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混沌と愛の国インド、美しき冬のラダック旅④ヌブラ渓谷編

 11月26日、4日目。晴れやかな空。ドライバーはきっかり7:00にやってきた。このあたりはさすがに、日本人が経営する旅行代理店である。付き添いとして、上甲さんの旦那さん(ザンスカール人)がいらしており、日本語も通じるので、朝ごはんがてら、近場の路地でteaとパンをご馳走してくれた。冬季はみんなやることがないので、一日中teaとパンを売っているらしい。
 ドライバーは前日のTashiと打って変わって寡黙な青年ーーjemmniと名乗ったーーであった(後からわかったが、寡黙なのではなく単に英語が話せないだけだった)。私は景色がよく見える助手席に座った。
 車はレーの街を黙々と北上した。街中を抜けると、一気に道幅が狭くなった。山肌にセロハンテープのように貼り付けられた道路をくねくねと辿り、私たちの車は果てしない高さにまで登った。一つカーブを曲がるたび、少しずつ車内が寒くなっていくのを感じた。私はなんだか指先がチリチリしびれ始めた気がして、念の為高山病の薬を飲んだ。
 眼下に小さくレーの街が見えた。ここが1番高い峠だとjemmniが言った。寒さもあってトイレに行きたくなったが、オフシーズンのためかどこのトイレも鍵がかかっており、見つけるのに大変苦労した。なんとか開いているトイレを見つけて(もちろんここでのトイレは水洗どころか、大きな穴が開いているだけのボットン式である)。ガイドブックによれば標高は5000mほどのはず。こんなとんでもない標高で、死ぬほど寒い中尻を出していることがひどく滑稽だった。
 車は峠を越え、また果てしない道を進んでいった。ペイントソフトの塗りつぶし機能で青一色で塗ったように真っさらな空と、切り貼りしたようなとんがった山々が延々と続いている。山は日本と大きく異なり全く木がなく、ゴツゴツとした岩肌をあられもなく青空の下に曝け出していた。朝の光に照らされた岩肌は、ベージュや茶色、赤色などトーンの異なる複雑な色で彩られ、頂上付近には真っ白な雪が、小洒落たカフェラテみたいに幾筋も描き込まれていた。 

クネクネした道 ここを通ったとは……
レーの街
とんでもない高さだ
雪混じり
ヤク おそらく飼われているやつ
ごつごつ

 数時間にわたるドライブを経て、我々はdeskitの村に到着した。deskitでは、巨大なブッダ像とゴンパがあった。ブッダ像は、街を見守るように小高い丘に鎮座していた。私は、これを日々視界に入れながら生活していたら、当然仏教を信じるだろうな、と外国人観光客らしいことを思った。

規格外のデカさ
犬、どこにでもいる

 deskitゴンパは、階段が赤や黄色のタイルで埋められた美しい建築物だった。中にあったいくつもの仏像は、ブッダの醸し出す優しげな雰囲気とは全く異なる禍々しさだった。体は赤や青に毒々しく塗られ、何本にも分かれた腕は威嚇するように持ち上げられていた。相手をぐっと睨みつけるギョロリとした瞳は見るものを拒むようだった。あるいは顔を隠している像もあった。
 恐ろしいけれど不思議な魅力のある像たちで、ブッダとの違いについてぜひ教えていただきたかったのだが、ドライバーは英語を話せないのでよく意味は分からないままだった。日本に帰ってから調べないとダメだな。

山肌に張り付くよう
色鮮やか
布巻きつけて飾りがち


 ゴンパを出てから deskitの村で昼食をとり、Hundarのゴンパに向かった。ただ、こちらは冬季で完全にクローズしており、開けてくれそうなラマを見つけることもできなかった。「回すやつ」はたくさんあったので、周辺を散歩し、フラッグが張り巡らされた階段を登ってみた。やたらと高いところに登っている気がする。空気が薄いのか、瞬く間に息が切れた。私は頂上まで行くのをあっさりと諦め、ドライバーの元に戻った。

