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■圭介(仮名)のはなし

誰かが落とした麦わら帽子が、波にさらわれて夏が終わろうとしていた。圭介(仮名)、覚えているかあの夏の終わりを。

僕は、あの日、いつもと同じ時刻に鞍馬口の茶店に向かっていたんだ。同志社の食堂は、人が多すぎて大嫌いだ。なので、いつも同じ茶店の同じランチを独りで食べる。大学の喧騒から離れた至福の時間。

ただ、その日は、人生史上最も哀しんでいた。いや、怒ってた?兎に角、情緒不安定で鞍馬口をトボトボと歩いてたんだ。

行きつけの茶店横のレンタルビデオ店から小太りのデカイ男が出てきた。圭介だ。

「おー、圭介、今から飯食うんやけど、一緒に食わへん?つーか、ちょっと色々あって呑みたい気分なんやけど酒付きおうてや。昼やけども。」僕は、圭介に声をかけた。

「うむ、別にいいさね。今日は呑む日だったさね。」圭介は快諾した。京都に5年もいるのに相変わらず九州訛りが酷い。つーか、今日は呑む日って、どゆこと? 変な奴と思ったが、面倒なのでつっこまなかった。

圭介とは、大学の部室で昼夜問わず顔を合わせ、麻雀に勤しんでいる。因みに圭介は、やたら強い。猛者が集うフリー雀荘で一睡もせず48時間打つ麻雀ジャンキーだ。

酒を呑む前に先ずは、腹を満たさねばならない。茶店に入り、いつものハンバーグランチを2つ注文した。

「昼から酒呑みたいなんてなんかあったさね?」スープを飲みながら圭介は尋ねた。

「ああ、大いにあったよ。亜美ちゃん(仮名)と別れた。」羊の紋様が刻まれたデュポンのライターで煙草に火を点けながら、僕は答えた。

「何故?」

「亜美ちゃんが浮気した。またもや。そもそも亜美ちゃんと付き合い始めた時て、向こうに彼氏がおって二股スタートやぞ。その二股が半年も続いた。永ない?ほんで3年付き合っても浮気や。」

「それは、亜美ちゃんが悪いさね。」

「まあ、だから呑みたい。」

「どこで呑むさね。木屋町行くさね?」
圭介は、素敵な石畳みの呑み屋街を指定してきた。

「こんな時間から開いてへんやろ。圭介の家はあかん?こっから近いんやろ?」

「別にいいさね。ただ住んでるのは、寺さね。それでも良ければ。」

「寺?」

「うむ、大学の裏の寺。家賃0で食事付き。ただ、床拭きとか手伝い有りで女性入室禁止とか制限は多いさね。」

「へえ、そんなんあるんや。ええやん、彼女と別れて寺で呑む。春樹っぽいやん。」

「全然、村上春樹っぽくは無いが、傷心に寺はいいさね。庭が壮観で良いよ。」

僕たちは、ランチを食べ終え寺へと向かった。

初めて訪れる圭介の住まいは、驚きの連続だった。圭介の部屋は、六畳一間、トイレは共同、風呂は銭湯だった。昭和初期かっ!ただ、素敵な和の空間だった。

「ハイパーええやん。夏目漱石、こころの先生の部屋みたいやん…  知らんけど。」大きな本棚には書籍がぎっしりと詰まり、収まりきらなかった大量の本が畳の上に無造作に積み上げられている。小説が比較的多いが専門書、洋書あり、驚愕のラインナップだ。本屋でも始めるのか?

「本多いな…  カールセーガンのコンタクトって知ってる?」僕のお気に入りのSF小説について尋ねた。コンタクトは、サイエンスフィクションでは無く、サイエンスファクトと絶賛された素敵な小説だ。ロバートゼメキス監督、ジョディーフォスター主演で映画化もされた。

「知ってるさね。天文学者のカールセーガンさね。確か小学生の頃読んだ。」 小学生だとっ!僕が「ずっこけ3人組」を読んでいた小学生の頃に、既にカールセーガンを読破してるだと…こいつ、もしかして頭ええんか?確かに麻雀の打ち筋は、ハーバード級ではある。

「つーか、何でマクロ経済学、六法全書まであんねん??、おまえ文学部やろ。」圭介が出してくれたカティーサークを呑みながら、僕は尋ねた。

「あー、話してなかったっけ。弁護士志望さね。文学部卒業したら、法学部の院に行く。あ、マクロは、まあ、趣味さね。」弁護士志望っ!マクロ経済学が趣味っ!あのはちゃめちゃ面倒くさい計算が趣味?おまえは何を言ってるんだ?

