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リバプール ー ビートルズはじまりの町

ロンドンユーストン駅から列車に乗った。目的地までは2時間15分ほど。久しぶりの旅行。車内はほぼ満席。マスクを着用している人は1割もいない。英国内はもうすっかりパンデミック以前の日常に戻っている。良いのか悪いのか。感染者数は高止まりしたままなのだけれど。

列車が走り出すと、旅先へ向かっているという高揚感が高まってくる。車窓を流れる景色を感じながら、読書を始める。しかし、なんだか気になってしまう。後方の席に座っていた若者グループが堂々と音楽をかけており、列車内に響いている。騒がしいなあ。そう思うけれど、他の乗客は特に気にする様子もなく、各々の時間を過ごしている。英国の若者は自由気まま、のびのびしていて、それを咎める人もいないのだ。

列車が到着し、駅に降り立つ。約2年ぶりの旅行に私たち夫婦が選んだ行き先は、リバプールだった。一度は行ってみたいと思っていた場所だった。そして実際、リバプールの町を、私は想像以上に気に入ってしまったのだ。

Liverpool Lime Street駅

リバプールと聞いて誰もが思い浮かべるワード、それはやはり「ビートルズ」であろう。私は特にファンというわけではないが、ビートルズの音楽はやはり昔から聞き親しんでおり、口ずさめる曲もいくつかある。世界中でビートルズを知らない人はおそらくいないだろうというほどの偉大な功績を残したロックバンド。そんなビートルズを紹介してくれるアトラクションが、リバプールにはいくつかある。では、早速そちらへ向かおう。そうだ、歩き出す前に是非お伝えしたい。この旅行中は驚くほどの晴天に恵まれ、最高の旅行日和だったのだ。そんな時は、明るく楽しい歌を聞きながら前に進もう。歌詞に登場するデスモンドとモリーのように。

Desmond has a barrow in the market place
Molly is the singer in the band
Desmond says to Molly 
"Girl I like your face"
And Molly says this as she takes him by the hand

Ob-la-di, Ob-la-da, life goes on brah
La la how the life goes on
Ob-la-di, Ob-la-da, life goes on brah
La la how the life goes on

デスモンドは手押し車で市場に店を出す
モリーはあるバンドのボーカル
デスモンドはモリーに言う
「ぼくは君の顔が好きだ」
そしてモリーは言う、彼の手を取りながら

オブラディ オブラダ 人生は続いていく
ララ 人生はこうやって続いていく
オブラディ オブラダ 人生は続いていく
ララ 人生はこうやって続いていく


駅から10分ほど歩くと、道幅の広い歩行者天国に出る。なんだかゆったりしていて歩きやすい。そこから脇道へ一本入ると、突然雰囲気が変わる。そこはマシューストリート。ビートルズが活躍した1960年代初頭の雰囲気が漂っているのだ。


まずはこの通りにある「ビートルズミュージアム」に入ろう。

ここはビートルズが結成された1959年から解散した1970年までを3つの時代に分けて、3フロアにわたり紹介している。このミュージアムにはオーディオガイドなどもなく、BGMに流れるビートルズの曲を聞きながら、英語で書かれた説明を読み、自由に見てまわれる。実際に彼らが使っていたギターやマイク、衣装など貴重な品々が展示されており、年表とともにビートルズの軌跡を辿っていく。え、誰? え、そうなの? 知らなかったことがありすぎて、夢中になって見入ってしまった。

