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〜エスカレーターのマニュアル人間〜 2024/10/10

マニュアル人間は融通が効かなくて面倒くさいやつだ、奴は悪だ、という風潮がある。前々からそんなことはないだろうと思っている。

マニュアル人間が悪とされる理由が分からない。俺の認識では、マニュアル人間はその名の通りマニュアル通りの行動をし、どんな状況でもルールを破ることは一切許さないという人間のことだ。素晴らしい人間じゃないか。

「あいつはマニュアル人間だ」「融通が効かなくて嫌なやつだ」という人間は、大抵ルールを破る側の人間だと思う。確かに多少ルールや決まりを守らなくても問題が無い場合もある。しかし、ルールを破るときには必ず、破る側に利がある。破る側のエゴだ。何故ルールを守らない側のエゴに付き合わなきゃいけないのか。そして何故エゴに付き合わされた上に悪者扱いまでされなければいけないのか。

何らかのルールを破る時は、それによって直接的な利が生じない人間に判断が委ねられるべきだし、ルールを破ろうとしている人間は初めから『ダメ元で』他人にお願いするという認識を持つべきだろう。

いつだって自分の都合が優先で、物事の意味を考えない人間がマニュアル人間を悪者にする。

エスカレーターというものがある。最近よく啓蒙されているように、あれは立ち止まるものであって歩くものではない。しかし、人々はエスカレーターの片側に並んで立ち、もう片方の空いているスペースは歩く人専用のスペースという暗黙の了解を作っている。

エスカレーターでは、立ち止まる人間がマニュアル人間であり、歩く人間はルールを破る側だ。

しかし、今の世の中ではエスカレーターの右(関西では左)で立ち止まる人間は悪ということになっている。健気にルールを守ってルールの範囲内で生活をしているだけなのに、何故悪人にされなければいけないんだ。

きっとエスカレーターで歩く側(ルールを破る側)の人間は、
「急いでいる人の邪魔になる」「普通に考えて急ぐ人に道を譲るのは当然」
という風に考えているのだろう。

そういう人はエスカレーターに乗るのは向いていない。エスカレーターは「歩くのが面倒だけど進みたい」という人間の怠惰を叶えるための装置だ。急いでいる人の利用は最初から想定されていない。急ぎたいのであれば階段を使えばいいし、大きな荷物があるのならばエレベーターを使うといい。

エスカレーターを初めて見て、「あれは歩くものだ」と思う人間はどれほどいるだろうか。

あなたに適した移動法は他にあるのに、わざわざエレベーターに乗ってきてそこでルールを守っている人に対して「邪魔だ」と思う、文句を言う。なんて傍若無人なんだ。

エスカレーターで立ち止まる理由はある。最も大きな理由は安全のためだ。だが、ルールを破る理由は見当たらない。安全のためにルールをきっちり守っている人間により、他人を危険に晒しながらルールを破る人間が善とされている。

何故この現状に多くの人が疑問を抱かないのか。

こういったエスカレーターの例のように『ルールを守る人間よりルールを破る人間が善とする』という思想がマニュアル人間を悪とする原動力なのだ。

自分のエゴを許し、他人の誠実さを許さない。マニュアルというものはそういう人間に潰される。


今日は、先日選んでいただいた月吠え短編小説コンテスト佳作の賞品が届きました。図書カード3000円分。何に使いましょうかね。

3000円あれば文庫本なら何冊も買えるなぁ。今度本屋に行ってじっくり選びたい。

そして、今日は結構寒かった。今季初めてヒートテックを着てしまった。でも、今週末はまた暑くなるらしい。もう季節の変わり目なんてものはないのかもしれないな。


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