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〜男女の友情論〜 2024/10/14
異性の友達にご飯に誘われ、
「今付き合ってる人いる?」
と聞かれた。私は付き合っている人がいるので、
「いる」
と正直に答えたら
「じゃあ、誰か誘って3人で行こう」
と言われた。
他の人はどうか知らないが、私はこういうことがよくある。『異性の友達あるある』とでも言うのかな、付き合ってきる人がいると友達付き合いに支障が出るというものだ。
ここには『男女の友情は成り立つのか』という永遠に議論が収まらない問題が絡んでくる。
一個人としての意見を言うならば、私はどうでもいいと思っている。
男女の友情が成り立つにしても成り立たないにしても、結局どこかには嫌な思いをする人がいるのだ。だから、成り立っても成り立たなくてもどっちでもいい、つまり、どうでもいい。というのが私の意見だ。
でも、今の世間一般では成り立っていないと思う。
最近の世の流れ的に男女の友情が成り立つ風の世の中にはなってきている。今まで表面化していなかったマイノリティの人々の主張が強まり、男女の友情を取り扱うバラエティやドラマも増えてきた。
だが、男女の友情が成り立つかという議論がなされたり、男女の友情を扱う作品が存在する事実こそが男女の友情が成り立っていない証拠だと思う。
みんな『男女の友情』というものを特別視しているからそういう議論や作品が生まれるのだ。
特別視している限り、それが一般的になることはない。一般的にならないということは普及しないということであり、成り立ってないということだ。
私はこの世の中が生きにくいと思う。世間一般的には成り立つでも成り立たないでもどっちでもいいけれど、男女の友情は私の周りでは成り立っていることだ。にもかかわらず世間が男女の友情を受け入れないから、めんどくさいことが増える。
異性の友達と遊ぶ時もご飯に行く時も連絡を取ることでさえ、障害が生じる。正直言ってめんどくさい。私は友達と連絡を取っているだけなのに、時に私は悪役に成り下がるのだ。
まぁ、受け入れない側の主張もわかる。男女の友情を受け入れてしまうとリスクヘッジがとんでもなく難しくなるだろう。
誰が敵で誰が味方なのか、何を守るべきで誰を切り捨てるべきか、そういった判断が途端に難しくなる。そんなことになるぐらいなら初めから全員を敵として守るべきものを徹底的に守るという方針にした方がリスクもコストも少なくなる。
性善説が通用しない、聖人などめったに存在しない世の中である以上は一概にどっちが悪いとは言えない。
男女の友情が成り立っても成り立たなくても、どっちにしてもメリットとデメリットは存在し、どっちにしても涙で枕を濡らす人間がいることには変わらない。
人間は愚かなので、人間が滅ぶまでこの問題に向き合っていくことになるだろう。そして意見の違う人間は対立し続けるのだ。なんとも愚かだ。
私は友情を大事にする主義なので、相手が異性だろうと同性だろうと平等に友達や親友として接している。でも、もしかしたら私のこの態度も悪者になり得るのかもしれない。友達は減らしたくないが、悪者にもなりたくない。
どうすればこの世界を平和に渡り歩けるのだろうか。
誰か教えてください。
夜は寒く昼は暑かった昨日から今日。夜は長袖長ズボン+ヒートテックで過ごし、昼は半袖半ズボン+エアリズムで過ごした。服装で夏と冬を渡り歩く男がここにいます。
今日小説を投稿しました。なろうやカクヨムの他サイトでもあげてるのでよければ読んでみてください。
「お前、あの祠壊したんか!」という最近Twitter上で流行っているフレーズを使った短編です。
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