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人間は生きものであるという原点

1月26日(日)東京医師会館で開催の子どもとメディア全国フォーラム
「スマホ社会と子どもの未来~技術革新は人類を幸せにするのか?~」
に参加しました。もやもやしていたことが少しクリアになった機会でした。

特に生命誌研究者で、理学博士の中村桂子さんのお話は、その穏やかな品のある語り口とともに、心に残りました。

「人間は生きものであり、自然の一部である」

最初にグッと心をつかまれたのが、生命誌絵巻

◆機械と生きもの

アリも、人間も、地球上のあらゆる生きものは、祖先細胞から38億年かけて、今ここにいる。私はそれが真実かどうかはわからないけれど、確かに人間だけが特別な存在ではないと思った。でも、私たち人間は、自分たちだけは別格で常に上から目線。生きものの頂点、もしくは外側にいるような感覚を持っている。

自動車つくるみたいに、「米をつくる」「子どもをつくる」という言葉を使うけれど、「作った」わけではなく、本当は、「稲を育てた」、「子どもが生まれた」である。設計図があるわけではない。なるほど。

機械 = 分解、構造、機能がわかれば作れる。全部既知のこと。
生きもの = 継続性、多様性、わからないことだらけ。からだも心も未知なことがたくさん。

「生きもの」は、思い通りにならない面白さがある。自然はわからないことだらけで、その中で私たちは生きている。それを体感できるのは、やっぱり自然に接することなんだ。
喜多方小農業科のお話。自ら考えて自分で行動する、想像する力、分かち合う心、が育まれるとのこと。

そう言えば以前、AIのエンジニアの方に「このAI時代に、子どもにとって必要なことは何だと思いますか?」と聞いてみた。そのとき、少し考えててからその人は、「自然と接することですかね。」と答えた。納得できる。

◆「?」と「!」  おや? と え!

まどみちおさんの百歳日記の中に
『世の中に「?」と「!」と両方あれば、他にもうなにもいらん』
という言葉があるそうだ。人生を豊かにするのはわからないことを「問う」「考える」「発見する」ことなのかも。スマホの中の答えは人の考えであり、既知のことで、AIができてしまう。子どもの内から湧いてくる驚きに対して、すぐ検索して答えっぽいものを見せてしまうのは勿体ない。新しいことは、機械の中にはないから。

◆愛づる

堤中納言物語『虫めづる姫君』のお話をされた。
13歳の姫君が、まゆも剃らず、お歯黒もせず、髪を耳にかけて、小さな命を愛づる様子。

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人は、まことあり、本地たづねたるこそ、心ばへをかしけれ。とて、よろづの虫の、恐ろしげなるを取り集めて、「これが、ならむさまを見む」とて、さまざまなる籠箱どもに入れさせたまふ。
中にも「烏毛虫(かはむし)の、心深きさましたるこそ心にくけれ」とて、明け暮れは、耳はさみをして、手のうらにそへふせて、まぼりたまふ。
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(現代訳)
人には、誠実な心があり、本質を探究してこそ、心の様子も趣があるのです。と言って、いろいろな虫で、恐ろしそうなのを取り集めて、「これが成長して変化する様子を見よう。」と言って、さまざまな虫かごに入れさせなさる。
中でも、「毛虫が趣深い様子をしているのは奥ゆかしい。」と言って、
開けても暮れても、額髪を耳の後ろにはさんで、手のひらの上にはわせて、じっと見つめていらっしゃる。
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本質を探究して、毛虫さんはどうして趣深い様子なの?の答えは、機械(スマホ)の中にない。よく観察して自分で考えることは、「知識」よりも大切ではないかとおっしゃっていて、共感した。

20世紀は「機械と火の時代」
これからは「いのちと水の時代」

作り過ぎて、消費して、地球も限界にきているから、「いのち」と「水」という原点に戻るときなのだろう。
私たちは、自然の中の一部ということを忘れず、機械を上手に使いこなすために、本気でどうしたらよいか考えるときなんだ。


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