恋リアやオーディション番組が苦手だった理由が分かったかもしれない(たった5日で #ノノガ にハマった人間のネタバレ無し日記)
競争の場に置かれたら何が何でも一番になりたいと思うくらいには負けず嫌いだから、私は競争が好きなのだと思ってたけど、どうもそうではないようだと気づいたのはいつのことだったか。私のファイターな性格を知る人は決まって「またまた笑。ご冗談を」と笑うけれど、本当だ。「負けず嫌い」と「競争嫌い」は似て非なるもので、両立する。
考えてみれば、私がこれまでの人生でなんだかものすごく嫌だなと拒否反応を示していたのは、どれも「競争」が絡んでいた。
オーディション番組、恋愛リアリティーショー、AKB総選挙。
またまた、あなた「ASAYAN」観てる世代でしょう?と問われたら、実は観ておらず、番組の存在を知ったのはモー娘。が売れてからだ。「あいのり」はクラスの子が楽しげに話しているところに、ふーん、と相槌を打っていただけで一度も観たことがない。「バチェラー」は観ようと友人に誘われたからシーズン1の5話くらいまでは観たけれど、これが世間の流行…なぜ…と5話分の時間じゅう、ずっと心の中でモヤモヤしていた。AKB総選挙はさすがに断片的に動画を観たり結果を気にしたりはしたものの、総選挙の話をするときは常に健康に悪い感情を身に纏う感覚があった。ジャンキーな感情。悪くて、飲み込まれそうで、それでいて魅惑的な感情。
オーディション番組も、恋愛リアリティーショーも、AKB総選挙も、たぶん私が拒絶していた本質は全部同じだ。
人の感情を食い潰しているあの感覚に耐えられないのだ。
人を競わせて追い込んで醜い感情を剥き出しにさせている品の無さに耐えられないのだ。
人を否定して落としていくあの感じに耐えられないのだ。
それでいて、観るとそれを楽しいと思ってしまう自分が、嫌なのだ。
5日前にノーノーガールズのことを知った。身長、体重、年齢、容姿は何も問わない。これまでにパフォーマンス以外の理由で「ノー」と言われてきた子たちのためのオーディション。ちゃんみなが打ち立てたこのコンセプトがもう好きだった。この番組なら、私が拒絶していた要素がないかもしれない。教えてもらった翌日にYouTubeで観始めて一気に5話まで観た。
1秒たりとも、誰かを褒めるために誰かを貶していない。ストレートにパフォーマンスを讃えて、決して存在を否定しない。もちろん順位もつけない。剥き出しの感情は存在するけど、それを「編集した作品」として食い潰していない。そのおかげか、オーディション番組にありがちなギスギスが一切なく、全員が仲が良かった。(実際には人だから合う合わないはあっただろうけど、それを編集の「甘い汁」として使っていない)
ノーノーガールズの審査で落とすときに使われる言葉は「(課題の提示)この課題をクリアするのは、⚪︎⚪︎ちゃんはまだちょっと時間がかかる」という、ちゃんみなが生み出した「時間がかかる構文」だ。流行ってほしい。
でも、この手の企画を「世界一やさしいオーディション」とかの陳腐なキャッチフレーズで流行らせて消費しないでほしい。
なぜなら、競争や喧嘩をさせなくても面白いコンテンツを作れることが世界に浸透するのは、まだちょっと時間がかかるからだ。
ーーーーー
ここからはネタバレありで個々の名前を出しつつ語る私のリリックなので観てる人だけHere we go!!
ここから先は
¥ 300
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?