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灼熱の山を登れ!!
中学生の時、卓球部へ入部したのは、卓球が好きだったからではない。
「なんか楽そうだから」ただそれだけの理由からだ。
今日はそんな話だ。
かと言って、別段卓球が楽しくなかったわけではない。俗に言う「濃いメンツ」(ヤングは仲間内をこう形容しないとならないのだ)に囲まれ、ここで書くのははばかられるほど下品な猥談や馬鹿馬鹿しいこともした。(水風船を壁にぶつけたり、AVを破壊して回ったり)
もちろん、卓球にも打ち込んでいた。
最初は市内最弱レベルだった我々もそれなりに戦績を残せるように成長したし、負けることが悔しくなったりもした。
だが、今にして思えば決して卓球が好きだったのではない。あの場所、卓球部室と言う場所。そしてその場にいた個性豊かで将来有望な童貞たちが好きだったのだ。
だから、高校に進学した時、卓球部に入ろうとは思わなかった。自分の趣味趣向や属性、立ち位置なんかが分かり始めて来たお年頃。漫画部や文芸部、食指をくすぐる部活は沢山ある。ここは一丁、自分の好きなものにハイスクールデイズを捧げてみようではないか!
高校生活がスタートしてから3週間。
私は帰宅部になった。漫画云々、文芸云々も覗いてみたのだがどうやらそこに自分の居場所はなかったようだ。結果、友人もロクに出来ないまま最悪のスタートを切っていた。
誘われたのはトイレだった。未だにその光景を思い出し、一字一句書き起こすことも出来る。
席が近く、いまいち新生活の波に乘れていなかった彼は私の横に立ち「部活決めた?」と言ったのである。私が帰宅部にしようと思う旨を伝えると
「俺、登山部気になってるんだよね。よかったら、一緒に見に行かない?」
ゆくことになった。
登山。
昔からキャンプや自然でのアクティビティは好きだったし、なにより皆で仲良く山登りなんて想像しただけで楽しい。
↑楽しい登山のイメージ
覗いた部室はあまりに狭かったが、そこに全員入るだけの部員しかいなかった。同級は1人だけ。初日は体験だという事で、テントを中庭に張ってその中で湯を沸かし、ココアを飲んだ。(私はココアが飲めないが、この時は我慢した。いや、我慢して余りあるほどの楽しさがあったのだ)
次の日には入部届を出し、晴れて私は登山部となったのである。
毎日の練習もさして苦では無かった。近くにあるお城の外周を回ったり、荷物を背負って鬼ごっこをしたり、先輩方も全員良い人たちばかりであった。
新たな居場所を見つけた私は高校に入って初めて、充足感を得ていた。同級の友人も出来、健康的な汗を流す。まさにバラ色の日々が始まろうとしていたのだ。
「来週、山いくよ」
入部して1ヵ月。いよいよこの時が来た。山登りに行けるのだ。前日の練習では登山部らしく、ザックに荷物を詰め、装備をチェックした。重量を量り、行動表を作成したり、普通の部活ではあまり見られない準備に私のテンションはぶち上がった。
豊かな自然の中で親交を深めながら登り、頂上では達成感に酔いしれる。所謂部活の試合がこんなにも楽しみだったことはない。
結論から言えば。
帰りのバスで私は早くも後悔をしはじめていた。
登山。
きっとそう聞いて皆さんの頭に浮かぶのはハイキングのイメージではないだろうか? 少なくとも私はそうだった。
それはあまりにも、あまりにも浅はかな考えだったのだ。
↑現実
部活でやる登山は世間一般で言われるようなハイキングではなく、競技登山と呼ばれるものだ。何が違うのか? ものすごく簡単に言えば競技登山はスポーツ、ハイキングは遊びだ。
マラソン選手が駄弁りながら話さないように、競技登山も歩行中は私語厳禁。
友好を深める機会など、夜の自由時間ぐらいしかないのだ。
そして、そもそも私が中学時代卓球部に入ったのは「なんか、楽そうだから」
そんな男が山登りなんかハナから出来るわけないのだ。
山登りは急傾斜を、相当重量の荷物を背負って行かなければならないだけでなく、いつ終わるとも知れぬ道中を必死に耐え抜く、強靭な精神力が必要。
素晴らしいことに私はこの体力と精神力、どちらも持ち合わせていなかった。
達成感? 頂上にいられるのは長くても20分。へとへとな上に、これを降りなければならないという徒労に達成感など湧くわけが無かった。
