〜どうせ俺を笑っているんだろう〜 2024/09/20
昨日詩を書いた。
詩自体は無料で読めるのでぜひ読んでみてください。有料設定はちょっとした説明と投げ銭用。
今日は少し小説を書こうとしてうーんと悩んで思い付かなくて、それでも書いて、パソコンの前に座ってる時間は長かったけどその割には筆が進まなかった1日だった。パソコンで書いてても『筆が進まない』って表現使うのかな。
そして、今日は筋トレもしたし散歩もした。結構運動してる1日だ。やっぱり体力のある強い男にならないとね。
『ボヘミアン・ラプソディ』という映画を観始めた。まだ途中までしか観てないから明日また観たい。今のところ面白いし聞いたことのある曲がたくさん出てくる。
俺は好きで小説や詩やエッセイや日記を書いてるけど、書いてみて投稿するたびに誰かに鼻で笑われてるんだろうなぁという気持ちになる。「どうせお前らはこの文を読んで嘲笑しているんだろう」という気持ちがある。
もちろんそんなことないのは分かってる。もしかしたら、そういう人もいるかもしれないけど、ちゃんとスキしてくれる人や見てくれる人、ブクマをしてくれる人もいるから、それは嬉しいとは思う。そもそも誰かに笑われるほど自分の文は読まれてない。
でも、「どうせ笑われてる、バカにされてる」という気持ちは常に持ってしまう。文章に限った話じゃなくて、昔からそうだ。
話したことないあのクラスメイトも少し話したことある同級生も1番仲良しの親友も昔好きだったあの子も今も好きなあの人も色々手伝ってやったあいつも尊敬してるあの人も、自分をバカにして笑っているんじゃないかって思う。
会うたびに毎回本気で思ってるわけじゃないけど、常に心のどこかでそう思ってる。
自意識過剰なのか被害妄想気味なのか、どちらにしてもあまり健全じゃないからやめたいけど、俺の心が勝手に思っちゃうんだよな。
昔から少し人間不信なところがあるけれど、もしかしたらこれが起因しているのかもしれない。人間不信が先でこれがあとなのか、これが先で人間不信が後なのかは分からないけれど、関係はありそうだ。
考えてみると、これは自信の無さと防衛本能の表れなんじゃないかと思う。昔から何をやるにも平均以下で「すごいね」と言われたことがほとんどなかったから、いざ「すごいね」と言われると反応に困ってしまう。
反応に困り分からず、相手のことを疑ってしまっているのではなかろうか。その延長線上で自分に関わった誰かは自分に対して良い感情を持たないとどこかで決めつけてしまっている。だって私は平均以下の人間なのだから。
平均以下の人間が人からの評価を期待すれば、それはかなりの確率で裏切られるだろう。裏切られれば悲しい。それならば最初から信じるべきではない。宝くじを本気で当たると信じて買う人がいないように、人からの評価を本気で信じる必要もないのだ。
これが自信の無さ故の防衛本能。自分でも、ただ社交性と自己肯定感が失われていくだけだからやめた方がいいと思う。
でも、人間は自分の感情をコントロールできないものだから仕方がない。この悪癖とこんな自分と、最後まで付き合っていくしかない。
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