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【レポート #39】石川県知事選挙レポート(2022 3.13)
◆選挙結果
[当]馳 浩 (60) 新 196,432 票 前衆院議員
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[落]山野 之義 (59) 新 188,450 票 前金沢市長
[落]山田 修路 (67) 新 172,381 票 前参院議員
[落]飯森 博子 (62) 新 15,331 票 新日本婦人の会石川県本部会長
[落]岡野 晴夫 (71) 新 3,011 票 元会社員
・・・っていきなり結果を書いてしまったので、このアト何をレポートするのかという話になるのですが、まず最初に申し上げておくと、私はこの選挙を取材していません。 私が住んでいる長野県は3月7日にまん防が解除されたものの石川県が解除されなかったため、私の本職で決められているルールにより行くコトが出来ませんでした。 申し訳御座いません。
じゃあ何をレポートするかというと、私は10代半ばから今までプロレス好きでありまして、特に90年代は熱烈に観ておりました。 その90年代に活躍していたレスラーの一人が、馳浩であります。 そんなワケでこのレポートはナンバリング(#)されていますが内容は、
【プロレスヲタから見た、政治家・馳浩】
になります。 よって他候補については殆ど触れませんが、無料レポートになりますので御容赦いただきたく存じます・・・
◆馳浩 生い立ち~レスラーデビューまで
馳候補のHPなどに「マンガで読む! 少年はせ浩物語」というのがあったので、まずそれを御紹介します(クリックorタップで拡大してご覧ください)。
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本人曰く、このようなストーリーのようです。 幼少の貧しい家に産まれ養子に出されるなど幼少の頃は苦労されていたようですが、プロレスファンの中で馳浩にそのような話を知っている人は、ほぼ皆無でしょう。 プロレスファンが描く馳浩は「エリート」そのものです。 アマレスで五輪出場、しかも教員、しかも国語教師。 とかく “叩き上げ” が好きなプロレスファンからすれば鼻持ちならない人物像です。 あとそれと、プロレスラー時代に石川県に住んでいたワケが無いので「52年間石川県で暮らした」は話を盛ってますね。
専修大学レスリング部の先輩である長州力にスカウトされ1985年にジャパンプロレスに入団します。 この「ジャパンプロレス」という名前を知らない方も多いと思いますが、これはアントニオ猪木の新日本プロレス(新日)を離脱した長州力をリーダーとするグループがジャイアント馬場の全日本プロレス(全日)と業務提携するための団体でした。 当時は新日本と全日本(と、第一次UWF)しかプロレス団体が無く、新日本の選手がいきなり全日本に移籍するのは問題が多すぎるため「提携」という形を取ったものです。 ちなみに、長州力をリーダーとするジャパンプロレスのメンバーが新日本プロレス在籍時に名乗っていたグループ名が、
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「維新軍」でした。 維新・・・ なにかの因果でしょうか?
このようにプロレスデビュー前から有名だった馳ですが、更に名が知られてしまう出来事が起こります。
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今では信じられない話ですが当時新日も全日も毎週ゴールデンタイムで放送されていました。 ただ段々と視聴率が低迷する中(それでも10%以上はあったようですが・・・)、打開策として導入されたのが「プロレス中継の “バラエティ化”」。
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試合を見せる以外にスタジオ収録のバラエティ要素を取り入れた内容で、MCに当時人気急上昇中で翌年から8年連続で好感度1位になった山田邦子を迎え人気回復を狙ったのですが、とかく “排他的“ なプロレスファンから総スカンを喰らい大失敗に終わったのですが、その番組にプロレス側から出演していたのが、ジャパンプロレスが全日から新日にUターンし日本デビューを控えていた馳浩。 現役の選手をバラエティに出すワケにはいかないのとテレビでタレントと渡り合える会話能力を持っている選手がそうそういない中で元国語教師で弁が立つ馳に出番が回ってきたのですが・・・
スタジオのトークコーナーで山田邦子がプロレス初心者の素朴な疑問をぶつける形で「(試合中の)流血って簡単に止まるものなんですか?」と聞いてみたら馳が「止まる訳ないだろ、つまんないこと聞くなよ!」とマジギレしてしまうという姿がゴールデンタイムで流れ、プロレスを愛する熱狂的ファンからは喝采を受けたものの、その姿はやはり今までのレスラーとは違う「異質」なものとして映ったのです。
そして同年12月に日本デビュー。 デビュー戦にしていきなり小林邦昭とのIWGPジュニアヘビー級タイトルマッチで、しかも勝利してしまうという大快挙!
