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ビニール袋の未知と灼熱①【ハノイ、ルアンバパーン】

 2024年4月29日。疲れていた。めちゃくちゃ疲れていた。めちゃくちゃ疲れながら、私はいつもの迷彩柄のでかいノースフェイスのバックパック(腰のベルトがついていないのですべての重量を肩で支えなければならないというタウン仕様)を背負って、のそのそと道を歩いていた。

 今回の行先は、30歳にして人生初の東南アジアだった。自分でも驚きだが、私はタイにもベトナムにもカンボジアにも行ったことがない。なんとなくいつでも行けそうなのと、周りがみんな行っているのでささやかな反骨精神があったのと(そんなみんなが行くような場所に行ってたまるかという、実に器の小さい話)、基本的に暑い場所が嫌いという理由から、どうにも足が延びなかった。ただ、2024年のゴールデンウィークは、最初の土日にどうしても参加したい野外ロックフェスがあった(アラバキロックフェスという東北地方最大の野外フェス)ので、どうしても日数が限られることから、移動時間の少ない海外で、一番面白そうなところに行こうと思い立ったのだ。

 東南アジアの中で一番気になっていたのはラオスだった。最近知り合った面白い――と一言で片づけるにははばかられるほどユニークな――知人が、ラオスにドはまりしていることも大きな要因だった。こいつが面白いという国なのであれば、多分面白いんだろう。そんなわけで行くことにした。何があるのかは全然知らなかった。

 ところが、恐ろしいほど準備の時間がなかった。前回来訪したジョージアも、相当準備していなかったけれど、ラオスはそれを上回る準備時間のなさだった。とにかくせっかく行くのだから、滞在時間を最大にしたかったので、東北地方で開催されるロックフェスの翌日の便をとっていた。なので、朝、まず仙台から東京まで移動し、荷物を入れ替え(ロックフェスも野外キャンプ付きなのでそれなりの荷物になった)、成田空港まで行かなければならなかった。3日ほど有給をとるので、連休直前は仕事を絶対に残せない気持ちで、旅の準備なんか一つもしている時間がなかった。だから、当然ながら宿は一つも調べられなかった。行きたい方面(北部か、南部か)だけは決めていたが、交通手段であるラオス高速鉄道が事前に予約できず、到着した日にどこまでたどり着けるかわからなかったので、調べようがなかったというのもある。二日間の野外フェスをフルでこなした足はすでに棒と化しており、出発時点で死ぬほどくたくただった。もうなんか、帰ってこられればいいや。私は半分諦めに近い気持ちで、重い体を引きずりながら、気力だけで空港に向かっていた。

 ラオスには直行便がない。私はハノイで乗り継ぐことにしていた。ベトナムすら初めてだ。空港に降り立つと、すっかり夜にもかかわらず、沖縄とは一線を画するむわっとした熱気に包まれた。暑い国に、暑い時期に来たのは初めてだった。寒いのはいくらでも大丈夫なのだけれど、この熱気の中で果たして無事に帰れるだろうか……。

 ハノイはトランジットだが、一晩は宿泊することにしていた。到着が21時過ぎと遅かったので欲張らず、空港近くのホテルでそこそこマシそうなところを、成田空港で飛行機を待っている時間になんとか確保していた。ホテルまでの交通手段としは、ベトナムでメジャーな配車アプリ「Grab」を利用するつもりだった。グーグルマップに表示されていたピックアップスポットに向かって歩いていると、途中で空港Wi-Fiが切れた。なんてこった。1日のトランジットの為にわざわざSIMカードを契約なんてしていないので、Wi-Fiが切れるとGrabの配車もできなくなってしまう。ひとまず歩いていると、Grabのユニフォームを着た男に話しかけられた。アプリを介さず声をかけてくる時点で怪しさマックスだったが、もう一度空港まで戻るのも面倒だったし、提示された金額も、まあ多少ぼったくりは入っているのかもしれないが許容範囲だったので、乗せてもらうことにする。

