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ジョージア、天国に一番近い国(9)マルシュルートカの功罪、小さな小さな秘密の村【ウシュグリ】

 1月3日。8日目。今思い返してもとんでもない日だった。
 この日はクタイシからマルシュでメスティアに向かう予定だったので、クタイシに到着した際、バスターミナルでクタイシからメスティアに向かうマルシュの時刻を聞いていた。事前のインターネット情報では、8時だとか10時だとか諸説あったのだが、2024年1月時点では、9時に出発予定ということだった。クタイシからメスティアに向かうマルシュは1日1本しかなく、人気路線であるため、念のため8:00にはゲストハウスを出発し、タクシーで8:15に到着していた。珍しく、雨の降る日だった。

 バスターミナルにはいくつか大型バスが止まっていた。身近なところにいた乗務員らしき男に「メスティア」というと、彼は言った。「メスティアに行きたいなら、いったん“ズグディディ”に行って乗り換えろ」
 前々日に確認していたあれはなんだったのか。もしかして45分待てば直行便がくるんじゃないのか。大量の疑問符を抱く我々であったが、有無を言わさずという感じでマルシュに乗せられた。いったいどうなっちゃうんだ。

 ズグディディとは、ジョージア最西部に位置する都市だ。メスティアへのアクセス手段はいくつかあって、クタイシからマルシュで行くパターンの他に、トビリシからズグディディまで電車に乗っていき、ズグディディからマルシュでメスティアに行く方法、トビリシから飛行機を使う方法がある。本来飛行機が最も早く、大して値段も高くないのでコスパ最高なのだが、オフシーズンは運行本数が少なく予約がとれないこと、プロペラ機なのでかなりの頻度で欠航することなどから、今回は陸路を選択したのだった。
 そんなわけで、ズグディディという都市の名前は認知していたし、そこからメスティアに向かうマルシュがあることも知ってはいた。知ってはいたが……きちんと接続されているのか、非常に不安だった。

 まあ、もう心配してもしょうがないし、行くしかない。私は最悪ズグディディを観光することまで覚悟した。この際帰りの飛行機に間に合えば過程はどうでもいいや。なんとかなるだろう。

 クタイシからズグディディに向かうマルシュは定時に出発するタイプのマルシュだったので、車内はガラガラのまま出発した。途中停車駅がやたら多く、意外なほど時間がかかった。
 車内で、メスティアの宿を確保した(ハットリさんにも同じ宿を伝えてしっかり確保いただく)。
 この日はメスティアに泊まり、翌日ウシュグリに日帰り(夜はメスティア泊)、翌日にトビリシまで帰るつもりだった。

 マルシュは12:00くらいにズグディディに到着した。ターミナルは意外なほど栄えていて、いくつか飲食店もあった。朝ごはんを食べていないのでお腹はぺこぺこだった。
 ドライバーに、我々がメスティアに行きたいことは伝わっていたので、マルシュを降りるところから丁寧にアテンドしてくれた。優しい。奇跡ともいえようが、メスティア行きのマルシュはちゃんと止まっていた。ただ、快適そのものだったズグディディ行きのマルシュとは大きくサイズが異なり、そこにいたのは、本当に普通の乗用車だった。


 当然のように、満員になってからの出発を予定しているようだったので、上着で席を確保し、近場の飲食店に入った。ここで食べたハチャプリがまじでジョージア旅行中で断トツ一番おいしかった!さらに「カツレツ」とやらを発見し、ゴリで食べられなかった雪辱を晴らすべくオーダー。想像していたカツレツでは全然なくて、オーストリのスープにちょっとさくっとする食感の牛肉が入っている感じ。謎すぎる。でもおいしかった。

 ご飯を食べていると、メスティアに向かうマルシュのドライバーが迎えに来てくれた。乗客が出そろったらしい。ばっちりのタイミングである。

 車に戻ると、なんと3人用のシートに4人、助手席に2人という、とんでもないすし詰め状態だった。これはひどい。しかも驚くなかれ、ズグディディからメスティアまでは5時間ものドライブなのだ。この状態で5時間、私のケツひょっとして爆発しちゃうんじゃないか?
 とはいえ乗らない選択肢はない。我々は仲良しの大学生グループくらいの距離感で地獄のドライブを開始した。

私たちの隣に2人います
ここで居眠りすんのすごいなと思った写真



 地獄のような乗り心地の車内で、再び工程について考える。ウシュグリに日帰りの予定だったが、本当はなんとかして1泊したかった。ハットリさんはメスティアまで行くというが、ウシュグリまでなんとかして連れ込めれば、タクシーがシェアできるのでちょっとは安く済むかもしれない。そもそも、乗っているマルシュの行先を示す看板には、「メスティア」と「ウシュグリ」が併記されていた。ひょっとしてウシュグリまで行ってくれるかもしれない。もし、この日にメスティアからウシュグリまで直行できれば、ウシュグリに一泊できる。考えれば考えるほど名案な気がした。山奥の村で泊まらずに帰ってくるなんて、そんなもったいないことがあっていいのか?という気がした。

