フリージア
4月の始めの朝。
いつも私は8時前に起き、朝ご飯を食べる。両親は7時ごろに起きるので、そのころには、朝食を食べ終え、仕事へ出る準備をしている。だから、だいたいは、おばあちゃんと朝食を食べる時間が重なる。
その日もいつもと同じ時間に起き、朝食を食べ始める。テーブルにはご飯とみそ汁と、、、金色の細く小さな花瓶。所々、金のメッキが剝げている。黄色と白いかわいらしい花が、花瓶の中で咲いていた。
我が家の食卓のテーブルの上にはいつもおばあちゃんが、花を飾っている。買ってきた花、友達から貰った花、庭で育てている花、近所の河原で咲いている花。いつもは、花には興味があまりない私なのだが、その日の、黄色と白色の花は、あまりにもかわいく健気に咲いていたので、おばあちゃんに「この花なんていうの?」と尋ねた。
聞いた瞬間に、というか言い終わる前に「しまった!」と思った。その数日前に、『花束みたいな恋をした』を観たばかりだったからだ。
劇中で、菅田将暉が花の名前を有村架純に尋ねると、有村架純が「男の子が花の名前を女の子に聞くと、その花を見る度にその女の子を思い出す」的なことを言っていた。素敵なセリフだ。別れた後でも、その子のことを思い出してしまうということだろう。まあ確かにあるかもしれない。
そんな映画を見た後で、初めて花の名前を聞く女性がおばあちゃんなのが嫌だった。笑
どうせなら、有村架純みたいにかわいい女性に聞いて心の中でニンマリしたかった……気持ち悪くてごめんなさい。
おばあちゃんは、「フリージアだよ」と嬉しそうに答えた。孫が自分の飾った花に興味を持ってくれたのが、嬉しかったのだろう。今玄関に飾っている花、庭に咲いている花の名前をいっぱい教えてくれた。全然覚えていないが。
だけど、未だにフリージアはちゃんと覚えている。かわいかったし。来年の春もフリージアを見たらおばあちゃんとのこの日のことを思い出すだろう。きっと5年後も10年後も。おばあちゃんがいなくなっちゃったとしても。
だったら、聞いといてよかったと思う。何でもない日だったが、僕の中では、おばあちゃんとの思い出だ。ありがとう、有村架純。
その日以来、おばあちゃんはテーブルの上の花の名前をよく自分から教えてくるようになった。少し違うかもしれないが、世のおばあちゃんは、一度好き、おいしいと言ったものをしばらく買ってくる。多くの人がこの経験があるだろう。普通に「おいしい」と言っているだけなのに、まるで「なんじゃこりゃあ!世界で一番うまいわ!」と言ったかのように受け取られる。あさりの佃煮、カラフルな砂糖のついた動物ビスケット、芋けんぴ。亡くなったおじいちゃんと私の好みが似ているのも嬉しいのだろう。
数日前、出かけようとして玄関で靴の紐を結んでいると、おばあちゃんが見送りに来た。もう24なのにいつも「気をつけてね」と言いに来る。ありがたいことなのに、時々この優しさが煩わしく感じてしまう。そんな自分が嫌いだ。
その日は、玄関の花瓶でカラーとキンギョソウという花が咲いていた。おばあちゃんはカラーを見て、「私はこの花が好きなんだ。静かだから。」と言った。
カラーは大きな花弁が一枚。一枚の花弁がくるっと巻いて一つの花になっている。なのに地味じゃない。凛々しくて気高い。無駄なものをそぎ落とした精練さを感じる。
確かに横のキンギョソウはうるさい。ガチャガチャ咲いている。でも、花に対して「静か」という表現はあまり使わないなと思った。「うるさい」とは確かに言う。私は、おばあちゃんのその表現が気に入った。美しい。
私も誰にでも優しくできるおばあちゃんみたいな人になりたいと思っている。
いつもありがとう。母の日なので自慢のおばあちゃんについて書いてみた(なんでやねん)。
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