積まれた石に何気なくマントラが刻まれている
この階段が辛かった
古いものも新しいものも

 次はいよいよヌブラ渓谷である。といいながら、ヌブラについてはただのミーハー心で、ほとんど前情報を持ち合わせていなかった。ラクダがいるらしいということは聞いていたので、砂漠っぽいのかなあ、くらいである。
 ヌブラ渓谷に辿り着き、なるほどと納得した。ちょっとした砂丘と、サバンナのようなわずかな木立があり、確かに観光ラクダがゆっくりと歩いているのがよく似合った。とはいえ、私は12月にサハラに行く予定があったので、ここでラクダ童貞を卒業してはもったいないと、乗るのは丁重にお断りした。
 砂丘の砂はサラサラと細かく、ひんやりと冷たかった。我々はしばらく砂丘を散策した。何台かのタクシーが止まっていたので、オフシーズンでも人気のスポットのようだ(一人旅を敢行しているのは私だけだった)。

山々と砂砂
ラクダがよく似合う
近くで見るとキュートな顔立ち
(ヌブラ渓谷からの帰り道、偶然放牧されている飼いラクダに遭遇したので、近づいて撮った)


ヌブラ渓谷の散策を終え、我々はゲストハウスに向かった。「AOゲストハウス」という場所だったが、これがもうあまりに良いのですっかり驚いた。広々とした木の部屋は丁寧に清掃され、暖かな色合いの電気に照らされており、毛布は新品のように滑らかな触り心地だった。宿の奥さんは少しばかり英語が話せ、とても人懐っこい人だった。

 水を買いたいというと、jemmniが唯一のマーケットに歩いて連れて行ってくれたが、悲しいかな、水は売り切れていた。一晩水なしは辛いと思っていたが、幸運にもゲストハウスで奥さんがboiled waterを水筒に入れて渡してくれたので、なんとか難を逃れることができた(boiled waterだといって出された液体でお腹は壊さないことは一応学んでいた)。
 夕飯は家族のキッチンにお邪魔した。奥さんが作ってくれたスープは暖かく優しい味で、私はすっかり気に入ってしまいおかわりをした(おかわりをしないと美味しくなかったように思われてしまうらしい。おもてなし文化である)。
 キッチンにはまだ年の若い男の子と、中学生くらいの女の子がいて、女の子の方は英語がペラペラだった。BTSと日本の文房具や扇子が好きだというので、韓国と日本の違いーー主に寿司とラーメンの美味しさーーについて色々と話した。こんな異国の地の女の子が、日本で好きなモノがあることはとても嬉しく、次に来る時は絶対に文房具と扇子を買ってくると約束した。
 男の子は英語が話せなかったが、持参した折り紙で紙飛行機を折って見せると、大変喜んで遊んでくれた。やはり折り紙文化は子供と仲良くなる上で最強のツールである(女の子の場合はツルを折るとウケが良い)。
 奥さんとは、ラダックのセレモニーについて話を聞き、写真を見せてもらった。美しい正装姿の写真を喜んで見せてくれ、また夏の緑豊かな村の様子も見せてくれた。私は次こそ絶対に夏に来ると約束した。そのときはうちにホームステイをしていいよと、奥さんは優しく微笑んだ。

夕暮れ
最終的にこの笑顔
美味しすぎたスープ
チャーハンだけどなんか一味違うのよな

 22:00頃に部屋に戻った。充電しながらのんびりとSNSを見ていたが、23:00になると、突然部屋の電気が消えた。停電のようだ(あまりにぴったりの時間に切れたので、そういうタイマーでもあるのかと思った)。
 外で誰1人騒がないことも面白かったが、これは消灯時間と考え、私は暖かな布団に潜り込んだ(部屋にストーブはなかったものの、車にとびきり暖かい寝袋と湯たんぽを積んでくれていたので、宿の暖かな毛布の中で寝袋にくるまれば、寒さを感じることは全くなかった)。

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