「嫌いから好きに」…まではいってないけど「悪くないかな」くらいにはなった
雨の日がずっと嫌いだった。20数年の今までの人生で、いい思い出がほとんどない。
中学時代僕は野球部に所属していたのだが、その時に1年生には「鍵当番」というものがあった。部活前に職員室に部室の鍵を借りに行き部室を開錠、部活が終わった後には全員支度を終えて帰るのを待ち施錠、最後に職員室に返しに行く。これを朝練と放課後の2回、1年生が当番制でやっていく。
僕が鍵当番の日は、何故か雨が多かった。それも、途中からの雨が多かった記憶が強い。
部活の途中から降ってきたり小雨だったりすると、通常通りの練習をする。一方で、朝からずっと雨だったり放課後の部活前に降り始めグラウンドが悪かったりすると、室内練習になる。ユニフォームに着替える必要もないので、部室に行く必然性もない。鍵当番もそこまで面倒ではない。
面倒なのは、終わりに近づいてきた時間帯や終わった後に雨足が強くなることだ。そして、何よりも面倒なのが、先輩たちの帰り支度を待つ時間だ。
何故だか知らないが、そういう時に限って先輩たちは部室でウダウダ、グダグダし始める。雨も降ってるので同級生たちは早々に帰っていき、当然先輩たちもそうだと思い、さっさと自分たちの部室を閉めてさあ帰ろう、と思っても先輩たちがだべってるので部室を閉められない。
閉めたばかりの自分たちの部室をわざわざまた開けて、先輩たちの帰りを待つというのも面倒だし、どうせそこまで長くならないだろうと思い、結局外で待つ。しかしそういうときに限ってダラダラしてるので待ち時間が長くなる。鍵を返しに行けない。で、結局雨に打たれて風邪をひく。悪魔の時間としか思えなかった。
中学2年生になり鍵当番をしなくて済むようになった時にも、大会の前日に大雨に打たれ風邪をひき、大会初日を休むということがあった。3年生に混じり、2年生で唯一のレギュラーを掴みかけていた矢先の災難だった。
3年生の時の、中学最後の大会も、初日に大雨で延期ということもあった。
高校受験の当日も、合格発表の日も雨。大学受験の日も雨。自分が何らかの当番の日とか、大事な日とか、何かにつけて雨に降られている。
僕はいわゆる雨男なんだと思う。「なんだそんなこと」とか、「たまたまじゃん」と当然思われるだろうが、ここまでくると最早、自分が雨男だと思わざるを得ない。こうなると、雨の日をどうすれば楽しめるか、という方向に思考の舵を切っていくことになる。
雨の日に、用もないのにわざわざ散歩に行ってみた。スマホと財布だけの最低限の荷物を持ち出掛ける。あまりにも雨が強すぎる場合には部屋にこもるが、そこそこの強さの雨の時は、そういうことをやったりする。
普段はイヤホンをして音楽を聴きながら外を歩くのだが、雨の日はあえてそうせず、雨の音を聞くこともある。
休みの日にあえてそういうことをするのは、何故だか気持ちがいい。小気味いいリズムで道端に打ち付ける雨の音。何とも形容しがたい雨の匂い。(あれは何の匂いなんだろう?)
いわゆるヒーリングミュージックと呼ばれるもののラインナップに、雨の音が入っている理由が何となくわかり始めてきた。何も考えず、ただ雨を聞き雨をかぐ、いいリラックスの方法を見つけられた。
平日ならともかく、休日の雨の日にあえて外出するような人はあまりいないので、すれ違う時に傘同士がガシャーン!となることも、ガシャーン!とならないようにどちらかが傘を高く掲げることも少ない。嫌な思い出しかない雨の日が、段々と「悪くないかな」と思えるようになってきた。雨を好きになる日も、そう遠くない気がする。
余談だが、自分が「雨男・雨女」と思ってしまう理由には科学的根拠はないらしい。自分がそうだと思ってしまう理由のひとつには、「『大切な日に雨が降った』ことを強く記憶に残すようになる」というものがあるようで、心理学的に言ういわゆるバーナム効果のひとつである、そういう記事を見つけた。
見なかったことにするか。