43 学校は才能の無駄遣いを教えている
ずいぶんと長く間書いていませんでした。ちょっと忙しくしていたのです。最近の忙しい原因はちょっとしたボランティア活動でした。それも、中学生の英語の補習です。ええっ?!、この私が中学生に英語を教えるですって?、と私もまさかこんな事になるとは思いもしませんでした。市が夏休みに入ったタイミングで補習を希望する子供と親に1週間の補習を募るのですが、平日ということもあり講師がなかなか見つからなかったのです。そこで私ですが、まがりなりにも去年まで海外生活していたという事で引き受けました。先に予習として図書館に何度か通いましたが。(数学もちょっとやりました)
先に最近の義務教育での英語教育に関してですが、これは私たちの時よりも実用英語に近付いていて良いと感じました。私たちの時には既にその時点でシェークスピア時代の英語だと揶揄されていたほどでしたから。それに比べれば現在のそれは会話に重点が置かれていますし外国人の先生と話す機会も設けられています。羨ましい限りです。
ですが、補習の時に子供が持ってきた夏休みの宿題を見て、そして中学生の課題に取り組む姿勢を見てかなり違う印象を持つ事になりました。おー!、それは我々があの時やったそのままではないか!、と。何がそのままかと言いますと、「解答欄にとりあえずでも答を埋める主義」なのです。それができていれば勉強してはいる、そして努力している、上手くいけば正解となって点数が入るというわけです。
えっ?、そんなの学校では普通だろうって? そうなのです。普通なのです。それはもう何十年も前から普通なのです。で、その結果、私たちは英語がどれだけできる、できるというのは使えるという意味ですが、できるようになって世に送り出されましたか? 答えは簡単です。メタメタです。
元に戻って、私が見た中学生(たち)の様子を書きましょう。幸いにもその中学生たちはある教科はとても成績が良いとの事で、私の負担はとても軽くて済みました。ただ、完璧ではありませんので私の援助が必要でした。それは課題を解いて間違えてしまった時です。どう間違えるかにははっきりとしたパターンがありました。これが問題なのです。彼らはわからなくても解答欄を埋めようとするのですが、そこまで行くパターンはこうです。
1) 問題を読む
2) 自分の知っている解き方のパターンに照合する
3) パターンがわからないと回答できないと認識
4) 頭の中にある断片を使ってそれ風に並べる
5) 解答欄に書き込む
というプロセスです。
つまり、回答のための回答をしているに過ぎません。そして考えているのではなくて考えなくても回答できる方法を学んでいるのです。間違えていても何も書かないよりは書いた方がやっている、または努力したように見えるという事さえ志向しています。
気付きましたか? これは私たち大人が彼らと同じ中学生だった時代のやり方と同じです。変わってはいないのです。ある意味そうなってしまうのは仕方ないという事はあります。なぜならクラスには30人ほどがいて、先生は個別指導などできませんからどうしても解答欄に書かれた内容を見て判断するのが効率的なのです。正しい答が書かれていればそれは良しとし、途中どう考えたかはある程度になります。集合教育ですから。
さらに次の話に行きましょう。こちらの話題の方がさらに重要です。その中学生たちが、多くの事を覚え、理解したり、考える事が困難な子たちであれば自分ぼ将来を考えてそうした回答主義を採用していても、それも仕方ないなと思ったかもしれませんが、実際のところその子たちは優秀でした。ダメな回答をしていても知識はとても豊富で、つまり覚えるキャパシティは大きかったですし、余談で聞いたところでは得意な科目ではもしかしたら大学生以上の知識と興味を持って取り組んでいました。全く感心させられるばかりと言えます。それが、学校の課題となるとパターンマッチングのみ、そして回答主義に陥ります。
もし、彼らに十分な考える時間が与えられていたら、もし個別の疑問、それは既に知ってしまっている先生や大人にとってくだらないと思うようなものであったとしても、それにきちんとしたアドバイスが用意されたとしたらずいぶんと違った態度で学習しているでしょうし、彼らにとってももっと楽で楽しいかもしれません。
こうした形で子供は大人の用意した問題に単に反応する事を覚えます。つまりは考えずに効率重視で生きていく方法を学ぶのかもしれません。
Jとaとpとaとnを続けて書くとどうしてジャパンと言うのでしょう? 5年前の事を言う時に完了形にするか過去形にするか、その違いは何でしょう? interested in を覚えるように言われますが、その時になぜinを使うのでしょう? sa ○○ as を覚えろと言われますが、asって何ですか? 数学は公式を当てはめる事で多くの場合正解に達する事が可能ですが、問題が文章で書かれているとどの公式を使えば良いかわかりません。絶対値を求める方法は知っていても意味を知らないと答がマイナスになってしまってもミスに気付けません。これらはほんの1週間の間に私が経験した事のほんの一部です。数学など、成績が5の子での事です。
つまり、その子にどんな才能や能力があったにせよ、教育はそれを十分に使うようには指導せず、逆に考えない方法を教えていると言えます。これは子供だけの事ではもちろんありません。私たちもそうした教育を受けてきたのですし、私たちはその教育の成果そのものなのです。
ならば、どうしたら良い?、ですって? いえ、それこそ私たち自身が考えて答えを出す事です。そして採点も自分自身でしなければなりません。もう私たちの前には教師はいないのですから、「幸いにも」。
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