信じるって?
芦田愛菜さんの切り抜きに出会ったことのある人は多いはず。
「よく、その人のことを信じようと思いますという言葉を使うことがありますが、それってどういう意味なんだろうってと考えました。 それは、その人自身を信じているのではなくて、自分が理想とするその人の人物像みたいなものに期待してしまっていることなのかなと感じて。」
彼女の言葉に人々が何か感じることがあったから、信じたいものがあるからこうやって取り沙汰されたのでしょう。
人を信じられないこんなことを体験すると信じることとはと、人は考えるのかもしれない。
期待して裏切られたことにより信じられないっていうことを裏返して、そもそも信じていたのはなんだったのか。
他者を信じると決めたのは何か?
目に見える物?目に見えない物?
決めたのは自分で、他者を信じると決めた自分を信じ抜くことができるか。どんな事象がおきたら信じられなくなるのか。人生には色々なことが起きる。こちらの思うとうりに物事は運ばない。だったら何を信じると決めていたのか。
そこにあるみえないものなのか、そこにある見えるものなのか。物やお金は目で見てはかれる。そん目に見えるものだって不確かで、拡大しなければ衰退の一途をいつかたどる。それが、70代なら、80代なら、正常な衰退とうけいれるのか。今失われてしまったら、目に見えるもので選択をした何かがあるのだろうか。となる。
愛のような見えないものならば?奪い合うこともない。周りから見たら綺麗なものに見えるかもしれない。が、核心や確実性のある信頼となるか?
正解がない。何を信じて、何を見て、誰の言葉を信じていくか。信じたものを信じぬく。そこであなたが満たされていれば、それが正解なのかな。
Netflixの【Dont look up】も面白かった。あなたは何を信じていますか。何をみていますか?誰の言葉が届きますか。それが今ある真実。
誰かを信じるとは、誰かを信じる自分を信じること。色々な欲求がとなりあわせ。自分に気づく。
信じられないという事象を深掘りする機会があったので。信じるとは?😘😇
どんな価値観が浮かぶか。エピソードが浮かぶか、人間らしいこと。自分に気づける面白い話。