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2025年の抱負

死ぬ頃には、どうせ全てがいい思い出になる。そう考えて、やらない挑戦よりもやって大成功の気持ちでやるしかない。いい人になんかなれない。清廉潔白にはもう生きられない。戻れないし、生まれてこの方、そんな人生を望んだことなんてなかったじゃないか。やってしまったことはしょうがない。藪蛇になることはやらないという大きな大原則のもと、やってしまったことを静かに咀嚼しながら、なんとか生きていくしかない。それも、楽しく生きていくしかない。普通に生きていれば、何も挑戦しなければ、世界は地獄になる。家庭持ちにとって、当面の問題は金だ。ただ、基本的に現在は景気は悪く、世界は問題だらけで、世界では人殺しが行われ、障害のある子供は毎日生まれ、老人が増えていく。税金はむしり取られ、英語が喋れず、スキルのない人間は基本的に外で働くことを実質禁止されている。

世界には格差がある。社会的にも性愛的にも受け入れられない弱者がいる一方で、金と権力と健康と時間とモテを持つ男や女もいる。「仕方ない、世の中はそう言うものだ」と諦めて生きていくことも一手だが、おれはそういう選択をし続けないでこれまできた。なんとか地獄から這いあがろうと。

いや、別に地獄ではないのだ。正直言って、全方位的に地獄というわけではない。彼女がいなかった時期はないし、子供もあらゆる意味で健全で、嫁も美人で手に職があり、まともだ。親とは微妙だが、遺産もちょっとはあるみたいだし、距離も離れていて、介護する心配もそこまではない。英語もある程度喋れるし、資産もゼロではない。金融資産はあるし、子供を大学まで行かせることはできるだろう。友達も少ないがいるし、友人もいる。仕事もあるし、年収は1000万円を超えている。十分に恵まれている。そして何よりも、健康である。時間もある。この状況は、ギリギリのバランスのもとに成り立っている。そしてタバコも酒もやめた。酒をやめたことで社交性に多少の問題が出たことも認めざるを得ないが、まぁ本質的にはなんの関係もないだろう。

ここ数ヶ月で大きく変わったのは「幸福」を感じられるようになったことだ。小さなことに幸福を感じられるようになってきた。例えば、美味しい紅茶を飲んだ時、何か新しくていいものを発見できた時、そもそも一人でいる時。一人でいるけど、家族が周りにいる時。仕事で会社に貢献できた時。集中して原稿を書いている時。コーヒーを飲んでいる時。酒を辞め続けるためのアプリを見る時。体重が落ちている時。キックボクシングをしている時。好きな映画や音楽を聴いている時。読書をしている時。自分が好きだと思える善良な人たちのコミュニティに入れてもらっていると感じる時。ウォーキングしている時。そういう、オキシトシン、セロトニンの放出を実現している時、自分は適切に幸福を感じることができる。そういう、感じる機能が備わっている。

思うに、こういう「幸福を感じる機能を大切にすること」と「何かに挑戦すること(ドーパミン的幸福)」というのは両立すると思う。両立させなければならないのだ、むしろ。2025年は今の状況をできる限り維持し続けることと、そこからはみ出た余剰分で真剣に未来を考えたい。これは上にも書いた通り、清濁合わせ飲むことにも酷似している。バランスを持って人生を進めていく必要がある。

ではどういったチャレンジをしていくんだろうか。そもそも、家族というものの経営の維持だって、かなりチャレンジングな行為だ。それは継続してやっていくとして、おれができるチャレンジにはあといくつかあると思う。