僕は経済学部だが、マクロの授業は初回で頭痛がして出るのをやめた。つーかほぼ全ての授業をサボっていた。何者なんだ、おまえは?ただのデブちゃうんか?もしかして、あれか、同志社に希にいる本物か?(京大に確実に受かる学力があるのに落ちて同志社で妥協する秀才を本物と呼ぶ。また、内部生の対義語でもある。)

圭介との付き合いは永かったが、麻雀しかしていなかった。5年も付き合っているのに圭介のことを何一つ知らない。

「高校は福岡の超進学校だったさね。ブラックリストに載ってたけどね。」圭介は、ビールを一口呑みながら話した。

「ブラックリスト?」

「全先生に目をつけられてたさね。授業中は、小説しか読まない。で、その本を取り上げられると、即座に別の本を読み始めるさね。小学生の頃から本ばかり読んでたさね。テレビは一切観ない。」圭介は、懐かしそうに笑った。

「松田聖子、知ってる?」何となく聞いてみた。

「…スポーツ選手?んー、分からんさね。有名?」 知らんだとっ!

「人類で松田聖子知らんのおまえだけやぞ。で、成績は、良かったんかいな?」

「校長直々に東大を受けてくれと言われる程には。」 東大だとっ!圭介は、国士無双を上がったかごとく、誇らしげに答え、2本目のビールに手を伸ばし、話を続けた。

「でも、早稲田しか行きたくなかったさね。早稲田に尊敬する教授がおってね。ただ、校長があまりに頼むから、断れず、妥協案で京大を受けることになったさね。普通に京大を受けると受かってしまうから、受験当日、白紙で出したさね。」 圭介、渋い、渋すぎる……

「て、おまえ、同志社やん!落ちとるやんけ!!!」 京大を白紙で出して早稲田に落ちる。もはや白紙で出す必要があったのか。普通に受けて、充分落ちてんじゃねーの?

「早稲田、数学は満点やったさね。国語の論文でヒトラーを書いてね、どうもそれがまずかったらしい。」 そら、まずいやろ。受験でヒトラーは無い。やはり阿保なのか。

麻雀以外で話すことは初めてだったので話は尽きない。既にカティーサークは2本空き、ビールの空き缶は散乱していた。

「大広間に行くさね。」 圭介は、竹刀を手に取り、僕を大広間へと誘った。一体、何が始まるんだ?

手入れのされた庭が見渡せる大広間は、デブの圭介が男前に見えるくらい神秘に魅せられていた。西陽が2人の影を長くした。

圭介は、胡座をかいて片手で竹刀をびゅんびゅんと振りながら言った。「落ち込むとたまにここへ来て、竹刀を振るさね。」 慰めてくれているのか、圭介よ。

日暮の鳴き声が心地よく、僕は、亜美ちゃんとの3年間を想い出した。改めて思い返すと素敵な想い出しか見つからなかった。庭が少し霞んで見えた。しばらく無言の時が流れ、気付けば辺りは暗くなっていた。

「高校は、剣道部だったさね。」竹刀を振りながら、圭介はポツリポツリと話し始めた。

「高3の秋、同じ剣道部だった親友が帰り道、酒を呑まないかと誘ってきたさね。当時、もうすぐ大学生だったから、これからいつでも呑めると断った。彼も早稲田志望だったから、高田馬場でいつでも呑めると思ったさね。」

「彼は、受かったさね。」 おまえは、見事に落ちたがな。

「同志社に入学しても、やっぱりどうしても早稲田に入りたくて。1回生の時、仮面浪人してたさね。でも、まわりがいい人すぎて、結局流されたさね。」 確かに大学にいる連中は、ええ奴ばかりだ。阿保やけど。

「後悔してるのか?同志社は、かなり面白いと思うで。まあ、早稲田も似たようなもんなんやろうけど。ただ、同志社で出会った奴は、ほんまに大好きな人ばっかりやで。俺は同志社好きやけどな。好きすぎて5年もおるわ。圭介もそやろ?」

「ああ。」

圭介の部屋に戻り、夜中まで麻雀無しで語り明かした。

「そろそろ帰るわー。元気出たわ。ありがとな、圭介。」

「また、いつでも来るさね。」圭介は、玄関まで見送ってくれた。

「あ、そういや、今日呑む日って言ってなかった?あれ、何?呑む日決めてんのか?」

「いや…  さっき話した親友が、早稲田に受かった夏に亡くなったさね…」 何故亡くなったのか聞きたかったが、聞いてはならぬと出かけた言葉を飲み込んだ。

「高校の時、呑めば良かったさね… 何故、彼の誘いを断ってしまったのか…」 圭介の目が潤んでいるように見えた。

「今日が彼の命日さね…  毎年この日は、彼を想い、呑むさね。」 デブの圭介がかっこよく見えた。間違いなく、君は、素敵な人間だ。

あれから20年以上過ぎた今、圭介は、未だ弁護士には受かっていない。(引)

つーか、税理士になってた。

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