エジンバラーそれぞれに想いをかかえて歩く
2022年9月11日、エリザベス女王の棺はスコットランドのバルモラル城から、エジンバラのホリールード宮殿へと移された。エリザベス女王の棺へ哀悼の意を捧げるべく、沿道には多くの人々が集まっていた。翌日、棺はセント・ジャイルズ大聖堂に移され、24時間体制で一般の弔問が行われた。真夜中に大聖堂へ行くのだろうか、と疑問を抱いた私が愚かだった。弔問の列は24時間途絶えることはなかった。
テレビの画面に映るエジンバラの街並みを眺めながら、再びそこを訪れたい気持ちがあふれてきた。
小高い丘の上に立つエジンバラ城。古代から要塞として基盤のあったお城は、11世紀から王宮としての機能を果たすようになったと言われている。バッキンガム宮殿のような華やかな住まいではないが、高台に聳えるこのお城は、まさに君主の館に相応しい厳かな雰囲気がある。
町を見下ろすと、遠くの海まで見渡せる。
お城から坂を下って通りに出ると、そこにはタータン柄のキルトを身にまとい、バグパイプで音楽を奏でる男性がいた。なぜか郷愁を誘うようなバグパイプの音色が心に沁みる。
このエジンバラ城の元から、ロイヤル・マイルが始まる。バグパイプの余韻に浸りながら、ロイヤル・マイルを進もう。
レストラン・カフェやお店が並ぶこの旧市街の大通りは、セント・ジャイルズ大聖堂を通り、ホリールード宮殿まで続いている。古くから王族が通っていた道としてロイヤル・マイルと呼ばれているが、エリザベス女王の柩もまたこの道を通った。ロイヤル・マイルという名は決して過去の名称ではなかったのだ。古い伝統が今でも違和感なく現存している英国文化は、それを目の当たりにした世界中の多くの人々の心に響いたことだろう。
では、過去にはどのような王家がこのエジンバラで過ごしていたのであろうか。そう思った時に、真っ先に浮かぶ名前はメアリー・ステュアート。
1542年に誕生したメアリー、生後わずか6日後にスコットランド王である父親のジェームズ5世が亡くなり、その時点で王位を継承することとなった。当時のイングランドの王ヘンリー8世は、自らの離婚を成立させるためにイングランドをカトリックからプロテスタントへと改宗していた。このことが後に様々な不幸を呼ぶことになる。カトリック教徒であったメアリーが王になることを阻止する動きを警戒し、メアリーは母親メアリー(同名)の故郷であるフランスへ一人送られ、幼少期をそこで過ごした。やがてフランス王太子と結婚し、フランス王妃になるも、夫であるフランソワ2世は1年後に病死。そしてメアリーはエジンバラに戻ってきた。
エジンバラで再婚をしたメアリーであったが夫とは上手くいかず、秘書のイタリア人リッチオと愛人関係にあるとされ、ホリールード宮殿で、メアリーの目の前でリッチオが暗殺されるという事件が起こる。その時点で息子のジェームズを身ごもっていたメアリーは、その後エジンバラ城でジェームズを出産する。その後も、彼女は幸福な生活を送ることはできなかった。再び心を寄せる男性が現れた後、夫であるダーンリー卿までも殺害されてしまう。その殺害にメアリーが関与していたとされ、幽閉される。そして、26歳の時に従姉妹であるイングランドのエリザベス1世を頼ってロンドンへ亡命する。
幼い頃に両親と離れフランスで過ごし、夫を亡くした後に戻ったエジンバラ。そこでメアリーはどのような思いを抱き、過ごしていたのだろうか。どのような気持ちで、このロイヤル・マイルを通っていたであろうか。
メアリーはロンドンに逃れてからも、囚われの身としての生活を強いられた。ここでも、カトリックとプロテスタントに関わる対立の渦中に置かれた。カトリック信奉者らがプロテスタントのエリザベスの暗殺計画を企て、メアリーがそれに加担していたとされたのだ。メアリーがその暗殺に同意したとされる手紙が見つかったことにより、当初メアリーへの刑を躊躇していたエリザベスだったが、このことに対処することを迫られ、44歳のメアリーはエリザベスの命令により斬首されてしまうのだった。
なんとも切ないストーリーだが、唯一救われる続きがある。生涯独身を通したエリザベス1世には後継者がいなかったため、メアリーの息子ジェームズがイングランドとスコットランドの王として新しい時代を切り開くこととなった。ジェームズは、メアリーがロンドンへ亡命した後、プロテスタントに改宗させられていた。
エジンバラ城やホリールード宮殿では、メアリーが過ごした部屋を今でも見ることができる。
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ロイヤル・マイルを歩いた人物は、もちろん王家に関わる人たちばかりではない。離婚をして幼い娘と一緒にエジンバラに引っ越し、お気に入りのカフェに通い、魔法使いと人間の世界が交錯する壮大なストーリーを執筆していた人物もいた。そこで生まれた作品が『ハリーポッターと賢者の石』。J・K・ローリングが通っていたカフェ「エレファントハウス」は今もロイヤル・マイルの近くにある。ハリーポッターの構想を考えながらローリングが歩いていたと思われるエジンバラの町。通りすがりの子供達やカフェを訪れるマダムたちが、登場人物となって作中に現れていたのかもしれない。
貧困と戦いながら創作活動に励んだ一人の女性が書いたその作品は、世界的に有名な作品となっていった。そしてハリーポッターの最終章は、エジンバラの最高級ホテルバルモラルの552号室に3カ月間籠り、執筆されたと言う。宿泊料金は、1部屋1泊25万円ほどするとか・・・
そして、私もまたロイヤル・マイルを歩いた。長年住んだウィーンからロンドンへ移住し、それから訪れたエジンバラは、ロンドンのような都会の雰囲気のない、どこか懐かしさを覚える町だった。重厚な古い造りの建物に囲まれた石畳の広がる町、それはヨーロッパの大陸の街に近い雰囲気を感じた。
夕刻、エジンバラの新市街にあるカールトンヒルを訪れた。息を切らしながら上がった丘からは、夕焼けのエジンバラの街が見渡せた。そこには、それぞれの想いを抱えながらエジンバラの町を行き交う人々を照らす夕日が広がっていた。
エリザベス女王の死因は老衰と発表された。エリザベス女王はスコットランドのバルモラル城を訪れる際、そこが終焉の地となることを予感していただろうか。
70年間女王として君臨したエリザベス女王は、多くの人々に見守られながら、きっと安らかな気持ちでロイヤル・マイルを通ったのではないか、私はそのように思っている。
本日もご訪問いただき、ありがとうございました。