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ルールを守らない人も意外と大事だったりする話

 先日、区役所にちょっとした用があり、自転車で向かった。近くの大通公園に自転車を止めようとしたら、駐輪場は有料で、しかも定期利用専用となっていた。前来た時はタダだったのに。条例(札幌市自転車等駐輪場条令)が改正され、2022年4月から有料駐輪場となったのだ。
 別の駐輪場は1ブロック先にあったが、移動するのは面倒くさいし、それでも100円かかる。今いる駐輪場はガラガラだから、使っても正規利用者の迷惑にはならないだろう。そもそも自転車が止められない公園なんて公園じゃねーだろ!と強気になって自転車を止めた。
 
 30分後、用を済ませて公園に戻ろうとしたとき、駐輪場に黄緑の蛍光色の上着をまとった集団がいた。鳥肌が立った。その一人がオーライ、オーライと両手を挙げてトラックを誘導していた。ゆっくりと駐輪場の隣に近づいていくソイツには、すでに餌食となった20台ほどの自転車が積まれていた。まずい、狩られる!今すぐ駆け出したいのに、目の前の信号は赤だった。
 こんな焦りは思春期にも感じた。家で一人、刺激的な動画を見ていたら、玄関の鍵が開く音がする。こんなに早く帰ってくるなんて聞いてないぞ!急いでページを閉じようとするが、パソコンがフリーズしてしまった。
 
 結局、無事に自転車を回収できた(パソコンも動いた)が、30分前の強気な気持ちはなくなってしまった。その代わり、没収されなくてよかったという安堵で胸がいっぱいだった。
 
 この話を友達にしたら、大通公園の近くに札幌市が管理する無料の駐輪場があること教えてくれた。なのでリスクを犯す必要はなくなったが、たとえこのことを知らなくても、今後私が有料駐輪場を無断使用することはない。「遠くてお金が掛かろうが、没収されるよりはマシ」と考えるようになったからだ。そして、取り上げられる自転車を見てこう思うはずだ。「そうなっても当然だよね。」

 ルールは強力なものだ。なぜなら、私のように、多少の反発を感じても、何らかの罰則を受けるリスクを考慮して、従う人が多いからだ。実際、以前に比べて大通公園の自転車の数は圧倒的に少なくなっている(見た目の印象ではあるが)。そしてルールを守り続けるうちに、違反している人への同情が薄らいでいく。
 一方で、移動勧告のラベルを貼られようと、没収されようと、違法駐輪を続ける人もいるだろう。困った人だな。ルールを守る人間からはそう見える。だが彼らは、本当に「困った」人なのだろうか。見方を変えれば、ルールが無ければ、皆がそうしていたであろう行動を、貫いている貴重な人物ではないだろうか(ここでのルールを守らない人とは、校則が髪染め禁止なのに茶髪にする高校生などである。暴力を振るう等、明らかに不道徳な行為をする人ではない)。条例が改正されなければ、今も多くの人が大通公園に駐輪していたことだろう。
 
 ルールを守らない人たちは、直接抗議しているわけではないので(指摘されればと言い返すこともあるだろうが)、ふてくされているように見えるかもしれない。もしもあなたがルールを遂行する立場になり、それを守らない人を見つけた時、考えて欲しいことがある。「彼/彼女の行動が、抑圧された大勢の声である可能性」を。
 

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