圧倒的なエネルギー;R2-7-30, Thu
夢現(うつつ)にBLGを書いているような気がしているが、極めて曖昧であり、、いつものモソモソスタート。
ラジオ本日は予定変更で、AMLで急逝した世界的デザイナー。
▽明日へのことば・アンコール
「熱き心、今も」
デザイナー・プロデューサー…山本寛斎
(2019年2月26日)
「奇抜」。 そうとしか表現できない強烈なメッセージが溢れ出る、
この超弩級キャラと行動力の背景は何だろうか、、
冒頭に北極冒険が出てくる。
マイナス40度くらいの環境は、もちろん未体験。だから行く。 準備として先ず旭川に行き、パンツ7-8枚の重ね着で実行可能な対策を体得する。 そして、体力アップと只管歩く。今まではすぐに息切れしていたのに、はたから見ると「走っている」としか見えない様子らしい。
幼少時、7歳の時に両親の離婚。兄弟で相談し、弟を連れて鈍行列車に乗る。横浜上大岡から九州まで会いに行くと、母は当時の花嫁修業の一環としてのお針子さんらしい、全く触れなかったが、父親のDNAと生活環境もあったのだろう、早い段階から将来の夢を持っていたことがわかる。
独学でデザイン画を学び、針子をやりながら雑誌の丸写し、いつも3時間ほど絵を描いていた。3畳一間の部屋には、祖母からのミシンくらしかない。それも質屋に行く、、、貧乏生活で様々な体験を次々語る。
片っ端からコンクールに出て、予選通過し本戦でのこと、中学校応援団長のでかい声で「カッコいい!」!と叫んだのは、いかにもこの人らしい。 初任給1万2千円の時代に、賞金30万の札束、その重みを肌で実感し、英国へ行った。
格好良い、「カッコイイ」がキーワード。自分でデザインした服を着け、金髪ロン毛で町中を闊歩した。
憧れの倫敦、キングストリートで肩を叩かれて、いつの間にかライフに掲載された。英語は、店から飛び出てきたねーちゃんたちからの誉め言葉から学んだ。(キングストリートはどこかと探したら、バッキンガムの西ブロック)
当然のこと、二ホンではあまり評判芳しくなかったが、英国やNY米国では、まるで異なる。個性が尊重される世界、そこで勝負をしようと思い立つ。
こうして26歳の時倫敦で最初のファッション・ショー、これが大評判となる。まさに世界が燃えていた時代、そしてデビッド・ボウイと出会う。
NYで彼の歌と服装はたちまち大評判となるも、巴里では失敗、落ち込む。 広大な米国を移動しつつ、いつかパリコレをと、夢見ていた。
何故か、そこは才能を評価される最高の場所だと信じていた。しかしそれにつぎ込むには、膨大なエネルギーとカネ、それに総合芸術を加えた、世界で今まで誰もやったことのないショーを行うことが必要だ考えた。
こうして、誰もやらなかったモスクワの赤の広場、ベトナムなど、様々な企画を立て実行した。
先ず工面すべきはカネだ。 大企業からの協賛金をどうやって得るのか、広告の面積大きさを見て作戦を立てた。画用紙でエネルギーのびっしり詰まったメッセージを10通送りつける。これを読んだセクレタリーが驚いてトップに伝達するような内容だった。こうして7通から返事を貰い、35%というとんでもない高打率でお金を得る。
凄まじい行動力、プラス綿密な戦略思想。これが彼の武器だろう。
加えるならば、好奇心といふか、何でも知ろうとする底抜けの知識欲から、福島の災害、チェルノブイリにも、福島被災後直接見に行った。
海外3か所、モスクワ、ベトナムなど3箇所を2-3週間で移動する、、
突飛も無い発想は、過去の歴史にも向かう。一万年続いた縄文。キリスト以後の2千年そこそこに対して、この時代に憧憬するのは、それだけの理由があるから。
70年たって、自分の知識がいかに少ないかを知り、今でも「知識欲」は衰えない。ほとばしり出るエネルギーに圧倒され続けた40分だった。
▽誕生日の花 夏の一日花 「ハマボウ」、日本のハイビスカス。
アオイ科
花言葉は 「楽しい思い出」