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あの海岸を馬で走ったりしたい【その③】

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■2回目のモンゴル

 もう出オチみたいな感じだが、1回目のモンゴルで完全に取りつかれてしまった私は、大学4年の3月、つまり丸1年後に、全く同じ場所で行うそのツアーに再び参加した。
 このツアーは、リピーターが結構いる。重症患者(あえて患者といおう)になると、6回、7回の参加もいるほどだ。
 リピーターの面白さは、主催者との関係がある程度築かれているので、比較的よい馬(よく走る馬、早い馬など)に乗せてもらいやすいことがある。前述の通り、1回行くだけで運転免許級の乗馬時間なので、2回目ともなると相当乗れる状態で参加できる。1回だけだと、ツアー後半にようやく乗れるようになってきたところで終わってしまうので、患者たちはうっかりリピートしてしまうというわけだ。
 そんなわけで私は、大学卒業の卒業旅行シーズン、周囲の友人たちがイタリア、フランス、イギリスといった華々しいヨーロッパや、アメリカ横断という雄大なツアーを敢行するいる中、1人で風呂もトイレもないような中国のど田舎で馬に乗るだけのツアーに参加していた。(今思えばちょっとばかりもったいなかったかもしれない)

 前回、飛行機で参加してしまったので、2回目は大阪から船に乗る通常ルートにした。これがまた、非常に味わい深い経験であった。
 まず、私は船旅というものが好きだ。地面が振り子のように揺れる不安定な世界で、寝るか甲板で風に吹かれるくらいしかやることもない、あの何もなさが好きだ。国内だとせいぜい、関東から北海道までのフェリーくらいしか使うことがなく、一晩あればついてしまうものだった。ところが大阪から上海となると、朝10時に乗って、翌々日の10時につくみたいな世界観で、はっきりいって桁が違う。
 本当に何もやることがないので、この時点でツアー参加者同士はかなり仲良くなることができる(というより、仲良くならざるを得ないのだ)。

 2回目は、1回目ほど長い期間のツアーではなかったが、その分たくさん走ることができた。一度経験しているので、かなり遊ぶ余地があったのも思い出深い。
 あえて群れから遅れをとり、走りたがる馬を抑えに抑えて、限界まで待たせたうえで一気に走り、先頭まで走り抜けるあの爽快感は、今思い出してもちびりそうなくらいだ。あれより風が気持ちよかったことは、未だかつてないと思う。
 2回目のツアーで気に入った馬は、小さい白馬だった。1回目のツアーで気に入っていた“ちびくろ”ほど速歩は早くないが、小さいので揺れも少なく、よく走るいい馬だった。
 主催者と、仲良くなったリピーターと、馬で羊を追いかけて遊んだり、群れに戻りたがる馬を抑えて、どこまで遠くまで走れるか競走したり……このツアーでは、本当に自由に走らせてもらい、とても楽しかったことを記憶している。

■社会人、モンゴルの風の誘惑に負ける

 2回ものツアーを経て、私は社会人になった。配属は東京……と思っていたがまさかの東北で、人生まじでどうなるかわからなくて面白いな~と思ったことを覚えている(計画を乱されてこそ人生は味わい深くなると思う)。
 社会人となると、これだけ長期のツアーの参加は非常に難しい。また就職先は、それなりに忙しい職種であったので、私はモンゴルの思い出を胸に、今後は実直な社会人として立派に働いていこうという決意のもと、粛々と仕事をこなしていた。

そして、わずか半年後の夏。
私は再び、モンゴルにいた。

 読んでいる側からすれば、どんだけ行くんだよ、という感じだろうが、これが(今のところ)最後のツアーであることを先にお伝えしておく。
 要するに、結局全部で3回参加したというわけだ。

 日々の労働が地層のように両肩に積み重なる中、どうしても私は、あのモンゴルの海のように広がる荒野と、馬の体の熱さと、一体になって駆けたときの風を、忘れられなかった。
 私は、社会人最初の夏休みに、社会人の財力を発揮し、往復飛行機でツアーに参加した。

 3回目のツアーは、偶然にもリピーターが半数以上で、少しこなれた雰囲気だった。
 また、過去2回は春(3月)の参加で、初めての夏のツアーだったので、いくつか新しい発見があった。
 3月は春とはいえまさに大陸らしい極寒で、ヒートテック2枚にフリース2枚にダウンにスキーウェアにホッカイロを貼っても寒くて服が脱げないくらいなのだが、夏は半袖で過ごすことができる(夜は寒いが)。
 また、参加者も少しライトな雰囲気というか、ちょっときゃぴきゃぴしていて、毎日身だしなみを整えることが割と普通な感じだったし、宿泊地によっては水も出た(!)。春は、あまりの寒さに下着を変えるかどうか悩む程度にはギリギリの生活であり、春の参加者はちょっと頭がおかしいんだなと改めて思った(個人的には春の方が何となく好きだなとも思った)。

