映画「サンセット大通り」&「どついたるねん」 共通点は?
1950年の洋画「サンセット大通り」と、1989年の邦画「どついたるねん」を配信で鑑賞しました。
で、感想を書いてみようと思います。
◇サンセット大通り ☆☆☆☆☆
◇どついたるねん ☆☆☆
☆☆☆☆☆→すごい。うなっちゃう!世界を見る目がちょっと変わる。
☆☆☆☆ →面白い。センス・好みが合う。
☆☆☆ →まあまあ。
☆☆ →う~ん、ちょっと。。。
☆ →ガーン!
サンセット大通り
まあもう今更って感じですよね、クラシックの名作です。
自分はビリー・ワイルダー監督のファンで、この「サンセット大通り」を観るのも何回目かなあ、すでに4~5回は観てるかなあ。
今回も、特に理由なしにまた観ちゃいました。
うん、このストーリーテリングの巧みさは相変わらず凄まじい。無駄が一切ない。
名匠の芸は半端ないっす。キレキレですね。
中身に関していうと、「過去の栄光を忘れられない大女優の妄執」のお話(サスペンスです)なのだけど、これって誰にでも起こりうるのではと思いました。
設定として大女優にした方が分かりやすいからそうしてるだけで、女だろうが男だろうが、俳優だろうが俳優じゃなかろうが、あてはまる気がする。(まあここまで極端ではないにせよ)
簡単に言っちゃうと、「人間のさが」ですよね。
「過去の栄光」とまではいかなくても「成功体験」に引きずられちゃう部分ってありますよね。
そこに自分自身で批評のメスを入れるのって難しい。
ただ、この作品を撮ったビリー・ワイルダー監督をはじめ、昔のハリウッドの巨匠・名匠たちって、いろんなジャンルの作品を撮っている。
ワイルダー氏も初期のノワールから後期のラブコメまで、幅広いジャンルを扱ってます。
で、ラブコメの「アパートの鍵貸します」「お熱いのがお好き」みたいな傑作を残してる。
あと、戦争ものの「第十七捕虜収容所」もよかった。
「成功体験」に引きずられないようにするには、自身にとってフレッシュなものを取り込むことが大事かもしれない。
「自分が知らない自分を見つける」、この秋のテーマにしよっかな。
どついたるねん
こちらは初見でした。
阪本順治監督と俳優の赤井英和氏のデビュー作。
デビュー作とは思えないほど落ち着いてます。映画の雰囲気がいい。
何がその要因なのかと考えたら、カメラのアングルがいいんですよね。
アングルが高くなくて、目線か、それより下からのカットがほとんど。
だから、赤井氏演じる安達という型破りで無軌道で横暴なボクサーが主人公でも、地に足の着いた作品になっている。
この作品は大阪が舞台で、安達は作中に2回ほど通天閣にのぼるのですが、2回とも良く描いていない。
1度目はぶすっとしてて外の景色になんの興味もしめさないし、2度目に限っては吐いてしまう。
ああそうか、この主人公は「上から目線」を徹底的に拒んでるんだな。
とにかくまっしぐらに相手に立ち向かっていくのが彼の信条。
で、観ている方も、最初は滅茶苦茶な奴だなあと思っていたのだけど、いつのまにかこういう生き方も悪くないと感情移入していることに気づく。
ハッとさせられました。
自分も上から目線で記事は書かないようにしているけど、大丈夫かな。
これは自分への戒めとして刻まなくちゃですね。
あと、これだけは書いておかなければ。
主人公を支える影のあるトレーナーを演じた原田芳雄氏の名優っぷりが半端なかったです。身体がキレキレでした。
2つの共通点は?
さて、見出しにもあるようにこの2つの映画の共通点は何でしょう?
「サンセット~」はハリウッドを舞台にしたフィルムノワールだし、一方「どついたるねん」は大阪を舞台にしたボクシングもの。
国も違えば時代も違う、監督の作家性もまったく違う。
というわけで、その共通点は、両作とも演じている俳優の実人生が劇中のキャラクターに反映されていること。
「サンセット~」ではグロリア・スワンソンという実際の往年の名女優が、ノーマ・デズモンドという落ち目の大女優を演じています。
「どついたるねん」は元ボクサーである赤井英和氏が安達英志というボクサーを演じていて、赤井氏が実際試合で敗れた相手本人が、劇中でもその設定のまま登場しています。
両作とも、この虚実入り混じった設定が作品の質を上げていると思う。
映画に前のめりになれるひとつの仕掛けですよね。
こういう映画ばっかりでも疲れちゃうけど、どこまでがほんとでどこからがフィクションなんだろうってドキドキするのもいいですよね。
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