地球外少年少女のたんなる感想
め~め~。
磯光雄監督「地球外少年少女」を見ました。
「電脳コイル」といえば、拡張現実や、そもそもメタバースなんていう言葉の片鱗すらなかった時代に、電脳メガネなるガジェットをつかって戦いや成長を繰り広げる少年少女を描いた作品として、広く知られた作品となっていました。
そして、電脳コイルのような世界観は、その後現れることなく、時々思い出しては、電脳コイルみたいだなー、なんて頭の片隅に思いながら、日々の生活に埋没していた昨今ではありました。
そんな時代から、はや15年。
磯光雄監督による最新作「地球外少年少女」が、Netflex資本で配信されるとなれば、見ないわけにはいかないのが人生というものではないでしょうか。
っということで、今回は、「地球外少年少女」の感想と、思ったことについて、徒然なるままに書き綴っていきたいと思います。
未来ガジェットが浸透する世界
「電脳コイル」といえば、現実と電脳世界を重ねてみることができたりする道具として、我々の世界とは一線を画すものに見えながらも、一方で、ありそうな感じがたまらない一品でした。
「地球外少年少女」においては、そんな未来の道具が、人々の生活に深く根ざしているというのがよくわかるようになっています。
我々からみてはるか未来のアイテムとして、スマートと呼ばれる身体等に貼ったりしてつかえるガジェットが主流の世界となっており、作中においては、手を広げる等によって、ディスプレイ代わりにしてみたり、入力装置にしてみたりと、多様な使われ方をしています。
こんな道具があれば、こういう風な考え方でつかっていそうだな、という日常感は、「電脳コイル」時代から変わらない見せ方のうまさだと思ったところです。
我々が生きている世界と、なんとなく地続きになっている感じがするのもありまして、それは、キャラクターの紹介で、フォロワー数が名前とともに映し出されるところに、その考えを感じることができます。
SNSによる発信が当たり前になり、フォロワー数が強さになる、みたいな世界が、ここまで当たり前に押し出されるっていうのは、ありそうだな、という感覚にフィットするところです。
企業案件なのか。
「オニクロのスーツがあったはず」
宇宙服の名前が、オニクロスーツっていうのかな、と思っていたら、服を売っているユニクロのもじりだったことにまず驚きます。
企業とどこまでタイアップしているのかはわかりませんが、微妙にロゴを変えたり、名前をかえたりして、見る人がみればまるわかりな企業の名前が面白いです。
企業とがっちりコラボレーションする作品といえば、「タイガー&バニー」が懐かしいところですが、「地球外少年少女」は、Netflex資本ですから、そのあたりのタイアップは、あるようにも思えません。
ところどころにある、企業ロゴをみるだけでも、面白いです。
参考作品
さて、本作品をみていてすぐに思い出してしまうのは、「2001年宇宙の旅」でしょうか。
月で生まれた少年登矢も、人類はゆりかごである地球に戻るべきだ、みたいな話をしていたり、人類が、宇宙に進出しようとして失敗したり、人工知能的なものによる、シンギュラリティ的な話云々も含めて、その影響が見て取れます。
無重力空間における、足を地面につける演出も含めて、ちゃんとSF的な見せ方をしており、2001年宇宙の旅における、歩く描写を思い出したりするところです。
また、後半になってくると、知能レベルがあがりまくった人工知能は、すでに「11次元」についての理解や、その他もろもろのことを理解できるようなって、というのがあります。
テッド・チャン「あなたの人生の物語」を思い出させるというか、最近でいえば、それを原作とした「メッセージ」を見たことのある人であれば、表現したいことがなんとなく見えてくるところです。
既に、未来も過去も存在しない超知能生命体となったものにとって、すでに、人類というのは、っていうのもありますし、物事を理解するっていうことが、どういうことなのか云々というのも、ほのめかされているところです。
作品の後半になってくると、そのあたりの設定が繰り返しでてきてしまって、ようするに、人類が進化するべきときなのだ、といった、2001年宇宙の旅から連綿と続くテーマになってくるあたりは、楽しみたい人向けといったところでしょうか。
安全な場所へ次々と避難していかなければならないという点では、宇宙版「ポセイドン・アドベンチャー」としてみることもできるところでしょうか。
宇宙サバイバルもの
前提の話はいいとして、物語の前半については、掛け値なしの面白さが続きます。
先ほどの、磯光雄監督らしい日常感に根差した未来の設定と、宇宙という場所で発生してしまった事故の中で、サバイバルものとしても面白いものとなっています。
月で生まれて頭もいい登矢という主人公が、一人ではなく、誰かとかかわりを持つことで、人間的に成長していく作品となっているのもポイントです。
少年少女たちが、大人に頼らないで宇宙を漂流するという話でいえば「無限のリヴァイアス」なんかがオススメだったりしますが、「地球外少年少女」は、そっちのほうには流れは向かっていきません。
youtuberである美笹美衣菜が、どんな状況でも、それをネタにしていこうとする姿勢は、現代っぽくてすごく面白いですし、ネット接続であたふたする姿なども、面白いです。
未来の人たちも、自分たちと似たような感覚があるんだな、っていうところがちゃんとみえるのは、やはり、演出の妙といったところでしょう。
空気がなくなったり、うすっぺらい宇宙服をつかって、船外にでたりするなど、宇宙ならではのサバイバルさが満載で、前編は、エンターテインメントに徹しているところもたまらなかったです。
ゆりかごから墓場まで
物語の前半は、そんな感じで大変面白いのですが、後半は、人類はどうあるべきなのか、子供が大人になるというのは、どういうことなのかというのを、最終的には謎の空間で全裸で語り合うことになります。
一応、このあたりの伏線のような話は、物語の前半でも描かれておりまして、主人公の相棒のようなドローンであるダッキー含む、機械たちには、知能レベルが制御されていたりします。
ルナティックなる災害が起きないように制御している、ということにはなっていますが、いわゆる、人類にとっての補助輪のような役割を果たしていることもにおわせています。
機械の知能レベルが制御されるという事実が、守られている、あるいは、ゆりかごの中にいる、という事実を表しているところです。
制御をはずすということは、それなりの責任が伴うということもにおわせつつ、最終的に、生意気だった主人公が大人として、成長していくところを描いている、ビルディングスロマン的な物語となっていました。
6話という中で納めるには、物語の尺が少な過ぎたのかもしれませんが、設定の面白さに関しては、抜群となっておりますので、「電脳コイル」で磯光雄監督のことを知っている人であれば、見て損のない作品と思います。
以上、地球外少年少女のたんなる感想でした!