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SNSからnoteへ

昨今ではSNSから逃れられない時代になりつつありますね。

SNSはご存知の通り、めちゃくちゃ便利なツールです。
友達の今を知ることができるし、流行をいち早く知ることができるし、
好きなアーティストのライフスタイルを垣間見ることができます。

かく言う自分も
instagramをよく利用します。

僕はダンスをやっています。ブレイクダンスです。
instagramでは海外のダンサーや自分のダンススタイルに似た人をフォローして、
自分のダンスに行き詰まった時に
他の人のダンスを見て、色々と刺激を貰ったり、吸収したりをしていました。

自分のダンス動画を編集して投稿したりもしています。

ただ、大学を卒業して半年ほど経ちますが、
自分自身のSNS依存度が上がっている感じがしたので、
投稿する時以外はアプリを消す事にしています。

悪い習慣を断ち切るためには
その行動に至るまでのプロセスの距離を長くする事が
有効だと何かの本で読みました。
自分にはこれが合っていましたね。(プラセボかもしれませんが、、、)
要するにその習慣にめんどくさい手順を組み込むと言う事です。
意外とオススメです。

さて、依存も問題ですが、
もう2つ深刻な問題があります。

それは
1 . 情報過多からくる吐き気
2 .他人との比較による疲弊

です。

僕はそもそもメンタルがそこまで強くないのかもしれないです。
(良く言えば繊細?)

1の「情報過多からくる吐き気」というのは
どうでも良い情報ばかり流れてきて
無駄に感情を動かされると言った感じでしょうか。

乗りたくもないのに毎日満員電車に乗せられている感覚に近い気がします。

フォローをされると、
フォローを返さなくてはならない、
と言う無言の圧力みたいなものを感じません?

怪しいビジネス系のアカウントや
フォロワー稼ぎの怪しいアカウント以外は
フォローしてくれたし、フォロー返さなきゃって思っちゃうんですよね。

知り合いだからフォローするって言うのもある意味圧力を感じます。

知り合いの場合はフォローを返さないと、尚めんどくさそうです。

そんなこんなで無駄にフォロー&フォロワーが増え、
人目を気にして自由な投稿ができなくなっていくんです。

人目を気にしすぎると言う自分の性格が出ていますね。

自由な場であるはずがどんどんと窮屈になってストレスを感じます。
SNSに向いていないかもしれません。

2の「他人との比較による疲弊」はそのままですね。

SNSでは色んな人が自分の良い部分を切り取って投稿します。

ブランドものをアピールしたり、
友達と仲良くしている写真を投稿したり、
「自分は意識高いことをしているのだ」と言う投稿をしたり、
様々なタイプの投稿があります。

これ全部自分がやってることじゃん、、、と
タイプしてて再認識しました。

自分の状況と相手の状況を無意識のうちに比較して優劣をつけてしまっています。

「あいつはあんなことしているのに、今の自分は何してるんだ」とか
「あの人と比べたらまだまだ努力足りないな」とか

もちろん刺激をもらって自分のモチベーションが上がる時もあります。

ただ、ポジティブな部分よりもネガティブな部分の方が多い気がします。
1とも繋がっているのですが、
無駄な情報、欲しくない情報、が多すぎます。
お腹いっぱいなのにビックマックを無理やり口にねじ込まれてるのと同じです。

取捨選択できればいいのですが、画面をスクロールしていくと
勝手に情報が入ってくるもんです。
その度に自分の感情が動かされてしまっていたら
そりゃ疲れるわ、ってことですね。

賢いSNSの使い方ができれば問題ないのですが、
生憎僕は不器用なのでアプリを消すくらいがちょうどいいんです。

これだけ言っているのに、なぜSNSを完全に絶たないのか、
疑問に思う人がいると思います。

僕はSNSを使う目的が他の人と比べるとちょっとだけズレている気がします。

SNSは自分という存在の足跡という風に捉えています。
だいぶカッコつけた言い方ですが、本気で言ってます。

最初のnoteの投稿とも繋がるのですが、

僕は「具現化したものを世界に残す」という行動が好きです。

自分が死んだ後、残るものはなんでしょうか?

物理的には灰だけですね。

精神的には記憶があります。

僕はこの「記憶」というものに重きを置いていて、
人生の一つの軸として

「一人でも多くの人の記憶に残る存在になる」

というものを掲げています。

しかし、人の記憶というものは曖昧です。
3日前の晩御飯でさえ覚えていないほどに。
(長期記憶と短期記憶という観点もありますが、、、)

僕が死んだとして、ある程度記憶に残る人はいるかもしれませんが、
それは一時的なものでしょう。
いつかは薄れて消えていきます。

その曖昧なものを明瞭にするものが
文章や写真、動画だと思っています。

だから、思い出や体験を残したい出来るだけ残したいと思っています。

ネットに上げることのリスクはもちろんありますが、
管理者やソフトが消えない限り、
ネット上では永遠に記憶が明瞭に残り続けます。

SNSを
現代版のタイムカプセル、記憶のクラウドバンク

として考えたらなんかロマン感じませんか?

というのがSNSをアカウントごと削除できない理由です。

前回同様でかなり話が逸れましたね。

ここまでの話から言えるのは、
僕は残せればなんでもいい
ということです。

だから
自分が投稿する時だけアプリをダウンロードして投稿したらアプリを消す
という使い方が一番あっているのだ思います。

他人からの承認や評価は疲れるので逃げることにしました。

そこで次のプラットフォームとして選んだのがnoteです。

昔からブログを書いてみたいという欲求はあったのですが、
ブログってなんか難しそうなイメージがあって
中々手を出せなかったんですよね。

でもさすが現代社会!

とても気軽にブログ的感覚を味わえるようになりました。
科学技術様様ですね。

instagramやTwitterで長文を書くと
「こいつやばいやつだ」とか
「病んでるのかな?」とか
思われる気負いがありましたが、
noteのようなプラットフォームでは全くそれがありません。
(知らず知らずのうちに他人の目を気にする病気かもしれません)

文章メインだから当たり前ですね。

最初からこっち来てれば良かったのか、、、

てな感じでこれからはnoteに残していくことが多くなると思います。
よろしくお願いしまーす。

最後に
メンタリストDaigoさんのYoutubeチャンネルにて
SNSに関する知見を科学的な観点から述べてくださっていたので
リンクを載せておきます。

https://youtu.be/SUcvDijX5jY

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