 彼は私を自分の車の場所に連れて行った。なんとそこにあったのは、実に普通の原付だった。すっかり自家用車を想像していたのでしこたまウケてしまった。Grabに慣れている皆さんには全く普通のことなのだろうけど、こんなでかいバックパック背負って、まさかバイクに乗ることになるとは。

 衝撃的ではあったが、バイクは好きだし、ありがたく乗車する。むわむわした熱気の中をバイクで走ると、まるで風は別人みたいに私を心地よく癒した。バイクが主流になる気持ちはわかるなと思う。いささか道路状況が不安定で、時々どきっとするほど弾むこと以外、それなりに快適なトリップだった。

 10分ほどでホテルに到着する。夜遅いチェックインだったけれど、感じのいいオーナーだった。翌日が9:30のフライトなんだと言ったら、7:30にはここを出たほうがいいといわれた。手荷物預けもないのに絶対早すぎるだろうと思ったけれど、海外の空港は結構マジで何が起こるかわからないのでおとなしく従っておくことにした。朝食は6時に来いと言われた。それも絶対早すぎるだろうと思ったけれど、とりあえず従っておくことにした。朝は得意だ。

 部屋は鬼のように暑かったがエアコンはかろうじて機能したし、シャワーブースとトイレがガラス張りで妙にセクシーなこと以外はそれなりに快適だった。シャワーもお湯が出たし、ドライヤーもついていた。この程度で満点を出せるのだから私も安上がりである。ベッドのスプリングはお世辞にも快適は言えなかったけれど、そもそもくたくただったので、気づいたら眠りに落ちていた。

 それでもあまりよく眠れなくて、6時の朝食も余裕過ぎておつりがくるくらいだった。朝食は、いくつかのフォーから選ぶことができた。せっかくベトナムに来たのだからと、牛肉のフォーを食べる。やや麺が柔らかすぎるきらいはあったけれど、パクチーがしっかり効いていて、塩気もちょうどよく、かなり満足度は高かった。朝からおいしいものが食べられて幸せだなあと本当にひねりのない感想を抱いた。

 7:30に出発すればいいという話だが、6:30には朝食は終わっていて、案の定1時間ひまだった。せっかくなのでホテル周辺を歩いてみることにする。

 朝のハノイは、夜のそれほど暑すぎず、車通りも控えめで、気持ちのいい場所だった。犬がどこかでわんわんと吠え、軒先でおばちゃんたちが何やら談笑していた。みんな声がでかくて面白い。早朝からバレーボールを楽しむおばちゃんとじじいたちもいた。暑すぎるからみんな朝から遊ぶんだろうな。猫と鶏を同じケージで飼っている家もあった。どういう発想があったらそうなるんだろう。ごみごみした街並みの雰囲気は、海外によくある雰囲気だったけど、路地に中国らしい飾りがあって、アジアだなあと思った。

 そのようにして私は旅について考えていた。一昨年初めてインドに10日間行って、次にモロッコに20日間行って、年末年始にジョージアへ10日間行って、今、ラオスに向けて旅立とうとしている。私の中で旅というものが、手に取って触れる形になってきた感触があった。

 旅の面白さは想像にあると思う。ハノイの路地裏にある廃墟に放置された、カラカラに乾燥した一輪のバラを見たとき、私はその裏側のストーリーを無限に想像する。何年も前にこの廃墟で果たされなかった約束があったのかもしれない。それとも、誰かが一世一代の告白をして不幸な失敗をして、自暴自棄になって放置したのかもしれない。知らないほうが楽しめることはいくらでもある。私が行く場所は、たいてい「どうしていくの?」「何があるの?」と聞かれる場所ばかりだ。でもそんなの、わかったら行く意味がないだろうと思う。入念に下調べをして、見たいものをリストアップして、ガイドブック中に付箋を貼って、それを「確認」することよりも、何があるか想像もつかない場所に行って、わけのわからない体験をして、すべてを楽しんで帰ってくることの方が、私は好きなのだ。もちろん、前者を否定するものではないけれど。