1966年日本公演へ行った時の展示もあった。ビートルズ来日時の宣伝。ポールが着たというハッピも残されていた。

あれ、この英訳ちょっと違っていない? 「日本語でロックと音楽を意味する」となっているけれど、書かれている言葉は「民謡おくに自慢」

そんなツッコミどころもあったのだけれど、ミュージアムを出た時、私の中で特に印象強く残された出来事がいくつかあった。

  • リンゴ・スターは初めはメンバーではなかったということ

  • ビートルズが初めに音楽活動を始めた場所は、カスバ・コーヒークラブであったこと

  • 当時ロックの活躍場所として知られていた場所がドイツのハンブルクであり、ビートルズも2回ハンブルクに巡業に出ていたこと

  • ようやくレコードデビューとなる直前に、ドラマーのピートが解雇されたこと

  • ビートルズのマネージャーとして初期の活躍からずっと支えてきたブライアン・エップシュタインが32歳という若さで亡くなり、メンバーに深い衝撃を与えたこと

あー、自分はビートルズについて何にも知らなかったのだな、と思った。そして同時に、音楽に夢中になった若者がどのようにして世界的に有名になっていたのかというストーリーにすっかり興奮していた。

ビートルズは1度目のハンブルクでの活動を終えリバプールに戻ってくると、このマシューストリートにあったキャバーン・クラブで活動を始めた。ここでビートルズは一躍人気者となる。そのキャバーン・クラブは1973年に閉店したが、1984年に当時に近い形で再建されたそうだ。

この姉妹店であるキャバーン・パブの前には、ジョン・レノンの像があった。元来ミーハーな私は、ジョンと並んで一緒に写真を撮らせてもらった。

さて、ミュージアムで知った興味深い出来事の数々を復習するように、翌日もう一つのミュージアム「ビートルズ・ストーリー」を訪れた。

ビートルズ・ストーリーは、アルバート・ドックにある。もともと小さな港町であったリバプールは、18世紀産業革命後、国際貿易が盛んになり大きく発展した。当時の海運会社や造船所、倉庫などが残されている港湾都市として知られている。20世紀末になり再開発が進められた。ミュージアムや飲食店・ショップなどが集まる複合施設として観光客で賑わっているエリアがアルバート・ドックだ。フィッシュ&チップスやアイスクリームなどを売る移動式のバンが並んでいたりと、歩いているだけでも楽しめる。

そんな一角にあるビートルズストーリは、オーディオガイドと共にまわりながら、ビートルズ誕生から解散までの展示を楽しめる。日本語オーディオガイドがあるところがまた嬉しい。

ビートルズミュージアムに比べると、観光客を意識した作りになっているのか、説明もベーシックでわかりやすい。

キャバーン・クラブのステージを再現している


そして、前日から気になっていた出来事の一つが、ここで解き明かされた。

レコードデビューを果たす前になって、2回のハンブルグでのライブ活動を一緒に行ってきたドラマーのピート・ベストがなぜfire(解雇)されたのか。

レコーディングをする前に、EMIのプロデューサーであったジョージ・マーティンが語る形で説明されていた。ピートは技術的に他の3人には劣っていたことが理由とされており、他のメンバーもその点を感じていたためにピートと別れる良い機会だったという。そうなのか・・・

ピートは、ビートルズが結成され、ハンブルクへ行く前に活動をしていたカフェ・カスバのオーナーであるモナ・ベストの息子だった。ハンブルグでライブ活動をする際に、ドラマーが必要だからということでメンバーに加わり、それから数年一緒に活動していた。実際ピート解雇の理由には、色々な説があるようだ。ピートの後、メンバーの3人は当時別のバンドで活躍していたリンゴをレコーディングに連れて行った。しかし、プロデューサーのマーティンは他の有名なドラマーを用意しており、リンゴがドラムを叩くことは認められず、レコーディングではマラカスを担当したそうだ。

偉大なグループにも、デビューするまでに茨の道を歩いてきた。20歳頃にレコードデビューを果たしたビートルズだって、きっと音楽が大好きで、ロックで活躍することを夢見た普通の若者だったはず。列車の中で大音量で音楽を聞いてしまう自由気ままな若者と同じだったのだろう。

ビートルズについてのお話、今回ははじまりについて勉強できた。そして、その先のビートルズについても、もっと詳しく知りたいな。そんなことを思いながら、私たちは青空の下、マージー川のクルーズを楽しんだ。

最後に、アルバート・ドックにあるビートルズの像もお見逃しなく!


本日も最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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