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海外で武者修行を積んでいたとはいえ日本デビュー戦でチャンピオンになってしまうという離れ業をやってのけたのですが、とかく “エリートが嫌い” なプロレスファンからはブーイングを浴びまくるのです。
◆ジュニア卒業、奇跡の生還、そしてイメチェン
ジュニア戦士として第一線で活躍するものの “人気レスラー” とまではなりきれず、1989年に獣神ライガー(現・獣神サンダーライガー)に敗れてヘビー級に転向するも中堅レスラーに甘んじる中、
1990年6月に(上の画像とは別の試合で)後藤達敏のバックドロップを受けて一時心肺停止の大アクシデント! 奇跡の生還を果たした馳は、ここから一気に生まれ変わるのです。
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蛍光イエロー&ブルーのコスチュームにイメージチェンジし、髪には金色のメッシュを入れるなど、当時としては非常に派手な外見になり、入場時にコーナーに登り着ているTシャツを投げ入れる姿に人気も急上昇。 同時に体を大きくしてヘビー級でも通用するようになると確かなレスリング技術に裏打ちされた技の正確さ&美しさでファンからもドンドン支持されていきました。
全盛時の試合ですが、トップ選手までにはなれなかったものの誰と闘っても名勝負を創り上げる選手として非常に高い評価を得ていました。
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大流血になりながらグレート・ムタの狂気を引き出した試合や、
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引退直前の猪木と対戦し「キラー猪木」を引き出した試合などが有名です。 負けても輝く、なんなら勝った相手より評価を得る、そんな稀有なレスラーとして独自のポジションを得ていきます。
◆人呼んで、「戦う愛の伝道師」
そうやってブレイクすると同時に馳は自らの「素」を出し始めます。 それは「エロキャラ」。
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リング上で腰クネポーズで観客を沸かせたり、週刊プロレスが年に1回出す選手名鑑のアンケート項目にはエロい回答ばっかり書いていました。 そしてプロレス外では、
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新日のレスラーが出演するVシネマにメインキャストで出演したり、
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細川ふみえ等のグラドルが主演のVシネマに出演したりしています。 そんなこんなでついたニックネームが「戦う愛の伝道師」。 政治家の馳氏しか知らない方なら違和感を感じるかもしれませんが、この時代の馳を知っているプロレスヲタならば、
このニュースが出た時、視察した自民党団体の代表が馳だと知って、
「あーーー・・・」「馳なら、ねぇ・・・」
と妙に納得してしまった方も多いかと思いかもしれません。
◆国会議員を志したキッカケ
リングでは独自の地位を築き、リング外でも芸能活動を(少しだけ)やり、94年にはタレントの高見恭子さんと結婚(二度目)。 更に専修大学レスリング部の先輩でジャパンプロレス時代からの師匠である長州力体制となっていた当時の新日で道場の道場主として若手の指導に手腕をふるっていました。 選手間では元教師の経歴と道場主になったコトで「センセイ」と呼ばれていた馳が何故突然国会議員を志したか。 それは1995年4月、新日の総帥である猪木氏は長年の悲願であった北朝鮮でのプロレス興行に参加したコトでした。
メーデースタジアムに19万人もの大観衆が集まった(と言われている)伝説の興行。 しかし裏では北朝鮮から約束されていたギャラが一銭も支払われなかったため新日は大赤字を抱えてしまうのですが・・・
それはともかく、そこで北朝鮮の “光と陰” を目の当たりにし想いを抱きながら帰国した2週間後に森喜朗から出馬依頼を受け、同年7月の衆院選にて石川1区から出馬し、初当選。 以後27年にも及ぶ国会議員生活が始まるのです。
ちなみに今回の選挙活動中、お子様は選挙運動に参加していましたが奥様の高見恭子さんは参加していません。
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2015年に「いい夫婦 パートナー・オブ・ザ・イヤー」を受賞したほどの仲良し夫婦な御両人。 高見さんは今まで積極的に参加していたワケではないもののノータッチで通していたワケでもないので不思議に思っていましたが、、、
このような記事が出ていたコトも、御報告しときますね、、、
◆馳が最も政治手腕を発揮したのは?