 そんなことを考えていたら、結構いい時間になっていた。路地裏散策ってなんでこんなに楽しいのだろう?宿に戻り、Grabで車を呼んで、ハノイ空港に向かう。案の定、チェックインは30分くらいで終わった。

 ハノイからラオスは2時間もかからない距離だ。陸路で行く客も多いのだろう、搭乗客も少なかった。あっという間に空港に着く。飛行機を降りて最初に思ったのは空港のにおいだった。臭いわけではないのだけど、どことなく野趣っぽいというか、味わい深いというか、なんだか不思議なにおいがした。気温はそれなりに暑かったが、覚悟していたほどではなかった。

 今回も無事ロストバゲッジはなく、スムーズに入国。さて、何はともあれ電波と現金だ。空港のレートは当然のように悲劇的だったが、SIMカードは驚くべき安さだった(7日間、15GBで2$)。無事ラオスの電話番号を入手し、配車アプリ「Loca」と高速鉄道の予約アプリ「LCR Ticket」のアカウントを作成した(上記、ラオス旅に必須の2つのアプリは、ラオスの電話番号がないと予約できないアグレッシブな仕様である)。さて、用意は整った。

 到着したのはビエンチャンというラオスの首都だが、観光的な目玉は少ないようだったので、その日中にルアンバパーンという北部の都市に行くことにしていた。ルアンバパーンはラオスでおそらくもっとも有名な都市で、町全体が世界遺産に指定されている。鉄道、バス、飛行機で行くことができ、近年開通したラオス高速鉄道に乗れば、ビエンチャンからは2時間程度で到着できる距離だった。

Locaでビエンチャンの鉄道駅に向かう。駅は、空港とは真反対の場所にあり(しかもビエンチャンの中心部にあるわけでもない)、40分くらい時間がかかった。とはいえ、どうにか予定の電車の30分以上前には到着できて一安心。謎の弁当みたいなものを駅構内で購入し、無事に列車に乗り込んだ。二等席が直前で売り切れたのでやむなく一等席に乗ったが、中国資本なだけあって、それなりに豪華だった。日本の新幹線より乗り心地は良かったかもしれない。

 車窓から見える景色は、乾いた畑か、水没した(あるいはあえて進水させているのかもしれない)畑か、気まぐれな牛たちだった。2時間の乗車時間で、「町」らしきものを見たのは本当に数えるくらいだった。

 ルアンバパーンに到着した。案の定駅は中心部から離れた場所に位置していた。下調べをしていなかったので、乗り合いバスがあるのを知らず、ラグジュアリーにLocaを呼んでしまった。鉄道の車内で予約しておいたゲストハウスまで直接車で行けたのは良かったかもしれない。ドライバーは車内でルアンバパーンのいくつかのおすすめを教えてくれた。どうやらでかい滝があるらしいということ、ラオ・ウイスキーなるものがあるらしいということはかろうじて覚えた。

 ゲストハウスは、ルアンバパーンのメインストリート沿いにあって、便利だけれど雰囲気はひどくツーリスト向けった。いや、ツーリストなんですけどね。わかってるよ。

内装はこぎれいで、冷蔵庫みたいにキンキンに冷えていた。嬉しいけど、ちょっと文明的すぎて辟易していた。とりあえず、ゲストハウスで販売していたビアラオ(ラオスのビール)を購入。ヴァイツェンはかなりおいしかった。暑いというか、もはや熱い。ずっと熱中症みたいな気分だ。

 一休みして、とりあえず街を見てみたかったので、自転車を借りることにした。ルアンバパーンの街は、なぜかどの道も緩やかに下っているみたいに走りやすい。いくつかのお寺を見た。ルアンバパーンはお寺が目玉の都市だからだ。心震えるほど美しいお寺というより、いい意味で神聖さがないというか、日常的な雰囲気があった。オレンジ色の僧衣をまとった少年たちが無邪気に遊んでいた。

