ジヴェルニー モネの家、光あふれる夢の庭
2017年夏、ロンドンからユーロスターでパリへ行き、フランスを旅行することにした。行き先は、美味しいシーフードが楽しめ、またエリック・サティ生誕の地でもある北フランスの港町、オンフルールに決めた。移動手段はやはり車、パリでレンタカーをする。調べていると、途中ジヴェルニーを通ることがわかった。あ、モネが住んだところだ、それなら、ちょっと寄ってみよう、ということで、まずジヴェルニーに1泊することになった。こんなふうに、ジヴェルニーへの旅は、特に思い入れがあったわけではなく決まったのだった。
ジヴェルニーはパリから日帰りで訪れる人も多いと思われるが、ここで1泊して良かったと思っている。時間に追われることなく、平和な気持ちで始まった1日。穏やかな雰囲気が漂う小さな田舎の村。心地よい朝陽に包まれながらのホテルでの朝食は、安らぎのひとときだった。
車をホテルの駐車場に停めたまま、村をのんびり散策しながらモネの家に向かった。世界中から観光客が訪れる場所、すでに入場を待つ列ができていた。道路沿いにある小さな入り口の前にできた列に並んでいた私は、その奥にあんなに見事な景観が広がっているとは全く想像もしていなかった。
チケットを購入して中に入ると、目の前に緑の庭園が広がった。そして、その庭園を見下ろすように、ピンクと緑という色合いの家が建っていた。
ピンクの外壁、緑の窓枠、家の中央にはまた緑の階段。まるで、緑の葉が生い茂る植物に、ピンクのお花が咲いているような家。驚きはここから始まっていた。
家の中は宮殿のような広い空間はなく、普通の一軒家と同じ、狭い間口に小部屋がいくつもあるという作りだった。大きな窓から庭園が見渡せるリビングの壁には、たくさんの絵がかけられていた。
いや、リビングだけではなく、階段、廊下、寝室、食堂全ての壁にあふれるばかりの絵が飾られていた。モネが描いた絵の他に、モネの友人セザンヌやルノワールの絵もあった。そしてさらに、日本の浮世絵が数多くあったことに驚かされた。
壁も椅子も家具も黄色で統一されたダイニングルームは、特に印象的だった。部屋の中央には大きなダイニングテーブルが置かれてあり、奥のワゴンの上には、白猫の置き物があった。モネの家にも白猫がいたのだろうか。急に親近感を覚えた。
それにしても、こんなに明るく広い食堂で、モネは一体どんな食事をしていたのだろう。
家の見学が終わると、今度は庭を歩く。お城や宮殿の庭園と同じくらいの広大な敷地。家の前にある花壇やアーチ状の庭園には、多種多様な季節のお花たちが太陽の下で輝いていた。モネ自身が庭園作りに情熱を抱いていたのか、それとも、たまたま庭園の敷地が広かったのか。
庭園はさらに奥まで続く。竹林に囲まれた静かな道を歩いて行くと、まるで日本庭園のような雰囲気。
そして、道の先には、あのモネの作品の中でも絶大な知名度を誇る「睡蓮」の絵が描かれた池と太鼓橋があった。しだれ柳と睡蓮の葉が作りだす神秘的な風情はなんとも魅力的だった。
モネが晩年まで過ごしたこのジヴェルニーの家、訪れてよかった、と清々しい気持ちに浸っていた。しかし、もしその時にすでに、私が原田マハさんの作品に出会っていれば、このモネの家の訪問は、また別の感情を持ったものになっていたかもしれない。
旅行から数年経ってようやく、私は原田マハさんの本を手にした。
「ジヴェルニーの食卓」には、マティス、ドガ、セザンヌの話を綴った短編と共に、モネのジヴェルニーでの晩年の様子が描かれた短編小説が収められている。この小説は、モネがどんな思いでジヴェルニーの家で暮らすことになったのか、そしてモネの家族、睡蓮の絵のことを教えてくれた。ジヴェルニーを訪れた時に抱いた疑問には、この本が答えてくれたのだ。
モネがこのジヴェルニーの家で一緒に過ごしたのは、アリスという女性。アリスとの出会いは、モネのパトロンであったアリスの夫、エルネストが、モネに自宅に飾る絵を依頼したことに始まる。その後、エルネストの会社が倒産、破産した一家はモネの家で同居を始める。やがてエルネストは仕事でモネの家から離れ、病に伏していたモネの前妻カミーユが他界、そして、アリスの夫であったエルネストものちに永眠する。激動の時を経た後、晴れてモネとアリスは結婚し、ジヴェルニーの家で一緒に暮らすことになる。ジヴェルニーの食卓に並んだアリスの作る料理は、モネとアリス、モネの前妻との2人の息子、そしてアリスの前夫との子どもたち6人という大人数に囲まれていたのだ。そのために、あれほど大きなダイニングテーブルが必要だった。
この小説では、アリスの死から10年後、アリスの娘ブランシェがジヴェルニーの家に戻ってきてモネと一緒に暮らしている様子が、ブランシェの視点で描かれている。モネにとっては、ジヴェルニーに住む前からいつも、”青空の下”がアトリエだった。そして、小説の中でモネは『野生の花畑をすっかり再現したような、大きな庭を持つのが夢だ』と言ったと語られている。ジヴェルニーの家は、まさに野生の花畑の再現のような庭だったのだ。
モネがここで晩年、白内障の手術を乗り越えて完成させた睡蓮の装飾壁画が、パリのオランジェリー美術館に展示されている。この絵の背景には、まだパリでは印象派の絵画が受け入れられていなかった頃から、モネを支え、モネの名声を引き出す重要な役割を果たした当時の首相、クレマンソーとの友情の物語がある。
当時パリの印象派画家の間で、日本の浮世絵が好まれていたという話は、ゴッホを描いた原田マハさんの別の作品「たゆたえども沈まず」を読んで知ることとなった。
先ほど、「ジヴェルニーの食卓」を読んでからモネの家を訪れていたら、と書いたが、モネの家を訪れていたからこそ、この小説が深く心に響き、すっかり原田マハさんのファンになってしまったということも事実だ。卵が先か鶏が先か、どちらが先でも、きっと私はモネと原田マハさんを好きになっていただろう。
ジヴェルニーのモネの家を訪れた際、つい顔がほころんでしまう出来事があった。背中に背負った小さな青いリュックの上から、大きな黄色いアヒルのぬいぐるみの頭が出ている少年を見かけた。アヒルがこの少年の背中にしっかりしがみついているようで、なんと愛らしいことか。こっそり、モネの絵を撮っているふりをして、後ろ姿を写真に収めてしまった。
アリスの小さな子供たちも、すっかりモネに懐いていたという。きっとこんなふうに、アリスの子供たちもモネの絵を興味深く見ていたのであろう。
モネの家のショップで、ポスターを何枚か購入した。モネの家のイラスト、明るく可愛い敷地が描かれており、モネの家を訪れた時の感動をいつまでも思い出させてくれる。そして、睡蓮の絵とお庭の様子。これらの絵を自宅の壁に飾り、ジヴェルニーでの幸せなモネを思い描き、温かい気持ちに浸っている。
そういえば、ダイニングで見かけた白猫の置物は、ショップでも販売されていた。陶器は持ち帰るのが危険だし、お値段はユーロで3桁だ。残念だが家に連れてくることはできなかった。