国会議員当選後、96年に新日で「引退試合」を行いますが、これは国会議員になったコトなどなどで新日に居づらくなって「引退」という形で新日を出たと言われており、現役にこだわった馳は同年11月に全日本プロレスに入団。 以降「四天王」と言われた三沢、川田、小橋、田上に若手有望株の秋山と対戦。 勝利こそならずも名勝負を繰り広げました。
そんな中、2000年6月に三沢ら全日所属の大半が離脱しプロレスリング・ノアを設立。 選手が殆どいなくなった全日に2002年2月に新日から武藤敬司らが移籍するという全てのプロレスファン驚愕の出来事が起こります。 当時新日は猪木の介入で中途半端な格闘技路線のプロレスをやっていて、それに嫌気がさした武藤らが「純然たるプロレスがしたい」との思いで全日に移籍したのですが、それの黒幕が、馳だと言われているのです。
盟友の武藤を助けるのはもちろんですが、かつて自らを追い出した新日に復讐するため、そして “プロレスラー議員” の先駆けである猪木をダメージを与えるために馳が裏で暗躍していたと噂され、この案件こそ馳が政治家時代を含めても最も手腕を発揮したものだと言われています。
◆そして、石川県知事選へ・・・
谷本知事が進退を明確にしていないうちに「後継者」を名乗って出馬表明した馳氏に対して風当たりは強く、一時は事前調査で第三位まで落ちていましたが日本維新の会の推薦を受けるコトで息を吹き返します。 元々「石川維新の会」は山野候補と近い関係であり、安倍晋三の依頼を受けて馳候補に推薦を出したのは石川維新の会にとっては想定外だったようです。 実際、出口調査によると維新支持者は馳候補より山野候補に多く票を投じているというデータも出ています。
とはいえ馳候補の選挙運動を見ていると応援演説に入るのは自民党議員が殆どで維新からは藤田幹事長が入った程度。 維新は推薦という “名義貸し” をしただけにも見えます。
彼ら以外にも多くのプロレスラーが応援コメントを寄せていますが、馳の公式YouTubeを見る限り2017年の衆院選ではアマレス関係者の応援演説やコメントはあったもののプロレスラーが応援している様子は有りませんでした。 ので、もしかすると(あくまで私個人の見立てですが)こういったレスラーからのコメントを多く取る戦略などに維新が関わっていたのかもしれません。 そして、馳候補の出身地であり比例で衆院議員を出した富山維新の会からの運動員投入などで “足で稼ぐ” 選挙運動もやっていたと思われます。 富山維新の会は北陸で最もチカラが有り、過去に富山知事選、高岡市長選で候補者を当選に導き、今回も関わっているなら衆院比例も含めると4勝目。 今後あなどれない勢力になるかもしれないので注目しておいた方が良いと思います。
◆馳浩に県知事は務まるのか?
さて、フライング出馬による瀕死のマイナスから自民党総動員&維新推薦を受けて大逆転勝利となった馳浩。 今後の馳知事の手腕に注目が集まるコトでしょうが、「プロレスを見れば政治が見えてくる」をモットーにしている私からはどう見えるか、、、 既に結論は書いてあります。 馳の歴史をもう一度振り返ってみて下さい。
新日本プロレスに入団したのは専修大学アマレス部の先輩である長州力のスカウトがあったからで、新日のリングで活躍し道場主としても君臨していたのは、先輩である長州力が新日を実質的に掌握していた時代です。
自民党に入党したのは同郷の大物である森喜朗のスカウトがあったからで、27年も衆院議員として7選し文科大臣にまでなれたのは、森喜朗の直系として清和会(森派→町村派→細田派)に所属していたからです。
馳が最も政治手腕を発揮したのは武藤敬司らを新日から全日に引き抜くために暗躍していた時であり、表立って動いていないため非難を浴びるコトも少なく本人のリスクは少ないです。
以上の点から言って、馳知事は国政及び自民党の言うコトを忠実に実行し続け、独自の動きと言えば維新の推薦を受けた条件である自らの給料をカットするといった程度のものになるでしょう。 そして県のトップとして批判を受け止めるコトが出来ず、隠れたり隠したりごまかしたりするかもしれません。 故に、
馳浩に県知事は、無理!!
と、私は結論づけたいと思います。 そもそも「富山県人だから」「森の子分だから」などなどで元々石川県で評判が良くない馳だからこんなにギリギリだったともとれるワケで、別の候補(例えば山野候補とか)だったらもっとラクに勝てたかもしれませんよ。 今回勝てたのは全て自公維の強力なバックアップがあったからで、馳のチカラで勝てた要因は殆ど無いと私は思っています。
◆最後に・・・
馳候補は選挙中、ことさら「国政とのパイプ」を強調していました。 地方においてそれは大事な部分も有るのは事実です。 ただ、新型コロナの蔓延とその対策で自治体によって相当な差が出たじゃないですか? それはひとえにトップである知事の能力の差であり、 知事が国の方針と関係なく独自の判断が出来るかが重要であるコトが分かったハズです。 冒頭に書いたように現地で取材していないため他候補の能力などは分かりませんが、プロレスヲタからすると、「馳には無理だろう・・・」と思ってしまうのです。
知らねぇぞ、石川県・・・
最後までお読みいただき有難う御座いました。
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