渋谷のTSUTAYAが無くなった
渋谷のTSUTAYAが無くなる。
そのニュースを最初に聞いたのは今年の8月、丁度東京旅行をしている最中だった。
大学の4年間東京に住んでいた私が、地元へ戻るかどうか悩んだ原因の一つが、渋谷のTSUTAYAだった。
初めて渋谷のTSUTAYAを訪れた時の衝撃はいまだに忘れない。
山手線渋谷駅を降り、スクランブル交差点に立てば、目の前にズドンと佇む巨大なビル。これ全部がTSUTAYAだというのだから、東京で山を買おうと思っていた私は、それはそれは驚いた。我が地元のTSUTAYAなど、平屋でワンフロアしかないというのに――
私は専ら、TSUTAYAではCDを借りる。
地元のTSUTAYAでは、CDレンタルの棚は一列だ。この一列にアニソンから、J‐POP、洋楽までをカバーしている。(それも数年前にカード売り場になってしまったのだが)
それに比べて、渋谷のTSUTAYAは3階全フロアと4階の一部がCDの棚だ。フロア一帯にずらりと並ぶCD。地元では絶対に手に入らなかった数々のCDが平然と並んでいる。大学1年の春。私はほぼ毎日のように渋谷のTSUTAYAに入り浸っていたと思う。
確かに私もサブスクで音楽を聴いたりする。でも、TSUTAYAにもいく。
アマゾンからSpotify等々々、数多の音楽サブスクが溢れる中でわざわざTSUTAYAに行くというのは、交通事故に会うのと似ている。
物理店舗には、ネットにはない偶然の出会いと仕方なさがある。ネット通販やサブスクは確かに便利だし、『あなたにおすすめ』と、紹介されるもはどれも最高のチョイスだ。(FANZAさんいつもありがとうございます)
しかし、それにはある一定、限界がある。それは私の興味の及ぶ範囲、知識の及ぶ範囲だけの出会いしかないという事だ。
私は、時にその向こうにあるものに出会いたい時がある。
物理店舗に行けば、自分の全く興味のない物、そしてそれを手にする人を否が応でも目にする。
時に、その中から、自分が全く予期していなかった何かに衝突される。まさに交通事故だ。
実際、渋谷のTSUTAYAに通い始めてから、私の貧相だった興味の幅や、知識の及ぶ範囲、知見は驚くべき程に広がった。
TSUTAYAでは当時(今もか?)、5本借りれば1000円になり、10本借りれば、2000円で済むというサービスをしていた。最初の内は興味のあるCDを借りれば、5本や10本などすぐに埋まってしまうのだが、たまにあと一本、あと2本足りないという時がある。そういう時は率先して、私は当たり屋になる。そしてその事故は大抵、プラスにならずとも、マイナスにもならない。
その結果、私のプレイリストは一貫性がなく、多くの人に情緒不安定を疑われる。(プリキュアの後に芸能山口組が流れたり、あいみょんの次にバカボンが流れたりする)
東京を離れ、地元へ帰る時、本当に悩んだ。
悩みぬいて悩みぬいて、10円ハゲにもなった。
更地になった頭皮の上に建っていたのが、渋谷のTSUTAYAだ。
秋葉原や中野、高円寺へ気軽に遊びに行けなくなる。それももちろん嫌だった。
だが、それにもまして、渋谷のTSUTAYAは私の生活に密着しすぎていた。
私にとって、渋谷のTSUTAYAがない場所に移り住むという事は、水洗トイレのない家へ越すぐらいの嫌さだ。
だが、そのTSUTAYAも先日、10月31日で無くなった。
厳密に言えば、CD・DVDレンタルを終了するだけで、書籍やCD類の販売は継続、来年にはおしゃれなカフェも出来るらしい。
それでも、なんだか物悲しい。個人的な感情で何かの是非を問うのは愚かだとは思うが、物悲しいから仕方がない。
思い出の場所が無くなると、まるでその思い出そのものも消えてしまうような気がする。
でも、世の中の全ての事は変わり移ろう。
当然思い出は消えないし、生まれ変わった渋谷のTSUTAYAはまた誰かの思い出の場所になる。
私も大人なので、ぐちぐちいうのはやめよう。
行く当てを失った「SHIBUYA TSUTAYAの思い出」は、私のウォークマンの中にそっとしまっておこうと思う。
再生ボタンを押せば、またすぐ思い出は再生されるのだから。