競技登山は山に登るだけで終わりではない。正式な大会になると気象予報のテストや植生、救急医療に関する筆記テスト(割とガチめなやつ)があり、正に知力、体力、精神力、その全てを必要とするスポーツなのである。
唯一の楽しい夜の自由時間。
張ったテントにランタンを灯し、夜が更けるまで語りあ…………えなかった。
新しい物を買う予算が付かなかったのか、我々は3人用のテントに4人で寝ていた。川の字になれば身動きは取れず、すぐそこには人の顔がある。
一日汗を掻いた男と密着したまま一晩過ごすのは想像を絶する苦痛だった。
加えて、我が母校は自称進学校。度が過ぎるほどの真面目ちゃんだった部員たちは、語り合うどころか問題集を取り出し、宿題、予習復習と忙しい。
私は仕方なく、ウォークマンを取り出し、曲を聞きながら目をつぶった。
それでも辞めなかったことに深い理由はない。
単純に部活を辞めるという行為が越えてはならない一線のような気がしていたし、もうここ以外に居場所を作る気力は多分なかった。
だから私はその後も山へ登り続けた。
時に蛇に襲われ。
時に断崖絶壁を命綱なしで渡り。
とにかく、登って登って登りつくした。(いや、尽くしてはいないが)
夏休みが終わって9月になった。
休み明け一発目の登山は直ぐにやって来た。場所はもう忘れてしまったが、その日の天気は今も忘れない。
9月初旬。空は晴れ渡り、雲の欠片も無い。容赦なく照り付ける太陽。気温は35℃を回っていたのではないだろうか。
これまでのパターンから言えば早朝に入山し、朝の涼しいうちに辛い行程を終えてしまおうというものだった。
しかし、この日登り始めたのは午前11時。
ただでさえ熱い晩夏の昼。気温はこれからぐんぐん上がり、恐らく頂上前後では極に達するのではないか?
そんな不安を他所に、顧問連中は気の狂った提案をし始める。
雨雲が接近しているので、体を冷やさないようカッパを着用して登るべし―
正気か?
通常登山用のカッパは通気性があり、適度に熱を冷却しながら風雨をしのいでくれる。ただし、入部して半月の私を含め部員の多くはごくごく普通のカッパしか持っていなかった。(登山用のカッパは中々の良いお値段がするのだ)
雨雲の気配は皆無の山道。
炎天下の中、私はカッパを着こんで必死に先を急ぐ。通気性が無く、分厚いナイロンで覆われたそれは最早カッパではなく、サウナスーツに近かった。
15㎏の荷物。そして、サウナスーツ。
汗はしとどに溢れ、視界を阻むほど。歩行ペースを乱すと全員に迷惑が掛かるので自分のペースでは歩めない。ただただ、無心での行軍。
どこのスポ根マンガだろう。私は「なんか楽そうだから」で部活を決めた男なのだ。
1時間したところで私は吐き気を覚え始めた。
足元がふらついてよろけそうになる。
そして何より怖かったのが、こんなに汗を掻いていながら寒さを感じていた事だ。
脇の下あたりからゾゾゾッと沸き上がって来る居心地の悪い寒さ。
「大丈夫?」
と後ろをゆく副顧問の声で私は立ち止まっていた事に気が付く。
相当顔色が悪かったのか、副顧問は私をパーティーから切り離し休憩を貰う事になった。
座ると言うより、倒れ込むと言った方が良かったのかもしれない。
山の斜面にぐったりと身を据えても吐き気は止まらない。
持って来たポカリが幾らか気持ちを落ち着けてくれたが、代わりに頭が割れるように痛くなってきた。
今思えば熱中症にかかっていたのかもしれない。
見上げた空に雲は微塵も無い。
私は少し前に流行った「死ぬかと思った」という本を思い出していた。もし自分に死ぬかと思った瞬間があれば今だな、と。
副顧問は優しく、落ち着くまで座っていていいと言ってくれる。
つくづく、過酷な部活だな、と休みながら考えた。
でも、これはこれでありかなとも思った。過酷なことに変わりはないが、決してスパルタなわけではない。結局は自分との勝負なのだ。
恐らく、自分はこの後下山させられるだろう。だが、いつかこの山を意気揚々と登ってやろうではないか。
この死ぬかと思った体験をばねにするんだ!
30分ばかり休憩した後、副顧問が突然立ち上がる。
電話でもなんでも、私が離脱する旨を伝えてくれるのか?
「よし、あと少しだから。頑張って、登ろう」
ぜってぇ辞めてやる― 私はその時固く誓った。
PS:この1年後に私は部活を辞めるのだが、それはまた、別のお話。
遅ればせながらあけましておめでとうございます、今年度も諸星モヨヨを心の片隅に………
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