 まずはハットリさんにウシュグリの魅力を語った。ハットリさんはもはや私についていく気満々だったので、ここの説得は全く苦労がなかった。身軽な旅人、助かるな~。
 次にドライバーに、ウシュグリまで行くことは可能かと聞いた。日帰り300GEL、1泊2日で350GELとのこと。二人で割れば175GELだ。サラリーマントラベラーの強みは金である。我々はドライバーに、このままウシュグリまで行ってくれるよう頼んだ。
 無事にウシュグリに行くことが決まったので、取ったばかりのメスティアの宿を1泊分キャンセルし、ウシュグリの宿を探して新たに予約。クセになる柔軟さだ。

 さて、メスティアには予定通り5時間ほどで到着した。休憩がてら一時下車して、メスティアのバスセンターのようなところで帰りのトビリシ行きのチケットを購入する(トビリシ行きのマルシュはやはり人気路線なので、席を確保するためにも事前に購入することがおすすめだ)。現金がないので銀行に立ち寄った。メスティアのレートなんて恐ろしく悪いのではないかなんて戦々恐々としていたが、思っていたより悪くなかった。再びマルシュ(というかもはやタクシーだが)に乗り込み、いざ、ウシュグリへ。

 ドライバーはいきなり1泊2日することになったのにもかかわらず、何一つ準備するそぶりを見せず、実にスムーズに出発した。海外におけるタクシードライバーたちの機動力にはいつも驚かされる。

 メスティアでは雨だったそれは、山に向かって進むにつれ、やがて雪に変わった。ウシュグリに向かう道はお世辞にも広いとは言えず、路面はぴしりと凍り付いていた。
 車は明らかにつるつる滑りながら走っていたし(なんなら途中で横向きに1回転した)、小さいけれど確実に「川」といえる水の流れを、ランクルでもない普通の乗用車で渡らなければならなかった。生きて帰れるか非常に不安だった。一抹の不安を覚える私とハットリさんを他所に、車内は謎の陽気なジョージアミュージックに支配されていた。

 突然、車が道の途中で停車した。ドライバーが何事かいいながら、窓の外を指さす。
 何かと思って見ると、そこには、ここスワネティ地方で最も有名な「復讐の塔」が立っていた。


 「復讐の塔」とは、スワネティ地方に伝わる伝統を象徴するものである。「血の復讐」といわれるその文化は、一族の身内が殺されたり、辱めを受けたりしたとき、その加害者の一族に全員で復讐するというものだ。いつ、誰のせいで自分たちが襲われるかわからなかったために、身を守るための塔を建てた。これが、「復讐の塔」である。あまりに物騒すぎる伝統である。
 基本は個人の所有物なので中に立ち入ることはできないというのが事前情報だった(唯一観光スポットとしてメスティアに1棟立ち入り可能な塔があるらしい)が、どうやらその復讐の塔の近くには民家もなく、出入り自由に見えた。私とハットリさんはもちろん塔の内部に侵入した。

 塔の内部は1フロア6畳くらいで、大人が立って歩くのも容易なくらいの高さがあり、見た目よりは広く感じた。各フロアは、とんでもない急角度でかけられたぐらつく梯子で行き来する形だった。窓がわりに四角い穴が壁にあけられており、明かりはそこからしか入ってこないため、内部はひどく暗かった。ここに息をひそめて、恐ろしい復讐の手が過ぎ去るのを待ったスヴァン人たちの息遣いが、部屋の隅から聞こえてきそうだった。

 再び車に乗ってウシュグリに向かう。道中、電波はほとんどなかった。ここで遭難したら終わりだなあ。
 数十分走るごとに、小さな集落が現れた。夏場は、これらの集落に泊まりながら、メスティアからウシュグリまでトレッキングをすることもできるそうだ。真冬の集落には人っ子一人見当たらず、復讐の塔だけがにょきにょきと不穏に生えていた。

 約2時間経ち、あたりが少しずつ薄暗くなってきた。絶え間なく雪が降っていて、太陽がみえないので、今どの程度日が沈みかけているのかわからなかった。
そしてようやく、運転手が薄暗い道の先にぼんやりと見える明かりを指さして言った。「ウシュグリ村だよ」