 メコン川沿いを自転車で走る。ちょうど夕陽が落ちるところだった。メコン川はサンセットクルーズみたいなのがウリらしく、不可思議なラオスミュージックと共に、げじげじみたいに細長いボートがぬるぬると水面を滑っていた。白鳥というにはいささか汚れすぎている鳥が田舎のヤンキーみたいに川辺にたむろして、気まぐれに喧嘩をしていた。メコン川の夕陽、かなりおすすめです。

自転車で気まぐれに走り回っていると、いつの間にかメインストリートから離れており、ローカルなエリアに入り込んでいた。バイクに囲まれながら道を進んでいると、二輪車専用の橋が目の前に突然現れ、回避する道がなく、「これ、いいんか~~?!」と叫びながらバイクに混ざって自転車で渡った。暴走するバッファローの群れに巻き込まれた哀れなホルスタインみたいだった。

 橋を渡った先はちょうどささやかなローカルマーケットになっていた。そこではおばちゃんたちが、両手で包み込めるくらいの大きさの、パンパンのビニール袋に、今ちょうど作り終わりました!というくらい生き生きした得体のしれないお惣菜を詰めて売っていた。そんな売り方あるのか。私はすっかり面白くなって、いくつかのよくわからないお惣菜を購入した。英語は通じないので、何が何だか全く分からない。名前の売れている料理を食べたいのに、全然行きつけない。おばちゃんは、いくつかのおかずと、ラオスの主食であるもち米(カオニャオと呼ぶ)をたっぷりビニールに詰めてくれた。当然のように箸はもらえなかった。箸使わないんだな……。

 周囲はすっかり日が落ちていた。お惣菜をかごに放り込んで、再びバッファローの群れに混ざり、私はルアンバパーンの目玉の一つ、ナイトマーケットに向かった。ルアンバパーンのナイトマーケットは、その巨大さから名を知られたスポットである。かなりのカオスさを期待して訪れたのだが、悲しきかな観光地、想像よりはるかに大衆的だった。これは個人的な感想だが、ニューヨークのタイムズスクエアを見たときの気分と似ていた(思っていたより大したことないよね?)。

さすがに箸なしで食べる勇気はこの時点ではなかったので(あくまで“この時点では”だが)、市場内をぐるぐるした後、ラオス料理の一つ「ラープ」を食べることにした。一応名前のあるやつ。でも一番おいしかったのは、おばちゃんから買ったソーセージみたいなやつだった(後から聞いたらサイウアというらしい)。甘くて辛すぎなくて食感もたまらない。めちゃくちゃもち米に合う。ラオス料理は全体的に辛くて甘いので味覚が忙しい。
 それから、あまりにも暑いのでフルーツジュースも買った。ラオスは果物が安いので、マンゴスチンとマンゴーという豪華な組み合わせでも500円しないところがいい。

ラープ
マンゴスチン

ナイトマーケットは豪華だったけれどやっぱり大衆的すぎるという印象だった。ルアンバパーンをものすごく気に入るという可能性はこの時点でそれほど高くなさそうに思った。少なくとも翌日1日を路地裏散策で使うことは難しいかもしれない。もう結構な夜だったけれど、適当なツアー会社のデスクに入り、おすすめのツアーをいくつか聞いてみた。みんなそろってドライバーがおすすめしてきたでかい滝のツアーをおすすめしたけれど、私としてはあまり興味がなかった(水着を持っていなかったし、絶対日本の滝の方がでかくてかっこいいと思う)。メコン川を船で俎上さえできればいい。

 すると、2つ目のツアーデスクのおっちゃんが親切で、公共が運行しているシェアボートがあると教えてくれた。時間も場所も結構あいまいだったけれど、安く済むならそれでいい。翌日の予定も無事に決まり(ほぼ何も決まってないのと同じだったけれど)、ゲストハウスに戻った。1日目にしては上出来すぎるくらいだ。ついつい詰め込み過ぎてしまう癖が治らないなあと内心思いながら、キンキンの部屋で私はようやく眠りについた。


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