 この3回目のツアーでは、もちろんたくさんの馬に乗っているが、仲でもクリーム色(月毛というらしい)でやや胴体の太い馬と、白地に茶色のまだら模様の馬が印象的だった(後者はブチ、と呼んでいた)。ブチは、アラブ品種で、ちんまりした蒙古馬よりもすらっとしていた。細身だったので、小柄な私でも乗りやすく、また指示もよく聞く、素直でよい馬だった。何人か男性も乗ったが、なんとなく女性が乗ったほうが“似合う”という感じだった。
 前者のクリーム色の馬は結構暴れん坊で、1人を落馬させていた(しかもぬかるみのど真ん中で)。私が乗った時は、その1人が落馬した翌日だったように記憶している。落ちたときの光景が焼き付いていたからか、なんとなく、ちょっと止まらないような予感がしたものだ。そしてその予感は不幸にも的中した。
 草原を駆けるときは、止まらなくなってしまうことを避けるために、基本的には上り坂で駆け、下る前にスピードを緩めるようにする。この時もそのようにするはずだったのだが、たまたま鐙(足をひっかけるところ)から足が外れていたタイミングで、馬が下り坂に差し掛かってしまった。私はバランスを崩した自分をはっきりと認識した。ぐらり、不穏に上体が揺れ、あ、という間もなく、私はコロンと馬から転がり落ちた。初めての落馬だった。
落馬の瞬間を目撃した周囲からは、落ち方はよかったんだけど、と後から言われたが、自分では何が何だかわからないままに世界がぐるりと回転した感じだった。濁点のついた鈍い音がして、一瞬真っ黒になって、次の瞬間視界には内モンゴルの青空が広がっていた。ああ、ついに落ちた、初めて落ちた。そう思いながら、衝撃をごまかすように半笑いで立ち上がった時、顔の横をぬるりと暖かいものが流れ落ちた。私は反射的にそこに手をやって、それに触れた。

■初めての落馬、そして出血

とくとくと、とめどなく血が流れていた。モンゴル用にふざけて買った、安物の黄色のサングラスは、赤く染まって視界不良となり、捨てるつもりで買った古着屋のシャツに、ドラマのような赤黒い染みがゆっくりと広がっていった。
 あ、これちょっと、やばいかもしれない。そう思ったときの、底冷えするような恐怖感、こんな謎の海外の片隅で死んだらどうしようという不安感は、モンゴルの風の美しさと同じくらい強く私に刻み込まれた。
 主催者はてきぱきと私を車に乗せ、日本語も話せるスタッフの運転で現地の病院に行った。ずいぶん長く走ってきたように思っていたけれど、車で向かうと市街地まではあっという間で、止まらない血の恐怖と闘いながら急速に現実に引き戻されていく自分をどこか遠くから同時に見ていた。私は車内で、なんてことないふりをしたり、突然泣いたりした。控えめに言って、かなりのパニック状態だった。
 現地の病院は、日本とは比べ物にならないくらい汚い感じだった。スタッフは、診察の間同行しなかったので、全く言語のわからない医師に診察され、脳の輪切り写真を撮られた。内部には異常がなかったので、手当として、どうやら縫われるということになったのだ。頭を縫ったことなんて人生で一度もないので、私はビビりにビビり倒した。言語が通じないので、次に何が起こるか全くわからないというのも恐怖に拍車をかけていた。

 医者は何事か全くわからない説明しながら、私の頭に何かをぶすりと打ち込んだ。刺さるというより、強く何かを押し込まれた感じだった。今思えば麻酔だったのかもしれないが、そのあと数回にわたり行われた「ぶすり」もしっかり痛かったので、あの麻酔は全く効果がなかったんじゃないかと内心思っている。
 診察室に戻ってきたスタッフによれば、4針縫ったので、日本に帰ってから抜糸するようにということだった。なお、後から日本で抜糸したときにわかったことだが、実は3針だった。
 落馬したのはツアーの序盤だったので、私は翌日からけろっとして再び馬に乗っていた。とはいえ、やはり落馬の衝撃と恐怖は根強いものがあり、私はもう二度とそのクリーム色の馬には乗れなかったし、ブチに乗りながらも、どこか飛ばしきれないような、スピードへの恐怖を強く抱いている自分を意識していた。

 ツアーが終わり、日本に帰ってきた私は、馬を自在に走らせることへの恐怖を強く抱くようになった自分が、今後あの草原に言って同じように豊かな時間が過ごせるか、よく考えた。加えて、私が草原に求めているのは、馬なのか、はたまた、あの強い風と果てしない荒野のスケール感なのではないかと自問した。
振り返ってみれば、私がモンゴルに行きたくなるのは、大体があの風を感じたいことが動機で、馬はその次だった。つまりシンプルにいえば――今でも合言葉のように繰り返すのだが――、「でかくて」「広くて」「風が強い」場所ならどこだってよかったのだ。かくして私は自らの恐怖心を無理に押し殺すことをやめ、いったんモンゴルと、モンゴルの馬たちと、距離を置くことにしたのだった。

全然終わりません。まだ続きます。

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