 山に囲まれたその村はひっそりと何かを待っているかのようだった。しきりに降り積もる雪は、なんとかしてその村を誰かから隠してしまおうとしているようにも見えた。

 かろうじて除雪されていた道路は、小川に面した広場のようなところで終結した。小さな細い橋が小川の向こうに続いていて、対岸には圧倒的な密度で復讐の塔や民家的なものが立ち並んでいたが、その橋は当然のように雪で閉ざされており、どこにも行きようがないように見えた。ドライバーが宿に電話をかける(集落ではかろうじて電波が通じた)と、やがて橋の向こうから、真っ赤な服を着てランタンを持った一人の女の子と、私がジョージアに来て見た中で一番大きくて立派な犬が1頭(もはや1“匹”とは表現しがたい)、さらに一回り小さい犬が1頭現れた。
 その様が、あまりにもこの雪深い村に似合っていて、ひょっとして川の向こう側は全部が絵画の世界なのではないかと思った。

 女の子と2頭の犬は、雪で閉ざされた橋をずんずんと踏みしだいてこちら側に来た(絵画ではなかった)。ここから先は歩いていくしかないらしい。重たいバックパックをしっかりと背負いなおし、足幅一本分程度の幅の踏み固められた雪の上を歩いた。村人がその足で踏みしめて作っているのだろう。
 2頭の犬は実に自然に、私とハットリさんの前に1頭ずつポジションをとった。近くで見ると本当に大きくて、怒らせたら一発で殺されそうだなと思った。
 民家の壁に設置された明かりが細い道を照らす。降りしきる雪に反射して、信じられないほど美しいイルミネーションを描き出していた。朝クタイシにいたときはまさか、今日ウシュグリに泊まることになるなんて思いもしていなかったのに、気づいたらとんでもないところまで来ていた。その事実に私はすっかり興奮していた。
 村はどこからから絶えず家畜のにおいが漂っていた。そのにおいは牛のようにも、これはもはや希望的観測だったが、馬のにおいのようにも感じた。

この向こうから現れたのだ
でかい!
ついた〜


 民家や復讐の塔の合間を抜けてたどり着いた宿――Old Houseは、当然のように私たちの貸切状態だった。ひょっとするとウシュグリ村に泊まっているのは私たちだけかもしれないとすら思った。シャワーやトイレは共用で、部屋はサイドテーブルをはさんでベッドが2台、小型のストーブがあるだけで、かなりコンパクトな作りだった。毛布はふかふかで温かかった。

 夕食は19:00からであった(ウシュグリ村には、ことオフシーズンにおいては、レストランはおろか売店すら存在しない)。夕食はまさに家庭料理という感じで、お肉がしっかりと詰まったロールキャベツのようなものや、お店で食べるより100倍美味しい味付けのナスのプハニなんかが出てきて、本当にどれも顔面がとろけるほどおいしく、私はばかみたいに“ゲムリエーリア!”を連呼した(ジョージア語で「おいしい」という意味である。私がいつも現地の言葉で覚えるようにしているのは、まずは挨拶、次にお礼、そして最後に「おいしい」だ)。

びっくりするほど階段が急
ロールキャベツみたいなやつだ!
どれもおいしかった
すっぱいやつ
このナスのプハニな〜〜〜!!!!
ホームメイドワイン
イカしてるポット
イカしてるインテリア
イカしてるカトラリー

 ひとしきり食べて満腹になったところで、私は内心姿勢を正し、迎えに来てくれた女の子に話しかけた(ジョージアでは子どもの方が英語を話せることが多い)。

「村に入った時、馬のようなにおいがしたけど、ひょっとしてここでは馬を飼ってるの?」
 ダメ元の質問である。これで飼っていたら、ひょっとして、ひょっとするかもしれないと思ったのだ。
 女の子は答えた。
「ウチでは飼ってないよ。近所の人はみんな飼ってる」
「馬に乗ったりすることもできるの?」
「友達にガイドがいるよ」

 来た。来た。来た。興奮して頭がかっと熱くなった。
 私は、海外で馬に乗るチャンスがあれば必ず乗ることにしている(旅行記を書いたモロッコのみならず、これまでに訪れたスリランカやウズベキスタンでも乗った)のだが、これは基本的にご縁だと思いたくて、事前に調べることはしないようにしている。ジョージアでは、3日目に訪れたカズベキで馬に乗る村人を見かけた瞬間から、いつか乗ることになるだろうと勝手に予感(期待)していたのだった。
 ついに来た。最高のタイミングで、最高の場所で、そのときが。

【参考】
私と馬の話は以下につらつらと。

 値段はもちろんそれなりにした(それでも170ラリ、約9,000円。日本だったら倍はしている)けれど、馬にはケチらないと決めていた。翌朝の集合時間を決め、私はウキウキで眠りについた。

 雪は粛々と降り続けていた。遠くの方から犬の鳴き声が聞こえていた。

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