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「正しさ」とは?

最初に、この記事は「正しさ」の正体というか、正解を書いた内容ではございません。あくまで自分の気付きについての話です。

自分を知る症候群を発症後、試行錯誤するも・・・昨年の3月に限界を迎えました。(←俗にいう、風船割れました事件です)その後はというと、感情面で言えばすごく安定していて、なんとなく重い感じもなくなったように思うし、周りは変わらないけど自分の感じ方が以前と変わってるなと思ったりしてます。これなんでやろうなぁって、ちょっともやっとしてたりするんですけど、あるキーワードでピコーン!!ってなったんです。それは、

「正しさ」

そうか、自分は今までこの「正しさ」に縛られていたんだなって思えてきたし、なんか腑に落ちた感がすごくしています。この感覚を記録しておきたいなと思って、構想とかなんも考えずに書いている次第です。


ことの発端は、幼少期に経験したいじめ問題

棚卸シリーズでも書いたが、自分の中では突然みんなから嫌われたと認識している出来事で、今でも原因はわからない。幼い浅葱はその事実だけで「自分は間違っているんだな」と判断したのではないか。だから「正しく生きること」を目指したのかなと。その結果、自分で考えた「正しい人物像」を演じて相手の反応を見てジャッジをしていた。だからやたら観察力が磨かれたのかな。相手の気持ちを知ることはイマイチですけど💦

非難してくる人に執着する

これ、ほんと今思うと往生際の悪い人だねって自分で思うんですけど、これまでの人間関係でこじれている理由の一つであると思う。例えば、「このやり方間違ってるよ」って親切に教えてくれてるのに、「全否定かよ」って浅葱さんが思ってしまうやつですね。これも、自分が頑固だからってなんとなく片付けようとしてたけど、「正しさ」を追求していた自分からしたら、「正しくない」と言われることはあってはならないので、全力で抵抗したのかなと思ってみたり。

分かりやすいのか分かりにくいのかよく分からん例え話を3つほど書いてみたけど、これまであぁでもない、こぉでもないってこねくり回して考えていたことの大半が、この「正しさ」を使用することでうまく整理できてきてるように思う。これ、世紀の大発見ってくらい衝撃的なんです、個人的に!!

で、今はどうなん?ってことなんですけど、正しいか正しくないかなんてわからんわー、っていうか結論出す必要ある?って感じです。適当にも程があるとは思うけど、【人の心が常に一定ではない=これが正解といえない】ことを知ったおかげかもしれません。

ある時、自分の価値観を揺るがすほどの出来事に遭遇し、何が何だかわからない・・・ってさまよっているうちに、もしかしたらこの「正しさ」に縛られることがあるのかもしれません。「自分は正しい」ってある意味、チート級に強くなった気がしますもんね。どっちでもいいわっていうくらいゆるふわな方が物事が潤滑に動いていくのかな。

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