見出し画像

おれは理性的でいたい

人は理性を飛ばしたがる。

酒やドラッグ(酒もドラッグなんだが)や、色々なもので、通常我々が有している理性というものを壊したがる。毎日酒飲んでる人は、毎日1回は理性を壊しにかかっていると言っても過言ではない。

まぁそれは言い過ぎというのであれば、週に1度の飲み会などで大声を出したり正体を失ったり下ネタを行ったりするほどに理性を失わせているのだとすれば、それはなぜなんだろうか。

よくよく考えてみると、おれは常に理性的でいたい人間だった。
理性ってそもそもなんなんだ?

AIによる回答は以下。

理性とは、次のような意味があります。

  • 道理に基づいて物事を判断する能力、論理的・概念的に思考する能力

  • 善悪や真偽などを正当に判断し、道徳や義務の意識を自分に与える能力

  • カント哲学では、先天的能力一般、または悟性・感性から区別された無制約の認識能力

  • ヘーゲル哲学では、悟性が抽象的思考の能力であるのに対して、弁証法的な具体的思考の能力

  • 宇宙・人生をつかさどる基本原理

「理性的」とは、感情や本能に左右されず、冷静に筋道を立てて物事を判断・行動できる様子を指します。反対語は「感情的」「本能的」「盲目的」などです。

理性と感情は、人間に備わった2つの対照的な能力としてよく挙げられます。理性は冷静に考えることのできる力、感情とは心の底から自然に込み上げてくるものといってよいでしょう。

なるほど。

宇宙・人生をつかさどる基本原理とは知らなかったが、感情と相反する言葉なわけだ。確かに、理性的と感情的は対義語的に使われるな。理性で感情を制御する、とかそういうことだな。

でも、理性的な人間でも、感情を持っていないかというとそうではない。バランスなんだろう。感情的な人間て、少しおれは恥ずかしいと思う。というか、基本的に理性的な人間で、感情も持ちつつも、その抑えられない感情が散見されたりすると、人はその人のことを好きになったりするのかもしれない。酒やドラッグで極度に感情的になった人間をみても、他人は自分のことを好きになるだろうか? ならないだろう。酒に飲まれた哀れな人と思われるだけだ。

何度も言ってしまうが、おれは昔から、理性的な人間でいたかったはずだ。それがいつしか酒に塗れて感情的な人間になってしまっていた。

これからも禁酒を続けよう。
死ぬまで、基本的に理性的な人間として生きていくために。



いいなと思ったら応援しよう!