしまうだろうから、モリスについては、記事を跨いで、数回にわけて書いていきたいと思う。

 なぜ彼が近代デザインの父と評されるのか?その活動と遺した作品、また彼の思想について語っていきたい。彼の思想と表現、運動は時代が進むにつれ、また資本主義が加速するほどに極めて有効性を持ってくるだろう。

 今回は、まず、現代という時代と、現代のデザインについて触れたい。そこで、論文の序を紹介したい。(2010年に執筆したものだが、それほど大きくは状況は変わっていないように思えるため、未だ有効性がある論文だと個人的には思っている。)


ー序ー

 ー 現代社会はデザインに溢れている。デザインは経済活動と密接に関わり、たとえば、企業が生産するすべての「財・サービス」にはもれなくデザインが施されているから、生活者が日常で接するあらゆるものがデザインされているということになる。また、消費者の購買欲を喚起すべく、様々なメディアを介して展開される「アドバタイズメント」も当然デザインされているし、それから、企業自身、CI(コーポレート・アイデンティティ)やVI(ヴィジュアル・アイデンティティ)などにより「ブランド」をデザインし、経営資源として重宝して、市場でしのぎを削っている。

 21 世紀を迎えた現代社会は、一層デザインが氾濫する世界となっている。20 世紀の終わりに、一般に普及し始めたコンピュータやモバイルによるインターネット環境は、「情報革命」と呼ばれるほどのラディカルな変革をコミュニケーション環境にもたらし、従来の社会構造を大きく変化させた。インターネット世界に築かれたバーチャル空間においては世界の物理的境界線はなくなり、財・サービスは無形化・非物質化の傾向を強め、ありとあらゆるものが情報という単位に還元されている。そして、そのありとあらゆる情報はもれなくデザインの対象となっている。いまや、デザインは、形の無い非物質的な情報群までをも対象領域として扱っているのである。

 このような「デザインの洪水」の中で生活する人々のデザインに対する理解はどうであるか?多くの人々が「デザイン」という単語を聞いて、即座に連想するのは「造形・図案・模様」など視覚的性格の強いものであると思われる。すなわち「デザイン=見た目」という図式であり、平面的な見た目やモノの表面に施された装飾などについてイメージしているように思われる。

 しかしながら、実際にはデザインとは、「見た目」に限らず、ずっと多義的でより広範な意味を含んだ概念である。「○○デザイン」のように接頭語を付加すると、デザインが単に視覚的性格のみを指示する概念でないことが容易に理解されるはずだ。

 たとえば、「プロダクトデザイン」や「インダストリアルデザイン」という場合には、工業製品というボリュームのある個物がイメージされ、使い勝手や使い心地などの「機能美」という性格が思い起こされ、視覚的性格は第二義的に感じられるだろうし、他にも、「都市デザイン」や「環境デザイン」であれば、「総合設計」という性格が強調されて、造形的性格や機能美的性格もそれに内包されるように思われる。それから、「ライフデザイン」や「キャリアデザイン」ということになれば、「計画・設計」の性格が強められ、もはや視覚的ニュアンスは無いに等しい。

 したがって、「デザイン=見た目」という図式による理解は、デザイン概念の極めて限定的で狭量的な捉え方である。これは、おそらく、マスメディアを介したマスコミュニケーションによって条件づけられた偏った認識で、むしろ「スタイリング」と呼ばれる方法で、内容を変えずに表面の形態だけを変えるというものである。そして、残念なことに、この「スタイリング=デザイン」という貧しい認識は、デザイン受信者である生活者のみならず、デザイン発信者である企業やデザイナーにおいてさえも未だ支配的なようにように思われる。即時的な利益を獲得すべく、デザインを単なる装飾と捉えて、都合の良いモデルチェンジを繰り返して購買を煽り立てるという風潮は根強く残っている。

 ただし、先に挙げた「ライフデザイン」や「キャリアデザイン」、「都市デザイン」「環境デザイン」という用語が、「○○プランニング」でなく「○○デザイン」という言葉に置換されていること、そして、これらの用語が日常レベルに浸透し、耳にする機会の多いものとなってきていることを見るに、社会規模でデザインの再認識・再定義がなされているという機運も強く感じられる。

 「デザイン=スタイリング」という限定的な認識であっても、有形の対象物を扱ってきたこれまでの世界観においては有効であったかもしれない。しかし、無形で非物質的な情報群が行き交うインターネット世界においては、もはやその公式は通用しない。いずれにせよ、ますます加速度的に複雑さを増し捉えづらくなっていく世界に対して、デザインの要請は高まりを見せているし、その真価を改めて問い直さねばなるまい。

 過渡期といえるだろう、この劇的なる局面において、今一度デザインの起源に迫ること、すなわち、近代デザインの原点として位置づけられる、ウィリアム・モリス( William Morris,1834-1896)への接近を試みることは極めて重要である。

 社会環境の劇的な変化によって、デザインの要請は一層の高まりを見せつつも、一方で、未知の領域を目の前に、従来の環境で培われてきたものを十分に咀嚼、反芻もせずに、強引に突き進もうとする姿勢には注意しなければならない。モリスの生きた時代と今日とでは異次元ほどにその様相は異なるけれど、ラディカルな社会変革という類似点においてアナロジーを試みるならば、モリスが問題とし取り組んだ事柄は、きっと今日的にも有意義に浮上してくるに違いない。

 産業革命後の激動のイギリス社会の中で、ウィリアム・モリスが醸成したデザイン思想と方法論とはいかなるものであったのか? そして、それは今日的状況においてどのような意味を持つのか?

「デザインの洪水」の中にあって、デザインの発信者たる企業およびデザイナーはどのような思想を持ちデザインを発信していくべきなのか? そして、生活者はデザインとどのように関わっていくべきなのか?

 本稿の目的は、ウィリアム・モリスのデザイン思想とその方法論を分析し、今日的に有効なモデルを抽出、再新再生を意図するものである。本稿を概略すると、まず当時のイギリスの社会的・経済的背景を概観することから出発し、当時のデザイン状況へと接近、これを踏まえてモリスの生涯にわたる活動を探っていく。そこからモリスの理念とデザインの方法論を掴み取り、今日的デザイン状況への応用的考察を図るというものである。ー


 モリスの生きた時代、そしてモリスのデザイン思想と方法論について、芸術と経済というテーマで、政治経済学の卒業論文を扱いながら、次回以降の投稿でしばらく綴っていきたいと思う。


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