一つは、クリエイティブなチャレンジだ。おれは絵を描いたり文章を書いたりする。写真を撮るのもの好きだし、そういう、いわゆるクリエイティブなものが好きだ。儲かるとかライスワークとか気にせず、ライフワークとして、クリエイティブなものを追求していきたい。自分にフィットしたフォーマットを見つけて、追求していく。フォーマットを見つけることが大切なんだと思う。イラストとか、テンプレ的な写真の規定とか、そういうものを見つけて、それを追求していくことで、アーティスティックな側面を人生に付帯させることができる。これはライフワークなので、何年もやる必要がある。20年とか30年とか、下手したら死ぬまで。死ぬまでできるフォーマットを見つけること。これが2025年の大きな目標の一つだろう。

二つ目は、まだまだやはり金なのかなと思う。30代で会社を作り、ブティック型のコンテンツ制作会社を作った。鳴かず飛ばずで10年経ったが、生活するには十分な金を得ることができた。ほとんどの零細企業・個人事業主がそう言うものなのかもしれない。少なくとも、赤字体質に陥ったことはほとんどないのが救いだ。そりゃまぁ、従業員も家賃も基本的には必要ないビジネスモデルで、4割も利益取ってたのでそりゃまぁ、という感じではあるが。ただ、コロナ渦でのメリットが仇になっていま精神的に苦しんでいる。が、これはやってしまったものは仕方がない。乗り越えるしかないのだ。それを内包しながら、微弱ながら副業的に仕事を続けていく必要がある。これ以上大きく稼ぐ能力や才能は自分にはどうやらなさそうだが、今のブティック的な構造を維持・拡大するのはできると思う。捨てたら? と言われたりもするけれど、家族同様、どうしても捨てられないものだってある。。。捨てられないんだったら、負債にするのではなく、拡張の道を通らないといけない。

三つ目は、会社の中で認められるというチャレンジだ。これ、おれ、人生で成功したことがないし、成功させたいと思っている。これも「どうやら俺もここまでのようだな」という場面はあるとは思う。もちろんサラリーマン的なゴールはあるだろう。それも大したことはないと思う。島耕作みたいな人生は俺の中では絶対に起こり得ない。だが、だからと言って蔑ろにしてはいけないものなのだと思っている。転職する必要はない。転職はもう年齢的に、マイナス要因にしかなり得ないので、ここでスキルセットを高めていく必要があるというか、それが一番の良策である。

四つ目のチャレンジは、ダイエットだ。あと2キロやせて73キロになり、筋肉質なボディを維持することを目標にする。なので、これは所信表明的だが、今日と明日で73キロ台まで減量させる。朝昼サラダで夜酵素スムージーである。それを維持していく。それには禁酒禁煙の維持も大切だ。禁酒禁煙はすでに自分のアイデンティティになっているので、大きくそれが切り分けられることはないだろう。何が起きても、大幅なカロリー増加と健康を阻害するタバコはやらないと決めている。禁酒禁煙・ウォーキング・サラダ・スムージー生活、キックボクシングと通常の筋トレを継続していく。

五つ目のチャレンジは、海外だろうな、やはり。英語の勉強を再開しよう。英語をちゃんとビジネスレベルたり得るところまで持ち上げて、海外にチャレンジしてみよう。ここから何十年と日本にいるという状況はもうあまりないだろうし。世界に目を向けてみることが大切なんだと思う。自分を労働力として提供することは難しそうなので、ビジネスだろう。これが一番のチャレンジなんだと思う。世界に目を向ける。

ということで、これがおれの5つのチャレンジだ。
まとめると俺は、過去を正しいのものと割り切って、清濁合わせ飲みながら、家族経営をこれまで通り滞りなく続けていきつつ、絵や文章を書いてアーティストとしての自分を確率しつつ、自分の会社の体裁を整えながら、サラリーマンとして努力し、健康ボディと海外での経験を積む。これが2025年のチャレンジになる。

大人になると、守るものや責任が出てくるから、物事はそんなにシンプルじゃなくなる。だが、酒とタバコを辞めた俺には大いなる時間と金が残った。それを自己投資に使うのだ。人生難しいが、難しいぐらいがちょうど楽しいんじゃないだろうか? 頑張ろう。

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